第8話「加速する物語」
ゼノンからの告白を拒絶したあの日を境に、世界の『物語詩』は、まるで堰を切ったかのように、その結末へと向かって加速し始めた。
アレクシス王子とリリアナの仲は、学園中の誰もが知る公然の事実となった。
二人は常に一緒にいて、アレクシスはリリアナを慈しむように見つめ、リリアナは幸せそうに微笑む。
その光景は、一幅の美しい絵画のようだった。
そして、その絵画の隅で、セレフィアの存在は日に日に色褪せ、どす黒い染みのように嫌悪されるだけとなっていた。
廊下を歩くだけで、周囲から心ない声が聞こえてくる。
「セレフィア様、最近また顔色が悪うございますわ。王子にあれほど袖にされて、心労がたたっているのかしら。自業自得ですわ」
もはや、彼女に直接話しかけてくる者すらいない。
完全な孤立。
悪役令嬢として、これ以上ないほど完璧な状況だ。
しかし、セレフィアの心は、鉛を飲み込んだように重かった。
『これで、いいのよ。これで……』
自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、月夜のバルコニーでの出来事が、鮮明に蘇る。
『君を、一人にはしておけない』
あの言葉が、あの真剣な眼差しが、呪いのように彼女の心を縛り付けていた。
ゼノンは、あの日以来、セレフィアに話しかけてくることはなくなった。
ただ、遠くから、じっと彼女を見守っている。
その視線を感じるたびに、セレフィアの決意は揺らいだ。
同時に、『歪み』の発生頻度と規模も、かつてないほどに増大していた。
もはや、学園内だけにとどまらない。
王都のあちこちで、小さな事件や事故が頻発している。
そのすべてが、物語からの逸脱だった。
セレフィアは夜ごと公爵家を抜け出し、誰にも知られず『歪み』を喰らい続けた。
彼女の体は、もう限界に近かった。
贈られたハーブティーも底をつき、咳はひどくなり、時折、血が混じることさえあった。
それでも、彼女は止まれなかった。
止まってしまえば、この愛しい世界が、壊れてしまうから。
そんなある日の放課後、セレフィアは図書室で、床に落ちた本を拾おうとして、激しいめまいに襲われた。
視界がぐにゃりと歪み、立っていられなくなる。
『まずい……!』
壁に手をつき、何とか倒れるのを堪えようとした、その時。
力強い腕が、そっと彼女の体を支えた。
「……大丈夫か」
聞き慣れた、低い声。
顔を上げると、すぐそこにゼノンの顔があった。
「……離して……ください」
「その体で、何を言っている。明らかに異常だ。すぐに医者に……」
「必要ありません、と、言っているでしょう!」
セレフィアは、彼の腕を振り払った。
その拍子に、彼女の体はバランスを崩し、本棚に背中を打ち付けてしまう。
「ぐっ……!」
衝撃で、激しい咳が込み上げてきた。
「ごほっ、ごほっ! げほっ……!」
押さえた口元に、生ぬるい感触が広がった。
彼女がそっと手を開くと、その白い手袋に、鮮やかな赤が点々と染みていた。
それを見たゼノンの顔から、血の気が引いていくのが分かった。
「君は……一体、何を……」
彼の声は、驚愕と、そして深い苦悩に震えていた。
セレフィアは、見られた、と思った。
これ以上、彼に隠し通すことはできない。
自分の体が、もう限界なのだということを。
彼女は、ふらつく足で立ち上がると、ゼノンに背を向けた。
「見なかったことに、してくださいませ。これは、わたくし自身の問題ですわ」
「待て!」
ゼノンが、彼女の腕を掴む。
その手は、かつてないほど強く、彼女の逃亡を許さないという意志に満ちていた。
「どうして、そこまでして一人で抱え込むんだ! 俺では、頼りにならないか! 君の力になることは、できないのか!」
彼の悲痛な叫びが、静かな図書室に響く。
セレフィアは、振り返らなかった。
振り返って、彼の顔を見てしまったら、きっと、すべてを話してしまう。
助けて、と、叫んでしまう。
「ええ。あなたは、頼りになりませんわ。あなたのような平民に、わたくしの苦しみが分かってたまるものですか。もう、二度とわたくしに関わらないで」
だから、彼女は再び、最も残酷な言葉を紡いだ。
掴まれた腕を、力の限り振りほどく。
そして、一度も振り返ることなく、図書室を後にした。
残されたゼノンの拳が、固く、固く握りしめられていたことを、彼女は知らない。
◆ ◆ ◆
数日後、セレフィアの元に、一通の招待状が届いた。
金色の箔押しがされた、豪華な招待状。
『王立魔導学園 卒業記念パーティー』
それは、彼女の物語の、最終章の幕開けを告げる、断罪の舞台への招待状だった。
セレフィアは、その招待状を静かにテーブルに置くと、窓の外を見つめた。
空は、不吉なほどに、赤く燃えていた。




