第10話 俺のハードボイルドが保健室で死んだ
この学院には、かなり優秀なヒーラーがいるらしい。学院案内のパンフレットにも、治療設備とヒーラーの質については大きく紹介されていた。魔法学院という性質上、実技や魔法訓練で怪我をする生徒は少なくない。そのため、万が一の事故が起きても迅速に治療できる体制が整えられているらしい。入学したばかりの俺には関係のない話だと思っていた。まさか、その日のうちに自分が保健室へ運び込まれることになるとは思ってもいなかった。
「あらまあ……、これは大変ね」
保健室へ運び込まれた俺を見て、イヴ・コーデリア先生は目を丸くした。
この人が学院の保健室を担当しているヒーラーらしい。柔らかな声音と落ち着いた物腰で、いかにも生徒の面倒を見ることに慣れている先生という印象だった。何かにつけて「あらまあ……」と口にするのが口癖らしく、今も俺の姿を見るなり、困ったように眉を下げている。
ただ、俺には別の意味で気になることがあった。
服装がやけに大人っぽい。というか、セクシーすぎるだろ。乳が半分くらい見えているのだが。
教師としてはかなり目を引く格好だった。保健室という場所もあってか、普通の教師とは違う独特の雰囲気がある。だが、本人は自分の服装などまったく気にしていないらしい。俺の怪我を見ると、すぐに表情を引き締めた。
「エリオット君。まずは怪我の状態を確認しますね」
「……お願いします」
「服を脱いでもらえる?」
「……え?」
思わず聞き返した。
「傷が隠れていたら治療できないでしょう?」
「それは……、そうですけど」
「全身から血が出ていたのよ? どこを怪我しているのか、ちゃんと確認しないといけないわ」
「……」
正論だった。俺は黙って服に手をかける。だが、いざ脱ぐとなると、急に恥ずかしくなってきた。
「本当に脱ぐんですか?」
「あらあら、本当に脱ぎますよ」
「……」
「エリオット、先生の言うことを聞いて。ちゃんと治療してもらわないと」
横からジェニーまで口を挟んできた。本気で心配している。俺は大人しくコーデリア先生の指示に従った。最終的にはパンツのみを身につけた状態になった。
コーデリア先生が俺の身体を診ていく。傷を確認して手をかざす。
「動かないでね」
「はい」
「すぐに治しますから」
淡い光が広がった。温かな魔力が身体を包み込んでいく。俺が魔法で作った傷が、次々と塞がっていく。
「……すごい」
ジェニーの口から、感嘆の声が漏れた。
「ふふ。これでも学院の保健室を任されているもの」
コーデリア先生は穏やかに笑った。
そのまま俺の身体を診ながら、傷の具合を一つずつ確認していく。魔力の流れ、筋肉の損傷、内臓への負担。先生の手つきは落ち着いていた。
そしてその手は俺の下半身にも伸びる。
俺は平静を保って天井を見上げた。ハードボイルドとは、環境に左右されるものではない。どんな場所にいようと、どれだけ気まずい状況に追い込まれようと、己の美学を貫く。それが俺の目指すハードボイルドだ。
だから俺は動じない。何も考えない状態で天井を見る。
それだけでいい。
コーデリア先生は俺の下半身の状態を確認しながら、淡々と診察を続けている。学院の保健室を任されているだけあって、手つきに迷いがない。
当然だ。
これは治療だ。
俺が勝手に意識しているだけで、コーデリア先生は何も気にしていない。いや、治療行為をしているのだ。頭では分かっている。分かっているのだが……。
コーデリア先生がヒールで手をかざすたび、俺の意識はそちらへ引っ張られてしまう。つまり、エロい方向に。
「ふぅ…………」
駄目だ。意識するな。これは治療。ただの治療だ。
俺は闇の支配者を目指している男だぞ。こんなことで動揺するわけにはいかない。
しかし、俺の下半身は俺の意思とは関係なく、徐々にハードに茹で上がっていく。
なぜだ。違う。落ち着け。
今はソフトにしていることがハードボイルドなんだ。ここで余計な反応を見せるな。何事もないかのように振る舞え。
俺は深く息を吸った。そして、吐く。しかし、現実とはいつも非情なものである。
「あらあら、まあまあ……」
「…………」
まただ。諦めるな、俺!
