第94話 変食ヒロイン、匿名の差し入れ主を“食の選び方”から読もうとする
匿名の差し入れ主について考えれば考えるほど、黒峰恒一の頭の中では答えが増えるどころかむしろ広がっていく。
文化祭前にもらった、甘すぎないもの。
文化祭中にもらった、喉に良さそうな飴。
文化祭後にもらった、楽しそうでよかったですのメモ。
言葉の置き方。
押しつけない距離。
名前を出さないやさしさ。
そこまでは、ことねたちと散々話した。
問題は、その先だった。
「……で、結局誰なんだよ」
昼休みの前方の席で、恒一がぼそっと言うと、ことねがすぐに反応した。
「それを今また最初に戻す?」
「いや、だって気になるだろ」
「気になるけど、昨日のあれで余計わかんなくなったじゃん」
ことねはそう言って、パンの袋を小さくたたむ。
「“みんなちょっとずつ分かる”方向に行っちゃったし」
「夢咲先輩、あれ言っちゃったの自分ですよね」
朱莉が言うと、ことねがすぐに抗議した。
「いやでも本当だったじゃん!」
「本当だったから余計に困ったんだよ」
凛はペットボトルの蓋を開けながら、いつも通りの少し冷めた声で言った。
「正体に近づくというより、“気持ちの方向”だけがはっきりしてきた感じだし」
「朝霧さん、その整理ほんと上手いよねえ……」
「そうでもない」
でも、その“そうでもない”は、否定しきっていない時の声だった。
しおんは静かに座っていて、たぶん話はちゃんと聞いている。
昨日の“名前を出すと変わるから怖い”という一言も、まだ教室の前方の空気に少し残っている気がした。
「とりあえず」
恒一が机に肘をつく。
「差し入れの中身から分かることって、もうあんまりないのか」
「いや、あるかも」
ことねが言いかけた、その時だった。
「あります」
声がした。
しかもやけに迷いがない。
前方の四人が同時にそちらを見る。
毒島ひよりが立っていた。
小柄で、ぱっと見ればおとなしい。
でも、その目だけはいつも通り妙に本気だ。
しかも今日は、手に購買の袋まで持っている。
「……ひよりちゃん」
ことねが先に言う。
「その“あります”の入り方、ちょっと嫌な予感するんだけど」
「嫌な予感ではなく、分析です」
ひよりは真顔で言った。
「先輩たち、その差し入れを“感情の文脈”で読みすぎです」
前方の空気が、一瞬だけ変な方向に引き締まる。
「おお……」
恒一が思わず言う。
「なんか来たな」
「来ました」
ひよりは頷いた。
「食の話なので」
「いや、そうなんだけど」
ことねが身を乗り出す。
「ひよりちゃん、それ今かなり頼もしそうでかなり怖いよ?」
「安心してください。怖いです」
「そこは否定してよ!」
ひよりは平然と前の席へ近づくと、机の上へ購買の袋を置いた。
「先輩、メモ見せてください」
「また?」
「またです」
あまりにも当然に言われて、恒一は少しだけ笑ってしまった。
鞄から三枚のメモを出す。
ひよりはそれを順番に見て、それから目を細めた。
「……なるほど」
「何が分かるんだよ」
恒一が聞くと、ひよりはすぐには答えなかった。
まず、一枚目を見る。
「“甘すぎないものを選びました”」
次に二枚目。
「“喉に良さそうなのを入れておきました”」
最後。
「“楽しそうでよかったです”」
ひよりは三枚をきれいに並べ直してから、静かに言った。
「この人、食に対して無頓着ではないです」
ことねがすぐに反応する。
「え、そこから?」
「そこからです」
ひよりは真顔のままだ。
「まず、一つ目。“甘すぎないものを選びました”」
「うん」
「これは単に“甘いものをあげた”ではありません。“甘さの強さ”を見ている」
「……まあ、そうだな」
恒一が言うと、ひよりは頷いた。
「差し入れをする時、無頓着な人は分かりやすい甘さへ行きやすいです。チョコ、クリーム系、糖の分かりやすい焼き菓子」
「ひよりちゃん、その“無頓着な人”って言い方がちょっと刺さる」
ことねが言う。
「でも、この人は違う。甘いかどうかではなく、“受け取りやすい甘さかどうか”を見てる」
凛が小さく頷いた。
「それは、かなりそう」
「でしょ」
ひよりは少しだけ満足そうにした。
「差し入れで重要なのは、相手が食べやすいかどうかです。自分が渡したいものではなく、相手の負担が少ないものを選んでいる」
その言い方は、意外と本質に触れていた。
「二つ目の喉飴も、そうか」
朱莉が言う。
「はい」
ひよりはすぐに続けた。
「ここで面白いのは、“高級なもの”でも“特別珍しいもの”でもないことです」
「うん」
しおんが小さく頷く。
「喉に良さそう、だけ」
「そうです」
ひよりはしおんを見る。
「つまりこの人、差し入れを“印象に残すための食”として使っていない」
「印象に残すための食?」
ことねが聞く。
「はい。たとえば、すごく高価な喉飴、限定品、珍しい素材、話題性のあるもの。そういう方向へ行けば、相手に“これすごいな”と思わせることはできます」
「ひよりちゃん、今の例えが全部ひよりちゃん寄りなんだよ」
