第五話 恋敵
それからも二人は、子ども食堂で顔を合わせ、フィレンツェでお茶をし、夜には他愛ないラインを交わす日々を重ね、季節が夏から秋へ移る頃には、それがお互いの日常になっていた。
月曜日、帝国商会営業部。
「あっ先輩、さっき部長が探してましたよ」
「部長が?わかった」
外回りから戻った圭介を見つけた長澤が近づき言う。
何だ?何かクレームでもあったのか‥。
暫くすると、営業部長が自席に戻って来た。
「部長。自分を探していたと聞きましたが、何でしょう?」
「お、前原君かーー探したよ。ここではアレだから会議室で話そう」
ここではアレ?‥。
会議室へ向かう営業部長について、会議室へ入る。
「適当に座ってくれ」
圭介の着席を確認した営業部長が口を開いた。
「スポーツバースの方は順調に進んでいるようだなーーそれで、話の一つ目は君の昇進についてだ。スポーツバース契約の功績から主任昇進が決定した」
「自分が主任に。ありがとうございます」
「そして、もう一つは君に新しく担当してもらいたい仕事がある」
「新しい担当?ーー今、担当しているスポーツバースの方はどうするんですか?」
「まぁ、担当と言ってもサブでいいんだ。だからメインは今まで通りスポーツバースで変わりない」
「サブ?ーーどこのサブですか?」
「ダイブギアだよ」
「ダイブギアーー確か担当はずっと外山でしたよね。彼がいるのに自分がサブに?‥何があったんです?」
圭介の質問に営業部長は一瞬、目を伏せた後、顔を上げた。
「実はな、先方からの要望なんだ。外山君に問題があったわけではない。だから外山君がメインである事にも変わりはない」
ダイブギアからの要望?。
「少し状況が分かりませんが‥先方は自分に何を求めてそんな要望を?」
「そうだなーーダイブギアは君も知ってるだろうが、我が社の売上九パーセントを持つ筆頭顧客だ」
「知ってます」
「より一層の関係強化と、相互関係をマンネリ化させない新しい風を入れたいと言うのだよ」
「はぁ‥新しい風ですか‥」
「そんな顔をするな。それは建前でなーー本音は君の引き抜きだろうと思っているよ」
俺の引き抜き?‥。
「会社としてはダイブギアに引き抜かれろと。そう聞こえますが」
「そうは言わないーーこれは主観だが、先方は社長一人娘の婿探しなのだろう」
「はっ?公私混同も甚だしい話ですね、それは」
「その通りだな。逆にダイブギア内部での次期社長を巡る派閥争いが激化しているとも読めるな」
ここではアレだからとは‥こういうことか‥。
「もう、これは決定事項ですか?自分に拒否権は?」
「決定事項だ。拒否権はないーーただし選択権はある。引き抜かれるか否かの判断は君に一任される」
まったく、この会社らしい論法だな‥。
「ーー分かりました。最善の選択に努めます」
「それがいい。これは会社だけでなく、君自身のビッグチャンスでもある。だから会社として何も強制はしない。君自身の人生としてよく考えてくれたらいい」
ーーーーー。
会議室を出て、営業部長と別れた圭介は社内のラウンジで缶コーヒーを飲んでいた。
ダイブギア‥婿探し‥そう言えば長澤が、前に令嬢が俺にどうとか言っていたのはこの事か‥。
ソファーにもたれ掛かり、天井を見上げた。
サブならスポーツバースもダイブギアも営業体制は現状維持だ。もし俺が引き抜かれたとしてもダイブギアとは関係強化、引き抜かれなくても要望に対応した貸しが作れる。
スポーツバースは契約直後、今なら担当を変えても間に合う。だから会社に不利益はないーーもし婿探しが本当なら、次期社長の可能性が俺の人生のビッグチャンスだと言いたいわけか‥。
体を起こして缶コーヒーを飲む。
ダイブギアの令嬢‥確か名前は海堂奏だったかーー前に一度見ている、外山がクレオパトラと呼んでいたあの女だ‥。
圭介の脳裏に、上品で美しい海堂の姿が浮かんだ。
