第9話「断罪のプレリュード」
王城の大広間は、卒業を祝う貴族たちの熱気で満ちていた。
天井のシャンデリアは目もくらむほどの光を放ち、楽団が奏でる優雅な音楽が、人々の楽しげな会話に溶け込んでいる。
その華やかな空間の中で、セレフィア・フォン・クライスハルトは、まるで色のない影のように、一人でたたずんでいた。
彼女が選んだのは、漆黒のドレス。
それは、これから始まる断罪劇の主役のための、喪服のようでもあった。
『これで、すべてが終わる』
彼女は、グラスの中の赤い葡萄酒を、静かに見つめていた。
体調は最悪だった。
咳を抑えるために飲んだ薬のせいで、頭がぼんやりとする。
しかし、不思議と心は凪いでいた。
ようやく、この苦しい役目から解放されるのだという、安堵感さえあった。
ふと視線を上げると、ホールの入り口がにわかに騒がしくなっているのに気づいた。
人々の視線が、一点に集まっている。
そこに立っていたのは、純白のドレスをまとったリリアナと、彼女をエスコートする王太子アレクシスだった。
まるで、物語の主人公とヒロインが、光に照らされて登場したかのような光景。
アレクシスは、リリアナを伴って、まっすぐにセレフィアの元へと歩いてくる。
その表情は硬く、瞳には冷たい怒りの色が浮かんでいた。
周囲の貴族たちも、何が始まるのかを察し、興味津々な視線を向けてくる。
舞台の役者は、そろった。
「セレフィア・フォン・クライスハルト」
アレクシスは、セレフィアの目の前で足を止め、厳しい声で彼女の名を呼んだ。
「君に、言わねばならないことがある。君がこれまで、リリアナ嬢にしてきた数々の卑劣な行い! 我々は、すべて知っているのだ! 夜会で彼女を突き飛ばそうとしたこと! 中庭で教科書を奪い、投げ捨てたこと! そして、ティーパーティーで彼女を辱めたこと! そのすべてが、君の嫉妬深い心が生んだ、許されざる罪だ! 言い訳があるのなら、聞いてやろう。さあ、何か言ったらどうだ!」
彼の声が、音楽を止めた大広間に響き渡る。
次々と挙げられる罪状。
それはすべて、セレフィアが『歪み』を修正するために行った、苦渋の選択の結果だった。
しかし、その真実を知る者は、ここにはいない。
リリアナが、悲しそうな顔でうつむいている。
彼女は、きっとセレフィアを信じたかっただろう。
しかし、積み重ねられた状況証拠が、それを許さなかった。
「何ですの、殿下。改まって」
セレフィアは、動揺を悟られぬよう、完璧な笑みを浮かべてみせた。
しかし、その声は自分でも分かるほど、か細く震えていた。
アレクシスの声が、セレフィアを追い詰める。
セレフィアは、それ以上何も言わなかった。
ただ、静かに、すべての非難を受け止めていた。
反論も、弁明も、必要ない。
ここで罪を認め、断罪されること。
それが、彼女の最後の役目なのだから。
『お願い……早く、終わらせて……』
もう、立っているのも限界だった。
体の芯が冷え切り、視界が明滅を繰り返している。
彼女の沈黙を、罪を認めたものと判断し、アレクシスは満足げに鼻を鳴らした。
そして、彼は最終宣告を下すべく、高らかに声を張り上げた。
「よって、私、アレクシス・エル・ローゼンハイムは、ここに宣言する! 邪悪で嫉妬深い女、セレフィア・フォン・クライスハルトとの婚約を、ただ今をもって破棄する!」
婚約破棄。
その言葉は、まるでゴングのように、彼女の破滅の始まりを告げた。
周囲から、どよめきと、嘲笑が入り混じった声が上がる。
セレフィアは、ゆっくりと目を閉じた。
これで、終わり。
ようやく、重荷を下ろせる。
そう思った、その時だった。
「お待ちください、殿下」
凛とした声が、その場の空気を切り裂いた。
セレフィアが目を開けると、人垣をかき分けるようにして進み出てきた、黒い騎士服の姿があった。
ゼノン・アシュヴァール。
彼の表情は、見たこともないほどに険しく、その瞳は、静かな怒りの炎を宿して、まっすぐにアレクシスを射抜いていた。
『なぜ……あなたが、ここに……』
セレフィアの心臓が、大きく音を立てて跳ねた。
駄目よ、来ないで。
私の計画を、邪魔しないで。
彼女の心の叫びは、しかし、彼には届かなかった。
ゼノンは、アレクシスとセレフィアの間に、まるで彼女を守る盾であるかのように、毅然と立ち塞がったのだった。




