第7話「月夜の告白」
王立魔導学園の設立記念を祝う舞踏会。
それは、卒業を間近に控えた生徒たちにとって、最後の大きな社交の場だった。
シャンデリアが煌めき、軽やかなワルツの音色がホールに満ちている。
セレフィアは、壁際にたたずみ、踊りの輪をぼんやりと眺めていた。
彼女にダンスを申し込む者など、いるはずもなかった。
誰もが彼女を悪女とみなし、遠巻きにしている。
『これでいい。これが私の定位置』
しかし、その瞳は無意識に、一人の人物の姿を探していた。
黒い騎士服を、誰よりも凛々しく着こなす、若き騎士団長の姿を。
彼は、王族の警護という名目で、ホールの隅に控えていた。
時折、貴族たちに挨拶をされながらも、その視線は、どこか遠くを見ているようだった。
いや、違う。
セレフィアは気づいていた。
彼の視線が、何度も、自分に向けられていることに。
心が、小さく波立つ。
彼から贈られたハーブティーのおかげか、ここ数日、体調は少しだけ持ち直していた。
しかし、心のざわめきは、むしろ大きくなる一方だった。
ワルツが終わり、次の曲が始まるまでの短い間。
不意に、目の前に影が差した。
顔を上げると、そこにゼノンが立っていた。
「一曲、お相手願えませんか、セレフィア嬢」
彼は、貴族の礼に則って、うやうやしく手を差し出した。
周囲が、息を飲む気配がした。
あのゼノン・アシュヴァールが、悪名高いセレフィア・クライスハルトにダンスを申し込んだ。
ホール中の視線が、二人に突き刺さる。
「……わたくしと踊るなど、あなたの評判に傷がつきますわよ、騎士団長」
セレフィアは、わざと冷たく言い放った。
「俺は、他人の評判など気にしない。得などない。ただ、君と話がしたかった。二人きりで、誰にも邪魔されない場所で、話したかった」
ゼノンは動じずに微笑み、彼女の疑問に真っ直ぐに答えた。
その瞳に見つめられ、セレフィアは断る言葉を失ってしまう。
まるで、魔法にかけられたかのように、彼女はそっと、彼の手を取っていた。
ゼノンのリードは、驚くほど滑らかで、力強かった。
ワルツのリズムに乗り、二人の体はゆっくりと回転する。
間近で見る彼の顔は、いつもより少しだけ緊張しているように見えた。
曲が終わり、ゼノンはセレフィアの手を引いたまま、ホールの喧騒を離れ、月明かりが差し込むバルコニーへと彼女を導いた。
ひんやりとした夜風が、火照った頬に心地よい。
眼下には、王都の夜景が宝石のようにきらめいていた。
「セレフィア嬢」
静寂の中、ゼノンが口を開いた。
彼は、セレフィアと向き合うと、真剣な眼差しで彼女を見つめた。
「率直に言う。君の背負う荷物を、半分でいい、俺に背負わせてくれないか」
その言葉は、あまりにもまっすぐで、セレフィアの心の奥深くまで届いた。
「君が何を隠しているのか、何を守ろうとしているのか、俺にはまだ全ては分からない。だが、君が一人で、ボロボロになりながら戦っていることだけは分かる」
「……やめてください」
「君を、一人にはしておけない」
それは、紛れもない告白だった。
恋愛感情という言葉だけでは括れない、彼女の魂そのものを救おうとするような、切実な響きを持った告白。
セレフィアの胸が、激しく痛んだ。
嬉しいのに、苦しい。
この手を取りたいのに、取ってはいけない。
『ダメよ、セレフィア。あなたは、悪役令嬢。決して交わってはいけない』
この温もりを受け入れてしまえば、彼女の決意は、間違いなく崩れ落ちてしまうだろう。
世界を守るという、唯一の使命を、投げ出してしまうかもしれない。
「……お断りします」
セレフィアは、唇を噛みしめ、はっきりと告げた。
「わたくしは、誰の助けも必要としていません。あなたのその言葉は、わたくしへの侮辱ですわ。平民の騎士ふぜいが、公爵令嬢であるわたくしに、気安く触れないでちょうだい」
言える限りの、最も残酷で、最も彼を傷つける言葉を選んだ。
自分の心にも、同じだけの痛みが走るのを感じながら。
ゼノンの表情が、一瞬、深く傷ついたように歪んだ。
しかし、彼はすぐにいつもの冷静さを取り戻すと、悲しげに微笑んだ。
「……そうか。すまなかった」
彼は、それ以上何も言わなかった。
ただ、セレフィアの瞳をじっと見つめ、何かを確かめるように言った。
「だが、覚えておいてほしい。俺は、君の敵ではない。君がいつか、本当に助けが必要になった時、俺は必ず君のそばにいる」
そう言い残し、彼はセレフィアに背を向けて、バルコニーを去っていった。
一人残されたセレフィアは、その場に崩れ落ちそうになるのを、必死で堪えた。
拒絶したのは、自分なのに。
突き放したのは、自分なのに。
なぜ、こんなにも胸が痛いのだろう。
バルコニーの手すりを強く握りしめる。
その指先が、白くなるほどに。
月明かりの下、彼女の頬を、一筋の涙が静かに伝っていった。
それは、この世界に転生してから、彼女が初めて流した涙だった。