ーーーーー。
「部長の話、何だったんですか?昇進ですか?」
「そうだ。後はダイブギアの担当も兼務になった」
「えっ‥ダイブギアの担当になるんですか?先輩が」
「何を驚いているんだ。担当と言っても俺はサブ、メインは今まで通り外山で変わらない」
「サブなんて名目上でしょ。やっぱり先輩は噂どおりダイブギアの令嬢から狙われていたんですね」
「そんなわけないだろーーそれよりスポーツバースの発注手配は終わってるんだろうな」
「大丈夫。そこは抜かりないですよーー別件ですけど、先輩の昇進祝いの席を作りますから‥水曜当たりで先輩都合どうですか?」
そこは抜かりないって‥この前、調印すっぽかしたヤツが言うのか‥。
「まぁ水曜なら‥たぶん大丈夫だ」
「決まりですね、水曜日。場所と時間決まったら連絡しますから」
ーーーーー。
『主任昇進おめでとう。やったね』
その日の夜、Vサインしたトマトのスタンプと一緒に加穂里からラインが届いた。
『情報が早いな。もう知っているのか』
『社内広報を作ってるのは秘書室だからね。明日配信されるよ。ダイブギア担当兼務の話もーー新しい風よ、頑張るのだぞ』
『そいつはどうもだが、新しい風ってのは勘弁してくれ。それに担当と言ってもサブだし』
『そうね。でも、そのサブの役割って何なの?外山さんのサポート?』
ーーそうか、令嬢の部分は公表されていないのか‥そりゃ会社として、そんな事を公表できないだろうしな‥。
『俺のメインはスポーツバースのままだから、外山不在時の代理ってあたりかな』
『今までより忙しくなりそうだけど、頑張ってね。あっでも、無理はダメよ』
『大丈夫さ。そもそもそんなに仕事熱心じゃないから』
『またまたぁーーいいわ、そういうことにしといてあげる』
水曜日、六本木ショットバー神楽の店内。
「それでは前原さんの昇進を祝して乾杯!」
長澤の音頭で昇進祝いの宴が始まった。
「長澤、これはどういう集まりなんだ?」
「ウチの営業チームだけだと野郎ばっかで華もないから、沙希に言って華を呼んでもらったんですよーーこういう店にはやっぱ華も無いとカッコつかないでしょ」
同じ営業チームの長澤光輝、太田広夢、佐々木雄太、楠本翔也、総務部の明石美玲、秘書室の岡島沙希に加穂里も列席していた。
お前、参加を隠していたな‥。
加穂里を見た時、加穂里はえへっという顔つきだった。
まぁ、いいか‥いつか誘おうと思っていたショットバーだしな‥。
ーーーーー。
「へぇ〜、前原さんが前に言っていたショットバーがここだったのね。素敵なお店だわ」
「本当はもっと静かに飲む場所なんだが‥」
陽気に騒ぐメンバー達を見ながら、圭介がため息を吐いた。
「いいんじゃない。お酒は楽しくよ」
加穂里が笑う。
「何なに〜二人で抜け駆け〜」
岡島だった。
「な、何言ってんのよ沙希、そんなんじゃないわ」
「そ〜お‥ならいいけどさーーそうだ、前原さんにいい事教えてあげる」
岡島が加穂里を横目で見る。
「今月は何と!加穂里の誕生月で〜す、あははは」
「ちょっと、あんた飲み過ぎてるでしょ!もう過ぎてるんだから、今さら言わなくていいの」
「いやぁ!加穂里がいじめる〜」
アルコールが人を陽気にしている。
そこへ総務の明石がフラフラと圭介に近づき、話し始めた。
「前原さん〜主任になってダイブギアの担当にもなるんでしょーーやっぱりさぁ、令嬢からのお誘いなのかなぁ」
こいつ、かなりできあがってるな‥。
「美玲、そんな話はいいのよ、次は何を頼むのか決めてよ〜」
岡島が話に割って入り、明石を圭介から遠ざけていく。
んっ?あの事、岡島は知っているのか‥えっそれなら?‥。
加穂里を見る。
加穂里は岡島に連れて行かれる明石を目で追っていた。
どうやら令嬢の話、完全オフにはなっていないようだな‥。
ーーーーー。
