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共学化したばかりの元女子高で、普通の青春を送るはずだった俺が重すぎる彼女たちに囲まれている~男子希少種の俺だけがやたら観察されている件~  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第89話 静かな子は、終わったあとに残る音まで覚えている

 文化祭が終わって数日経っているのに、黒峰恒一はまだ、校内のどこかであのざわめきを探してしまうことがあった。


 廊下を歩く時。

 教室の扉を開ける時。

 放課後、誰もいなくなりかけた前方の席を見る時。


 もう布もない。

 灯りもない。

 入口で足を止めていた来場者の列も、景品を手にして笑う顔も、今はない。


 ないのに、なくなった実感ばかりが残っている。


 その日の放課後、恒一は委員の先生に渡すための残りプリントを職員室へ届けてから、自分の教室へ戻る途中で足を止めた。


 廊下の窓際。

 夕方の光が差し込む場所に、雪代しおんが一人で立っていたからだ。


 壁にもたれているわけでもない。

 スマホを見ているわけでもない。

 ただ、窓の外を静かに見ている。


「雪代」


 声をかけると、しおんはゆっくりこちらを向いた。


「ん」


「まだ帰ってなかったのか」


「今から帰るところ」


「そうか」


 そこで会話が切れてもおかしくないのに、今日はなぜか、そのまま通り過ぎる気になれなかった。


 しおんも、すぐに歩き出す感じではない。


 窓の外では、校庭の端を運動部が走っている。

 掛け声が、少し遅れてここまで届く。

 風に乗って、遠くの笑い声も混ざる。


「……何見てたんだ?」


 恒一が聞くと、しおんは少しだけ考えるように瞬いた。


「音」


「音?」


「うん」


 それだけでは分からなくて、恒一はしおんの隣に立った。


「今日は、まだ少し文化祭のあとみたいな音してるから」


「文化祭のあとみたいな音、って何だよ」


 しおんは窓の外を見たまま、静かに言った。


「にぎやかじゃないのに、少しだけ余韻がある感じ」


「……そんなの分かるのか」


「分かる時ある」


 しおんの声は、相変わらず小さい。

 でも、その小ささの中にちゃんと確信があった。


「文化祭の時って、教室の音がいつもと違った」


「それはまあ、そうだな」


「人が入ってくる足音。入口で止まる時の空気。ことね先輩の声の張り方。凛先輩が短く指示する声。火乃森先輩が札を直す時の紙の音」


 しおんは、まるで目で見た景色を一つずつ並べるみたいに言う。


「黒峰くんが、人を奥へ流す時の歩幅も」


 そこで恒一は少しだけ目を細めた。


「歩幅まで覚えてるのか」


「覚えてる」


「なんで」


「音が違うから」


 その返しが、しおんらしすぎて少し困る。


「普通の歩き方と違った?」


「うん。少し急いでるけど、急がせすぎない歩き方」


「何だそれ」


「文化祭の歩幅」


 しおんはごく自然にそう言った。


 言い方は不思議なのに、なぜか少しだけ分かるのが嫌だった。


     ◇


 二人でゆっくり階段を下りる。


 校舎の中はもう帰る生徒のほうが多く、教室から漏れる声も少なくなっていた。

 階段の踊り場の窓から、夕方の空が少しだけ紫へ寄っていくのが見える。


「雪代ってさ」


「ん」


「文化祭のこと、けっこう覚えてるんだな」


「覚えてるよ」


「見た感じ、あんまり引きずってなさそうなのに」


「引きずってる、とは少し違うかも」


「違う?」


「うん」


 しおんは手すりへ軽く指を添えながら言う。


「なくなったから、残ってる感じ」


 その表現が、あまりにも静かで綺麗だった。


 なくなった。

 だから残ってる。


 たしかに文化祭の余韻というのは、そういうものかもしれない。

 今そこにあるものじゃない。

 消えたあとに、どこかへ薄く残るものだ。


「ことね先輩の声も、前より少し違うし」


 しおんが続ける。


「凛先輩も、文化祭のあと少しだけ本音増えた」


「それは俺も思う」


「火乃森先輩も、前より静かな時にちゃんと喋る」


「それも分かる」


「黒峰くんも」


 そこでしおんは少しだけ言葉を区切った。


「文化祭のあと、少しだけ止まる回数増えた」


「止まる?」


「うん。前より、何か思い出してから返事する時ある」


 その観察がまた正確すぎて、恒一は思わず苦笑した。