「でも、この人はやらない」
ひよりはことねを無視して続けた。
「派手にしない。珍しくしない。高級にも寄せない。受け取りやすさを優先している」
「……それって、かなり“食べる相手中心”ってことか」
恒一が言うと、ひよりは強く頷いた。
「そうです」
その返事は、やけに気持ちよかった。
◇
「待って」
ことねが手を上げる。
「じゃあつまり、ひよりちゃん的にはこの差し入れ主って、食べ物選びの時に“自分のセンス見せたい人”じゃないってこと?」
「そうです」
「うわ、なんか今のかなり分かりやすい」
「分かりやすく言いました」
ひよりは少しだけ顎を上げた。
「食に詳しくない人ほど、“いいもの=高い・甘い・分かりやすい”に寄りがちです」
「また言い方!」
ことねが笑う。
「でも、この人は違う。たぶん、相手が口に入れやすいか、タイミングに合っているか、という視点が先にある」
凛がメモを見る。
「食に関しても、言葉と同じで押しつけがないんだね」
「はい」
ひよりは言った。
「匿名のやさしさって、言葉だけじゃないんです。食べ物の選び方にも出ます」
その一言で、恒一は少しだけ息を止めた。
言葉の置き方。
食の選び方。
どちらにも同じ方向の性格が出ている。
それは確かに、前より少し人物像に近い。
「……じゃあ、文化祭後の“楽しそうでよかったです”は?」
恒一が聞くと、ひよりは少しだけ間を置いた。
「それは食ではなく感情の文ですが」
「うん」
「でも、その前の二つを踏まえると、最後の一枚にも同じ特徴があります」
「同じ特徴?」
朱莉が聞く。
「はい。“自分が差し入れしたこと”より、“相手がどうなったか”を見ている」
朱莉が小さく目を伏せる。
それは、昨日話していたこととも重なっていた。
「食の差し入れって、本来は“食べてほしい”が前に来やすいんです」
ひよりは珍しく少しゆっくり話した。
「でも、この人は“食べさせたい”より先に、“負担を減らしたい”へ寄っている」
前方の空気が静かになる。
ことねがそれを破るみたいに、小さく呟いた。
「……それ、強いなあ」
「強いです」
ひよりはあっさり認めた。
「かなり強い」
「ひよりちゃんがそこまで言うの珍しくない?」
「珍しくありません。これはかなり明確です」
その断言に、ことねが苦笑する。
「なんかもう、ここまで来ると、差し入れ主像が“やさしい人”から“やさしいうえに食の温度管理まで上手い人”へ進化してる気がする」
「進化ではなく、具体化です」
「ひよりちゃんって、ほんとそういう言い方するよね」
でも、たしかにそうだった。
甘すぎないもの。
喉に良さそうなもの。
楽しそうでよかった、で止まる言葉。
全部が“受け取りやすさ”でつながっている。
◇
「じゃあさ」
ことねが少しだけ前のめりになる。
「ひよりちゃん的に、この人ってどんなタイプだと思う?」
「タイプ?」
「うん。食の選び方から見える性格みたいな」
ひよりは少しだけ考えた。
「まず、見栄が薄いです」
「言い方」
「でもそうです」
ひよりは真顔で続ける。
「高いものや珍しいものに頼らないので、“これを渡した自分”を前へ出したいタイプではない」
「うん」
「次に、観察が細かい。甘さの強度、喉の状態、文化祭後のタイミング。全部、近くで見ていないと選びにくい」
「それはかなり一致してる」
凛が言う。
「今までの分析とも」
「そして」
ひよりは最後のメモへ視線を落とした。
「たぶん、この人は“食べてほしい”というより、“少しでも楽になってほしい”人です」
その一言で、前方の席の空気がぴたりと止まった。
ことねは、もう茶化さなかった。
朱莉も、凛も、しおんも、誰もすぐには言葉を足さない。
“少しでも楽になってほしい”。
それはたぶん、差し入れ主の気持ちをいちばんまっすぐに言い表していた。
自分を見てほしい。
気づいてほしい。
好きになってほしい。
そういうものがないとは言わない。
でもその前に、まず“楽でいてほしい”がある。
だから、甘すぎないもの。
だから、喉に良さそうなもの。
そして、楽しそうでよかった、で終わる。
「……ひよりちゃん」
ことねが、ようやく小さく言った。
「今日、かなりすごいね」
「いつもすごいです」
「そこ自分で言うんだ」
でも、その返しで少しだけ空気が戻った。
朱莉がふっと息を吐く。
「でも、今のはたしかにかなり近いかも」
「うん」
凛も頷く。
「言葉の温度と、食べ物の温度が同じ方向だったってことだし」
「雪代さんは?」
ことねが聞く。
しおんは静かにメモを見てから言った。
「この人、近いけど静か」
「うん」
「で、食の選び方も静か」
それは、ひよりの分析を別の言葉でなぞるみたいだった。
「押さないで届くものを選んでる」
「……やっぱり、ずるいなあ」
ことねが小さく言う。
でも、その“ずるい”は前より少しやわらかかった。
匿名の差し入れ主は、食べ物の選び方まで静かだった。
そしてその静けさは、文化祭が終わって日常へ戻った今のほうが、ずっと深く輪郭を持ち始めている。