昇進祝いが終わり、店を出た圭介と加穂里は揃って駅に向かっていた。
駅出入り口の側まで来て、圭介がふと足を止める。
そこにはハンドメイドアクセサリーを売る露店が出ていた。
シルバーアクセサリーが並ぶ中で、圭介の目を引いたのは誕生石を象牙型に加工したチョーカーだった。
九月はサファイアだったかーー五千円、このくらいなら‥。
圭介は店番に言って、サファイアのチョーカーを買った。
「遅いけど、誕生日おめでとう」
「えっ!うそ!本当にーーありがとう」
加穂里はそれを受け取り、すぐに首につけていく。
「えへへ、似合う?ーー前原さんは何月生まれなの?」
「俺は二月、水瓶座だよ」
「私は天秤座。水瓶座とは相性いいのよ」
加穂里はそう言うと、露店でアメジストのチョーカーを買い、それを圭介に手渡した。
「私、忘れっぽいから先渡しね」
「これじゃ物々交換だろうーーでも、ありがとう」
笑いながら圭介もチョーカーを首につけた。
ーーーーー。
「圭介のチームって楽しい人ばっかりね。秘書室とはだいぶ感じの違う人達でちょっと羨ましいな」
「一長一短だよ。うるさいだけに思う時だってあるし、秘書室のように無駄なく粛々となんて意識の欠片も無い連中だぞ」
「そっか。これは隣の芝生は青いってやつだねーーところで」
グッと近づく加穂里に圭介の心拍が少し速まる。
「明石さんが前原さんに言っていた、令嬢からのお誘いってーーあれはどういう意味なの?」
さらに心拍が速まった。
どうする、伝えるか?ーーいや、悩む以前に俺達ってそういう関係だったか?隠す気遣いなんて、ただの俺の自惚れじゃないか‥。
圭介は大きく息を吸い込んだ。
「これは憶測や噂レベルの事だけどーーダイブギア社長には一人娘が居て、社長が後継者となる婿探しをしていると、だから俺のダイブギア入りもそれなんじゃないかって話が一部で流れているらしい」
「ふ〜ん。その噂、沙希も知っていたの?」
「さぁ、それは分からない。ただ今日のあの感じなら、岡島さんも明石さんも知っていそうだな」
加穂里が一瞬だけ俯く。
「どうして沙希、私にそれを教えてくれなかったんだろう‥」
「あの二人が誰から何を聞いたのかは知らないが、所詮は噂だ。わざわざ教える必要もないって思ったんじゃないか」
「でも、話そうとした明石さんを沙希が止めたようにも見えたんだけど‥」
やはり、あの時を見ていたのか‥確かに俺にも岡島が明石を止めたように見えた‥そこは後で長澤に聞いておくか。
「俺本人を目の前にして、話す話題じゃないと思ったからとか」
「そうなのかなぁーーそれでその噂は本当なの?」
「いやいや、ただの噂だよ。仮に、もしそれが事実だとしても、俺には興味のない事だし、どうでもいい話だからね」
「本当に〜相手は社長令嬢だよ〜出世チャンスじゃないの〜」
加穂里が下から覗き込むようにして言う。
「そんな事、それこそ何とかの勘繰りってやつだぞ」
「ひっど〜い!人を下衆って言ったぁ」
加穂里が笑う。
「でも‥」
笑いが止まる。
「ーーダイブギア令嬢の海堂奏さん、私も会った事あるけど才色兼備な女性よーーもし‥前原さんが海堂さんと付き合うなら私‥応援するから‥隠さないで教えてね‥」
心なし加穂里の声がか細く感じられた。
「まぁ、そんな事になったら、その時はな」
「ーーうんーーわかった」
ーーーーー。
間も無くして、電車は西新井に着いた。
「じゃあ、また」
「うん‥バイバイ」
二人は別れて家路についた。
木曜日、帝国商会秘書室。
「おはようございます主任。昨日はお疲れ様でした」
出社してきた岡島が元気に言う。
「おはよう岡島さんーーちょっといいかしら」
加穂里が岡島を連れてロビーへ出て行く。
「昨夜の事なんだけど、岡島さんはダイブギア令嬢の話を知っていたの?」
「えっ?あっはい、社内でも秘書室でも噂になってましたからーーもしかして主任は知らなかったんですか?」