俺は無言のまま天井を見上げ続けた。隣にいるジェニーの様子が気になる。だが、見るわけにはいかない。見れば気まずくなるのは分かっている。
それでも視界の端には、顔を真っ赤にして落ち着かない様子のジェニーが映っていた。
「ジェニー?」
「な、なななな、なにも見てません……!」
声が裏返っている。明らかに見ている。クソ。俺のハードにボイルドした息子を見られているのか。
もう何も考えるな。意識を散らせ。元の世界の校長の顔を思い浮かべろ。そう、あのハゲ面だ。校長の顔を思い浮かべれば、この感情の高ぶりもきっと収まるはず……だった。
「……男には、誰にも知られたくない敗北がある」
コーデリア先生が俺の顔を覗き込む。
「……エリオット君?」
目から一筋の涙が流れた。俺は返事もできなかった。恥ずかしい。ただひたすらに恥ずかしい。俺の下半身は存在を強調しつつ、それに反比例するように俺の威厳は消え去っていった。
静かに目を閉じる。そして、できるだけ低い声で呟いた。
「コーデリア先生……、俺を殺してください……」
「あらあら、まあまあ。そんな風に思い詰めなくても大丈夫ですよ。男の子ですもんね」
「…………」
コーデリア先生は何も気にした様子もなく、穏やかな声で続ける。
「何も恥ずかしいことはないわ」
「……はい」
「もうすぐ終わりますから」
優しい言葉をかけられ、俺のハードボイルドが音を立てて崩れていく。
イヴ・コーデリア先生……。この異世界に来て初めて脅威に感じた相手だ。やがて下半身のヒールも終了する。その頃になってようやく、俺の高ぶりも収まっていた。
「ジェニー、このことは……忘れてくれ」
「う、うん……」
ジェニーは顔を真っ赤にして、小さく頷いた。
治療は俺の内臓へと移る。
こういうときに平然としていると、逆に怪しまれる。普通の学生なら、これだけ怪我をしていれば痛がるはずだ。ならば俺も痛がらねば。
「うっ……」
コーデリア先生が俺の顔を覗き込んだ。
「エリオット君、本当に痛い?」
「……え?」
「なんだか、あまり痛そうに見えないのよね」
心臓が跳ねた。まずい。俺の演技が見破られたのか?
「普通はもっと顔に出ると思うんだけど……」
「痛みが顔に出ないように練習してるので」
「あらあら、そうなの。面白いわね」
この先生、思っていた以上に侮れない。俺を疑っているぞ。仕方ない、魔力を操り内蔵へ小さな傷を作る。
「……っ」
今度こそ、俺は本当に苦しそうな表情を作った。
「エリオット!?」
ジェニーがすぐに反応した。
「……ごほっ」
俺は咳き込む。口元を押さえる。手のひらに赤いものが付着した。
「エリオット!」
ジェニーの顔から血の気が引いた。
「先生、血が……!」
「あらまあ。急いで治療しましょうね」
慌てる様子もないが、コーデリア先生の表情も変わった。俺は少しだけ安心した。これなら普通の怪我人として認識されたはずだ。
先生が棚から瓶を取り出した。
「飲んで」
「これは?」
「エリクサー。身体の回復を助ける薬よ。それに血を生成してくれるように調合してるから」
俺は瓶を受け取った。蓋を開ける。一口飲む。
「……苦い」
「あらあら、我慢してね」
そのまま飲み干す。
「はい、もう一本」
「……まだあるんですか?」
「まあまあ、念のため」
俺は二本目を受け取った。そして飲み干す。コーデリア先生は空になった瓶を確認すると、満足そうに頷いた。
「これで大丈夫なはずよ」
身体の状態を確認する。確かに完治している。俺が自分で治療した場合と変わらないクオリティーだ。優秀なヒーラーというのは本当らしい。
「コーデリア先生、ありがとうございました」
「あらまあ、どういたしまして」
先生が微笑む。そしてなぜか、頭を撫でられた。
「手を出さなかったこと、偉いですよ。エリオット君、あなたは本当に強い子」
「……」
俺は固まった。闇の支配者を目指す俺にヨシヨシだと。元居た世界でも、保健室の先生に頭を撫でられるなんてことはなかったぞ。だがここで「やめてください」と言うのは不自然だ。ハードボイルドな男にはあるまじき行為だが、俺は黙って耐えた。
その横で、ジェニーがじっと先生を見ていた。
「…………」
なぜか少しだけ不機嫌そうだ。
「学院生活は始まったばかりなんだから、自分の身体を大事にすること。約束よ?」
「約束します」
「あらあら、いい子いい子」
俺のハードボイルド魂が、また一つ削られていく。俺の調子を崩してしまうほどの人物、イヴ・コーデリア先生。恐るべし。




