第5話「偽りのティーパーティー」
秋風が薔薇の香りを運ぶ午後、クライスハルト公爵家の庭園で、ささやかなティーパーティーが催されていた。
主催者は、もちろんセレフィア。
招待されたのは、リリアナと、彼女を取り巻く王子や貴族の子息たち、そして、彼女を快く思わない令嬢たち。
表向きは、平民上がりのリリアナに、貴族の作法を教えてやるという名目。
しかし、その場にいる誰もが、これがセレフィアによるリリアナへの新たな嫌がらせの舞台だと理解していた。
『これでいい。これで、リリアナは他の令嬢たちからも距離を置かれる。私が悪意の的になれば、彼女への風当たりは少しは弱まるはず』
セレフィアの真の目的は、リリアナの保護だった。
最近、リリアナへの嫉妬を募らせた一部の令嬢たちが、陰で過激な嫌がらせを計画しているという情報を掴んでいた。
物語にない、危険な『歪み』の兆候だ。
それを防ぐため、セレフィアは自ら悪役の仮面を被り、彼女たちをけん制する必要があった。
「ミストさん、紅茶の淹れ方もご存じないの? まあ、男爵家では仕方ありませんこと?」
取り巻きの一人が、わざとらしく甲高い声でリリアナをあざ笑う。
リリアナは、うつむいて唇を噛んでいた。
アレクシス王子がかばおうと口を開きかけるが、それよりも早く、セレフィアが冷たい声で制した。
「おやめなさい。そんなささいなことで騒ぎ立てるのは、品位に欠ける行為ですわ。わたくしが招待した客人に、無礼を働かないでちょうだい」
その言葉は、一見リリアナをかばっているようで、その実、わたくしの獲物に手を出すなというけん制だった。
令嬢たちは、セレフィアの威圧感に気圧され、不満そうに口をつぐむ。
『これで、しばらくは手出しできないはず』
計画通りに進んでいる。
そう思った矢先、庭園の入り口に、見慣れた黒い騎士服の姿が現れた。
「これはこれは、皆様お揃いで。クライスハルト公爵令嬢、本日はお招きいただき感謝する」
ゼノン・アシュヴァールだった。
彼は、セレフィアが招待したわけではない。
おそらく、公爵家の警備強化という名目で、自ら赴いてきたのだろう。
セレフィアは内心の動揺を隠し、優雅に微笑んだ。
「まあ、アシュヴァール団長。お忙しい中、ようこそいらっしゃいました。どうぞ、そちらにお掛けになって」
ゼノンはうなずくと、少し離れた席に着いた。
しかし、その鋭い視線は、常にテーブル全体の空気を探っている。
『……邪魔をしに来た、というわけね』
セレフィアの計画は、彼女一人が悪役になることで成立する。
そこに、ゼノンのようなイレギュラーな存在が介入することは、望ましくない。
パーティーは、セレフィアの筋書き通り、リリアナへの皮肉と嫌味に満ちた、陰湿な空気で進んでいった。
リリアナはすっかり萎縮し、アレクシスたちは彼女をかばうことで、ますますセレフィアへの敵意を募らせていく。
そんな中、一人の令嬢が、リリアナのドレスの裾にわざと紅茶をこぼした。
「きゃっ! ご、ごめんなさい! 手が滑ってしまって……」
明らかに故意だった。
これは、セレフィアが計画していた以上の、悪意ある『歪み』だ。
セレフィアが咎めようと口を開くより早く、大きな音が響いた。
全員の視線が、音のした方へ向く。
そこでは、ゼノンがわざとらしく自分のティーカップを床に落としていた。
「すまない。俺も手が滑ったようだ。それより、令嬢」
ゼノンは紅茶をこぼした令嬢を、氷のように冷たい目で見つめた。
「あなたのドレスの袖に、茶葉がついている。どうやら、カップが滑る前に、すでに紅茶に触れていたようだ。不思議なこともあるものだな」
その指摘に、令嬢は顔を真っ青にした。
彼女が、カップを傾ける前から指を濡らしていた証拠を、ゼノンは一瞬で見抜いたのだ。
場の空気が凍りつく。
ゼノンは、何事もなかったかのように従者に後片付けを命じると、立ち上がった。
「クライスハルト令嬢。素晴らしいお茶会だったが、急用を思い出した。これにて失礼する」
彼はセレフィアにだけ会釈すると、庭園を去っていった。
しかし、彼の行動が残した波紋は大きい。
令嬢たちは、騎士団長の鋭い観察眼を恐れ、それ以上リリアナに手出しをすることができなくなった。
結果的に、セレフィアの目的は達成された。
しかし、それは彼女の望んだ形ではなかった。
◆ ◆ ◆
パーティーがお開きになった後、セレフィアは一人、庭園に残っていた。
夕暮れの光が、彼女の孤独な影を長く伸ばしている。
「……なぜ、あんなことを」
彼女のつぶやきは、誰に言うでもなく、風に消えた。
「君の望む結末に、少しだけ手を貸しただけだ」
背後からの声に、セレフィアは驚いて振り返った。
そこにいたのは、去ったはずのゼノンだった。
「君は、自分が悪役になることで、リリアナ嬢を他の悪意から守りたかった。違うか?」
「……何を、言って……」
「今日の君は、まるで手負いの獣のようだった。自分以外の誰も寄せ付けず、一人で敵の群れに立ち向かおうとしている。だが、君一人で背負う必要はない」
ゼノンは、セレフィアの数歩手前で足を止めた。
「君の戦いが何なのか、まだ俺には分からない。だが、君が守ろうとしているものを、俺も一緒に守ることはできる。君の共犯者に、俺を加えてはもらえないだろうか」
共犯者。
その言葉は、セレフィアの心の奥深くに、温かい雫のように染み渡った。
孤独な戦いだと思っていた。
誰にも理解されず、ただ一人で破滅に向かう道だと思っていた。
しかし、今、目の前の男は、その道を共に歩むと、そう言っている。
セレフィアは、初めて彼の前で、仮面の下の素顔を隠すことができなかった。
戸惑いと、ほんの少しの安堵が入り混じった表情を。