「知らなかったわ、昨夜の帰りに前原さんに直接聞いて知ったのよ」
「そうだったんですか、主任も知っているもんだとばかり」
「それじゃあ、昨夜の席で明石さんを止めたのは?」
「それはさすがに噂の当人を前にして話す事ではないなって思ったので」
そう‥特に私に隠そうとした訳でも無いのねーーそもそも、前原さんならともかく、私がその噂を気にするのは筋違いのような気も‥。
「そうだったの‥変なこと聞いてごめんなさいね」
岡島が首を傾げながら、加穂里に顔を近づけていく。
「主任こそ、前原さんと付き合っていると思っていたんですけど、違うんですか?」
心臓を掴まれたような感覚があった。
「そんな、付き合ってないわよーーなんで急にそんな」
「えっ本当ですかーーでも顔が赤いですよ」
加穂里が咄嗟に両手を頬に当てると、岡島がそれをニヤニヤと見ている。
「ち、違うわよ」
「へ〜、でも少し前までは、そんな噂で持ちきりだったんですよ」
「噂って‥」
「それじゃ、そう言う事にしますーー主任、少しは噂とかも気にした方がいいですよ」
「あ、ありがとう‥そうするわ」
その後、圭介と加穂里でラインのやり取りはあったものの、内容は事務的な会話にしかならなかった。
『お疲れ様。ようやく休みだな。今からジンロック作るところ』
『そう、私はもう飲んじゃった』
『明日は子ども食堂だ』
『うん、そうだね』
休日の土曜日、子ども食堂。
「よう、圭ちゃん。今日もありがとうな」。
男性スタッフ達がいつものように軽バンから食材と運び出していく。
「なぁ、加穂里ちゃんとケンカでもしたのか?」
一人の男性スタッフが圭介に耳打ちする。
「いえ、別にケンカなんてしてないですよ。どうしてですか」
「してないなら別にいいんだけどーーちょっと加穂里ちゃんが沈んでいるみたいだから、もしやって思っただけさ。今聞いたことは忘れてくれ」
彼女が沈んでいる‥確かに最近、少し様子が変な気はしてるがーー。
=相手は社長令嬢だよ〜出世チャンスじゃないの=、加穂里の言った言葉が記憶を掠めていく。
あんな令嬢の噂を気にしているのか?そもそも気にするタイプだったか?いや、それ以前にだな、彼女が俺の事で沈む理由がないーー俺、彼女に何か変な事を言ったか‥。
思い当たるものが見つからなかった。
あ〜また、厨房のスタッフに弄られすぎたんじゃないか‥。
思いながら食堂に入ると、いつものように子供達が賑やかに食事をしている。
「あら、圭ちゃんーーちょっと待っててね、今用意するから」
カウンターへ行くと、年配の女性スタッフがそう言いながら料理を用意していく。
カウンターから厨房の中を見ると、いつもなら他のスタッフとの笑い声が聞こえてくるのだが、今日の厨房内は皆んな黙々と調理をしていた。
「今日は来てから、ずっとあんな感じよ」
用意した料理を圭介に渡しながら、年配の女性スタッフが小声で言う。
「どうしたんですかね?体調が良くないのかな‥」
言いながら料理を受け取り食卓に着くと、スマホを取り出しライン画面を開いた。
『元気なさそうだけど大丈夫?今日フィレンツェに行く?具合悪ければ後日にして、今日は家の近くまで送ろうか?』
ーーーーー。
加穂里にラインを送り、食事を済ませた圭介は軽バンの中で、加穂里からのラインを待つ事にした。
ーーーーー。
『心配させてごめんなさい。私は大丈夫よ。ただ今日は急用が入っちゃって、だからフィレンツェはまたいつかで、ごめんね。前原さん先に上がってもらって大丈夫だよ』
ラインの返信を見た圭介は、体から力が抜けていくような気分だった。
『わかった。あと俺に出来る事があるなら、遠慮しないでライン送ってくれ』
圭介はエンジンを掛けると、子ども食堂から車を発信させた。
週明け月曜、帝国商会営業部。