「……見すぎだろ」


「見えるだけ」


「それ、見てるのと何が違うんだよ」


「見ようとしてないところ」


 しおんは少しだけこちらを見る。


「でも、見えると覚える」


 それはたぶん、しおんのやさしさでもあるのだろう。


 押しつけない。

 問い詰めない。

 でも、ちゃんと拾っている。


     ◇


 昇降口を出ると、空気は少しひんやりしていた。


 校門のほうへ向かう生徒の流れに混ざりながら、二人でゆっくり歩く。

 文化祭前なら、ここで特に何か話すこともなく別れていたかもしれない。


 でも今は、その沈黙も少しだけ自然だった。


「……楽しかったんだな、やっぱり」


 恒一がぽつりと言うと、しおんは少しだけ目を細めた。


「うん」


「お前、文化祭中もそんなに大きくはしゃぐ感じじゃなかったのに」


「はしゃいではない」


「ないな」


「でも、楽しかった」


 短い。

 でも、すごく本当の声だった。


「灯り合わせるのも、入口の空気見るのも、みんなの声が変わっていくのも、楽しかった」


「声が変わっていくのも?」


「うん。ことね先輩は最初よりちゃんと落ち着いたし、凛先輩は最後のほう少し丸くなった」


「火乃森は?」


「途中から、できあがっていくのが嬉しそうだった」


「……俺は?」


 なんとなく聞いてしまう。


 しおんは少しだけ考えたあとで答えた。


「最初は“巻き込まれてる人”の音だった」


「ひどいな」


「でも、途中から“中にいる人”の音になった」


 その言葉に、少しだけ息が止まる。


 文化祭の間に、自分の立ち位置が変わっていたことは、たぶん自分でも薄々わかっていた。

 でも、それをしおんみたいに静かに言葉にされると、妙に胸へ残る。


「……それ、ちょっと嬉しいな」


 素直にそう言うと、しおんはほんの少しだけ笑った。


「うん。私も、そうなってよかったと思ってる」


 その返しが、あまりにもやわらかかった。


     ◇


 駅へ向かう大きな道の手前で、しおんがふと足を止めた。


「どうした?」


「少しだけ、今の音」


「今の?」


「うん」


 しおんは耳を澄ますみたいに、ほんの少しだけ目を伏せた。


 車の音。

 自転車のベル。

 遠くの笑い声。

 誰かが駅のほうへ走る足音。


「……文化祭のあとに似てる」


「今が?」


「うん。にぎやかじゃないのに、少しだけ心だけ起きてる感じ」


 その表現が、前日準備の夜にも少し似ていた。

 体は疲れているのに、心だけ妙に眠らない感じ。


「雪代って、本当に音で覚えてるんだな」


「覚えてる」


「文化祭のこと」


「うん」


「そこまで残るもんか」


 しおんは少しだけ空を見た。


「楽しかったのが、音で残ってる」


 その一言が、今日の全部だった。


 派手な言葉じゃない。

 でも、文化祭の余韻をこんなふうに言える人はたぶんしおんしかいない。


 恒一はしばらく何も言えなかった。

 言葉にすると、少しだけ壊れそうな気がしたからだ。


「……たぶん、それ俺も少しある」


 ようやくそう言うと、しおんは静かにこちらを見た。


「ほんと?」


「うん。教室入る時とか、前のほう見る時とか。まだどっかに残ってる感じする」


「うん」


 しおんはゆっくり頷く。


「それなら、よかった」


「なんでお前が安心するんだよ」


「一人だけじゃないほうがいいから」


 その返しが、ひどくしおんらしかった。


     ◇


 駅前が見えてきたところで、しおんが小さく言った。


「黒峰くん」


「ん?」


「文化祭、終わったけど」


「うん」


「終わったから残るものもあると思う」


「……さっきの、“なくなったから残ってる”ってやつか」


「そう」


 しおんは少しだけ笑った。


「だから、今の少し変な感じも、たぶん悪くない」


 その言葉に、恒一はゆっくり息を吐いた。


 文化祭のあと、静かな子は、終わったあとに残る音まで覚えている。

 そしてその静かな記憶の中に、自分のことまでちゃんと入っているのだと知ってしまうと、たぶん前より少しだけ、その子のことが頭に残る。


 駅の改札前で別れる時、しおんはいつも通り小さく「また月曜」と言っただけだった。

 それだけなのに、その声の余韻が、文化祭の残り香みたいにやけに長く残った。

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