営業部長から圭介にダイブギア担当兼務の辞令が下りた。
「早速だが、ダイブギアとの顔合わせは明日の午後からだから、外山君と予定は調整しておいてくれ」
いきなり明日か‥まぁそれはいいとしてーー令嬢の噂、出所くらいは突き止めたいところだな‥。
ーーーーー。
「長澤、ちょっと教えてくれーー前にダイブギアの令嬢がどうとか俺に言っていたよな。その話、どこから聞いたんだ」
「沙希からですよ。総務や秘書室でも噂になってるってーー総務で仲のいい‥明石さんだったかな、その子から聞いたって言ってましたねーー気になるんですか、令嬢」
「そんなわけないだろ!ーー明日は顔合わせだからな、情報として知りたいだけだ」
「確かにそうですよね」
「何だ長澤、その変な笑い方はーーまぁいい、ありがとうな」
確か明石は外山の彼女ーーそうなると出所は外山って事か‥。
ーーーーー。
「外山、明日の予定だが顔合わせは何時からだ」
「おう前原、急な顔合わせになって済まないな。先方から早めにってリクエストがあってさーー予定は十四時からだから、それで調整してくれ」
「わかったーー外山に一つ聞きたいことがあるんだが、いいか」
圭介は令嬢の件、明石から聞いたことを話した。
「あいつ、そんな事をーーすまん前原。多分それはだな‥」
ーーーーー。
「なるほどな。女の口に蓋は出来んということか。わかった、別に責めている訳じゃないんだ、忘れてくれ」
詰まるところ、ダイブギア内で密かに次の婿候補として俺の名前が上がり、当初は担当を変更するという話だった。当然、それは外山のアンテナに引っ掛かり、担当を下されるかもと思った外山が明石に愚痴り、明石から噂が広まったとーーそれでも婿探しが事実ってのは驚きだな‥。
火曜日、帝国商会営業部。
「それじゃ行くか、前原」
外山が声掛けしてくる。
「了解だ。とりあえず初日だからな、よろしく頼む」
「まぁ、打ち合わせと言っても、実際はお前を紹介するための席だ。気軽に行こうぜ」
ーーーーー。
ダイブギア社応接室。
「昨日付けで御社を担当することになりました、前原と申します」
応接室ソファーには圭介とその隣に外山、向かいにはダイブギアの海堂奏と、その隣に男が一人座っている。
「前原さん、貴方の事は隣の外山さんから聞いてますわ。これからはより一層の連携を図って、お互いの利益となるよう協力し合って参りましょう」
圭介は挨拶と名刺交換を済ませた。
海堂奏。専務だったのかーーそれで隣が秘書の三上真矢‥見た感じ、同年代くらいだよな。
秘書の三上からダイブギア社が展開している事業の概要説明を受ける。
それにしても外山がクレオパトラと言うのも大袈裟ではないな。正しく才色兼備を具現化したような女だ‥。
「そういう事ですから前原さん、これから宜しくお願いしますわ」
海堂は前原に笑顔を向けながら言った。
こうして笑顔だと、印象がずいぶん変わるんだな‥。
「こちらこそ、ぜひ」
「それでしたら前原さんのラインを聞いてもいいかしらーー三上、準備して」
「ラインを‥ですか」
「そうだ、言い忘れていた。緊急連絡用にラインの交換をしているんだ。前原もラインはやってるだろ、準備してくれ」
「ああ、そうなのか‥わかった」
圭介は海堂とライン交換をし、会合は穏やかな空気の中で終了した。
ーーーーー。
その日の夜、圭介のマンション自室。
『今日はダイブギアで顔合わせだったんでしょ。どうだった?令嬢は?』
その夜、加穂里からラインが届いた。
『外山がクレオパトラと言うから、もっと冷たくキツい人かと思ったら意外と普通の人だったよ。あっでも伊崎さんの言うとおり才色兼備な印象は確かにあるな』
『うまくやれそう?』
『まぁ、何とかなるだろう、そんな感じだ』
『そう、仲良くなれるといいねーー私、応援してるから』
『応援?まぁ、ありがとう。但し、あくまで仕事のパートナーとしては仲良くなれるという意味だけどね』
ーーーーー。
加穂里のマンション自室。
入浴も済ませ、圭介とのラインも切った後、加穂里は一人ベッドに寝転んでいた。
仕事のパートナーとしては仲良くなれる‥か。
薄暗い部屋で天井をいつまでも見つめていた。
水曜日、帝国商会営業部。
スポーツバースの備品段取りを終わらせた圭介のスマホに、海堂からのラインが届いた。
昨日の今日とは、動きが早いな‥。
『昨日はわざわざお越しいただき、ありがとうございました。早速ですが、お互いを理解する上で今週、前原さんを夕食にお誘いしたいのですけど、ご都合お聞かせ願えますか?』
何だ、いきなり積極的だな‥外山にも連絡入っているのか?‥。
圭介が内線で確認すると、外山にそのラインは入っていなかった。
「俺の時も最初のうちはそんな感じでラインが来て驚かされたよ。顧客対応だと思って応じてやってくれ」
そんなものなのかーー驚いたな、血を吸ったわけでもないのに‥。
『わかりました。それなら木曜日十八時はどうでしょうか?』
『ええ、木曜日の十八時でお願いします。御社へ車でお迎えに伺いますね』
『迎えなんて結構です。こちらから伺いますから』
『気になさらずに。私も車で外回りをしているので、迎えに行く方が楽ですから』
『そうですか、わかりました。では時間になったらエントランスに出て待っています』
木曜日、帝国商会エントランス。
十八時、退社する社員に紛れて圭介が外に出ると、間も無くして黒いアルファロメオが一台ハザードを点けて停車した。
「前原さん。乗って」
運転席から降り立ったのは、仕立ての良さそうなレディススーツを着た海堂だった。
すごいオーラだ。でも何か印象が少し違うような‥。
促されるまま圭介が助手席へ乗り込むと、海堂は車を発進させた。
ーーーーー。
海堂に連れて行かれた先はホテルのレストランだった。
「私の好みだけど、ここで良かったかしら」
「全然大丈夫です。むしろフレンチやイタリアンの専門店じゃなくてホッとしました」
「正直な方ね。私も肩の凝るような所は嫌いだから良かったわ」
「何か、会社でお会いした時と印象が違いますね」
「よく言われます。会社では一経営者ですけど、現場なら一労働者ですから。私としては一労働者の方が好きなんです。そのせいでしょう」
「ウチの社内では海堂様のことをクレオパトラと言ってますよ。勿論、いい意味でです。そうするとクレオパトラは女王であり、同時に一国民だったという事ですかね」
「前原さんって面白いのねーー貴方とは上手くやっていけそうな気がする。だから私に様付けなどしないでほしいわ」
「そうですか。それでは海堂さん、先に一つ聞いてもいいですか?」
「何?」
「後継者を兼ねた婿探しをしているという情報もありますけど、今、少しお話しした印象ではそれを感じない。本当はどっちなのです?」
「本当に遠慮がないわねーーいいわ、婿探しというのは事実よ。ダイブギアはパパが身を削って大きくした会社なの。今では業績も安定した大きな会社になったけど、一つだけ得ていないものがあるの」
「男の跡取りですか」
「そうよ。そして社内では社長の椅子を狙う者達が派閥を作り、会社が割れかかっている、それが今のダイブギアなの」
「そういう事でしたか。そんな思いも知らず、失礼してすみませんでした」
「いいわ。誰だってそんな女のいる会社の担当なんて、二の足を踏まれて当然よね」
海堂の表情に翳りを感じた。
「そこは否定しておきます。決して二の足など踏んでいませんので。婿探しでも何でも人には事情があります。その事情にどう対処するかは自分自身で決めればいい。会社の利益のために犠牲になるつもりはありませんので、その点はどうか気になさらずに」
「あははーーそんな事言う人、初めて。貴方って本当に面白いわ」
食事をしながら、会社の事情や世間話が進んでいく。
「一つだけ、聞いておかなければならない事があるわ」
「何ですか?」
「前原さん、今はお付き合いしている特定の人は居るのかしら?」
一瞬、加穂里の顔が浮かぶ。
「ーーいいえ。付き合っている人は、今はまだ居ません」
「今はまだ?‥いいわ。それなら私がこうして貴方を誘っても大丈夫ですわね」
食事を済ませ、最寄りの駅で降ろしてもらい、圭介は海堂と別れた。
まぁ、食事程度なら応じても‥だが、彼女に言うのはやめておいた方がいいか‥例え仕事がらみでも、敢えて話に出す必要はないだろう‥。
圭介はそのまま家路についた。
金曜日、帝国商会社内。
「ねぇ聞いた。昨日の前原さんの事」
「聞いたわよ。すごい美人が車で迎えに来たって話でしょ」
「そうそう。そして、その美人が例のダイブギアの令嬢なのよ」
「本当に!だって見た人の話じゃ、すっごい美人だったって」
「クレオパトラって言われてるそうよ」
「そんな人が社長令嬢だなんて、世の中が平等なんて嘘だわ」
ーーーーー。
その噂は秘書室にも入っていた。
「何て事してくれてるのよ前原さん‥」
黙々と仕事をする加穂里を横目に見ながら、岡島は心の中で呟いた。
前原さん‥いよいよ始まったのね‥。
ざわつく気持ちが顔に出ないよう、加穂里は平静を装い、業務に専念しようと努めていた。
「伊崎君。ちょっといいか?社長室に来てくれ」
社長が秘書室に現れ、加穂里にそれだけ言って出て行った。
少し首を傾げた加穂里が、社長の後を追うように秘書室を出ていく。
秘書室の面々がそれを静かに見ていた。
ーーーーー。
「実は週明けの月曜にフリーゲームズ社長の接待があるんだが、伊崎君にもそれに参加してもらいたくてね」
「えっ?秘書の私が接待にですか?」
「そうだ。遊佐社長は君も知っているだろう」
「ええ、たまに社長を訪ねて来られてますから、顔は知ってますが」
「その遊佐社長が君を指名しててねーー同席してくれるだけでいいんだ」
「ーーわかりました。月曜ですね」
週末の夜、圭介のマンション自室。
『伊崎さんは今度、食堂いつ行きます?予定があれば合わせて、またフィレンツェでお茶しませんか?』
『ごめんなさい、まだ予定が決まってないの。決まったら連絡するね』
『わかった‥それじゃあ、決まったらで』
何だろう、この違和感‥仕事とかで何かあったのかな‥。
ラインを切った圭介の胸でアメジストのチョーカーが揺れていた。
ーーーーー。
同じ夜、加穂里のマンション自室。
あの人なら‥社長になっても、きっとやり切れる‥だから‥。
胸にかかるサファイアのチョーカーを手のひらに乗せ、加穂里はそれを見つめていた。
週明け月曜、赤坂の料亭かぐやの一室。
「平社長には、なんかワガママ聞いて貰っちゃって申し訳ないな」
「いえ、ウチ自慢の秘書だから、気に入ってもらえて悪い気はしませんよ、遊佐社長」
一室にはフリーゲームズ社長の遊佐響也と秘書の玉木拓馬、帝国商会社長の平勝利と加穂里の四人がいた。
「こうやってお話しするのは初めてですよね、伊崎さん」
「そうですね。お越しになられた時に、お顔は見ておりましたが」
「いやね、ずっと綺麗な人だなと思いながら見ていたんですよ。一度お話がしてみたくて、今回は社長に無理を承知でお願いしたんです、はっはっはっ」
「まぁ、お上手ですね」
絶対にコレ、業務外サービスだわ‥。
加穂里は愛想笑いをしながら、内心で呟いた。
「伊崎さんは我が社のゲームで遊ばれたことがありますか?」
「一つだけ『マジカル・ウィッチの冒険』は知っています」
「それはありがたい。結構、制作裏話のある作品なんですよ。まぁそれは機会があればお話ししますけどーー我が社の力作の一本ですよ、はっはっはっ」
この遊佐っていう社長、何かイチイチ調子の狂う人だわ‥。
「それでプレイした感想なんか聞いてもいいかな?」
「ええ、そうですね。やっぱり主人公がピンチの場面で、新魔法を編み出して乗り越えていくあたりがドキドキして面白かったです」
そりゃ何だって魔法でポンポン解決できるなら、私だって苦労しないわよ‥。
内心で苦笑した。
ーーーーー。
コレって、ただの飲み会じゃない‥。
名刺交換をして、接待はほとんどが遊佐と加穂里の会話で終了した。
火曜日、帝国商会秘書室。
加穂里が出社すると、秘書室は異様な空気感に包まれていた。
「どうしたの?皆んな、何かあった?」
「主任」
岡島が駆け寄ってくる。
「早くパソコンつけてメールボックス見てください」
「えっメール?」
言われるままに加穂里は自席のパソコンを起動し、メールボックスを開く。
未読メールが二十通と表示されている。
何だろう?このメアド、見覚えないのが一通あるな‥まさかサイバー攻撃?。
「開けても大丈夫ですから、開けてください」
手を止めた加穂里に岡島が言う。
「はあ?」
加穂里が声を上げた。
『伊崎さん。昨夜は同席してくれて凄く嬉しく思っています。ゲームの話とか盛り上がりましたね。また是非、今度は社長の肩書き抜きでお誘いさせてください。それでは、また』
「これが会社アドレス宛てに来てるから、皆んなのパソコンに流れてますーー主任。昨夜は接待でしたよね、何をしたんです?」
岡島の声を聞きながら、目眩がしそうだった。
「これ、早いとこ送信先を変えてもらわないと厄介になりますよーーせめて秘書室専用のメアドとか、ゲーメールのような汎用メアドを作るとか」
「そうねーーこんなことに会社メアドなんか使えないから、ゲーメール使うしかないかな」
この時、すでに遊佐から送られたこのメールは、帝国商会内の各部署で共有されていた。
「主任、どれだけ気に入られてるんですかーーしかし既成事実から来るとは敵もやりますね」
「やりますね、じゃないわよ。それに話だって別に盛り上がってなんかないし」
ーーーーー。
同じ日、帝国商会営業部。
「何だ、コレ‥」
自席でパソコンを立ち上げた圭介が絶句していた。
フリーゲームズ遊佐響也‥ウチの取引先じゃないか‥。
すぐに加穂里にラインを送ろうとしたが、圭介はそれを思い留めた。
ーーーーー。
社長に事情を話し、遊佐の連絡先を聞いた加穂里が、遊佐のスマホに電話する。
「いやぁ電話が来ると思ってましたよーーすみませんね、強引なことしちゃって。でも、こうでもしないと伊崎さんとは知り合いになれないと思ったので」
「とりあえず、会社にメールを送るのは無しにして貰えませんか」
「そうしたら、どこにメールすればいいですかね」
「私のメアド教えますから、用事があればそっちにお願いします。メアド言いますね‥」
どうして私がこんな事を‥社長の顔が無ければ、文句の百も言えたのに‥。
ーーーーー。
加穂里のマンション自室。
その夜、加穂里のゲーメールに新着メールが届いていた。
『貴女はとても魅力のある女性だ。一度お食事にお誘いしたいのですが、いかがですか』
これ、どうする?無下にも出来ないし、かと言って‥。
頭を抱えていると、圭介からラインが届いた。
『なんか変なメールが社内で噂になってるけど‥あれは何?』
『昨日、社長の指示で接待に同席したんだけど‥』
加穂里は接待の経緯を説明した。
『それだけで?ある意味、逞しい精神力だな。社長ってのはそうなのか‥』
『変なとこで感心しないで』
食事にも誘われていることは圭介に言わないまま、加穂里はラインを切った。
ーーーーー。
圭介のマンション自室。
フリーゲームズと言えば、最近売れているゲーム制作会社だーーウチとの取引も右肩上がりだったような‥。
ただの接待相手だと分かってはいる。
それなのに、遊佐という男の名前が妙に頭から離れない。
圭介はジンロックを飲み干し、天井を見上げていた。




