第82話 打ち上げの席順は、たかが席順では済まない
文化祭が終わったあとの教室には、独特の気の抜け方がある。
大きな山を越えたあとの、ほっとしたような。
でも、まだ完全には日常へ戻りきっていないような。
笑い声はいつも通りあるのに、その中へ少しだけ余韻が混ざっている。
そんな昼休みの二年B組で、夢咲ことねはスマホの画面を見つめながら、わりと本気で困っていた。
「……ねえ」
前の席へ来るなり、ことねは黒峰恒一へ声をかけた。
「ん?」
「土曜の打ち上げさ」
「うん」
「駅で一緒に行く?」
その一言は、驚くほど自然な顔で出された。
自然な顔で出されたのだが、言われた瞬間、恒一はほんの少しだけ箸を止めた。
同時に、向かいに座っていた朝霧凛の視線も、すっと上がる。
「……集合、駅前じゃなかったか?」
恒一が言うと、ことねは一瞬だけ「あ」と口を開いた。
「いや、そうなんだけど」
「じゃあ一緒に行くも何も、駅前で会うだろ」
「そうなんだけどさ!」
ことねは少しだけ身を乗り出した。
「こう、家出る時間とか、途中で合流とか、あるじゃん!」
「夢咲さん」
凛が、やけに落ち着いた声で言った。
「なに」
「別にみんなで行けばよくない?」
ことねの動きが一瞬止まる。
「……その“別に”の言い方、今ちょっと嫌だな」
「嫌って何」
「なんか、すごく自然っぽく言ってるけど、今のはわりと牽制だったでしょ」
「してない」
「してるよ」
ことねはきっぱり言った。
「朝霧さん、たまにそういうとこだけ分かりやすすぎるんだよ」
「夢咲さんにだけは言われたくない」
「はいはい、そこは自覚ありますー」
ことねはそう言ってから、また恒一を見る。
「でも、実際どうするの?」
「どうするって」
「だから、駅前集合の前にさ」
ことねはスマホを持った手を軽く振る。
「誰かと途中で会うのか、そのまま一人で行くのか、って話」
その問い自体は普通だ。
普通なのに、なぜか少しだけ普通じゃない空気になる。
それはたぶん、文化祭のあとだからだ。
準備期間と本番を通って、誰と一緒にいる時間が長かったか、みたいなことを、みんなが少しずつ意識してしまっている。
だから、「駅で一緒に行く?」程度の話でも、妙に意味が増える。
「……別に、普通に駅前行くだけだけど」
恒一が答えると、ことねは少しだけ口を尖らせた。
「普通にって何」
「何でもないけど」
「それだと何にも分かんないじゃん」
そこで、窓際から小さく笑う気配がした。
火乃森朱莉だった。
「ことね先輩、今日ちょっと分かりやすすぎない?」
「火乃森さんまでそういうこと言う?」
「言うよ。だって今の、“自然に一緒に行く流れ作れないかな”って顔だったし」
「うわー……」
ことねが本気で顔をしかめる。
「最近みんな観察力上がりすぎじゃない?」
「文化祭で鍛えられたんじゃない?」
朱莉は平然としている。
「人の顔とか空気とか、前より見えるようになってる感じあるし」
「それ言われると否定しづらい……」
そこへ、しおんが静かに口を開いた。
「でも、ことね先輩だけじゃないと思う」
前方の空気が少しだけ止まる。
「え?」
ことねが聞く。
「何が?」
「自然に一緒に行ける理由、少し考えてるの」
しおんは穏やかな声で続けた。
「みんな少しは」
その一言が、静かなのにひどく強かった。
ことねが目を丸くする。
凛は視線を逸らす。
朱莉は苦笑を飲み込むみたいに口元を押さえた。
恒一だけが、言葉に困る。
「……雪代さん、それ今言うのかあ」
ことねが小さく言う。
「本当だから」
しおんはやっぱり静かだ。
「打ち上げって、文化祭の続きみたいなものだし」
「うん」
「だから、誰と行くかも少し気になる」
その言い方は、あまりにも自然で、あまりにも正確だった。
◇
昼休みの会話は、一度そこで微妙な静けさを作ったあと、結局また打ち上げの現実的な話へ戻っていった。
駅前のファミレス。
時間は夕方。
来られる人は現地集合。
大人数になりすぎるようなら、席だけ先に確認しておく。
そういう実務的なことを、結局ことねと凛が中心になって決めていく。
「じゃあ、とりあえず駅前に一回集まる感じでいい?」
ことねがノートへメモを取りながら言う。
「それが一番安全でしょ」
凛が答える。
「個別に待ち合わせると、あとで誰がどこと来たかとか面倒だし」
「朝霧さん、その“安全”って言い方だいぶ本音っぽい」
「別に」
「いや、今のは完全にそうでしょ」
ことねが笑うと、凛は小さくため息をついた。
「だって、そういうところから余計な意味増えるんだから」
「それは……まあ、そうだけど」
「なら最初から駅前集合でいい」
その言い方が妙にきっぱりしていて、ことねは一瞬だけ口を閉じた。
たぶん、少しだけ悔しいのだろう。
凛の言っていることが正しいからこそ。
「じゃあ、幼馴染特権も使えないね」
朱莉がぼそっと言う。
ことねがすぐに反応した。
「それ!」
「何」
「今のそれだよ。火乃森さん、それ自分でもちょっと思ったでしょ」
朱莉は少しだけ眉を上げた。
「何を」
「“幼馴染だから一緒でも不自然じゃない”ってやつ」
朱莉は数秒だけ黙って、それから小さく笑った。
「……まあ、ゼロではないかも」
「ほらー!」
「でも」
朱莉はすぐに続ける。
「それ使うのもなんか違うかなって思った」
「違う?」
恒一が聞くと、朱莉は肩をすくめた。
「だって、それやると“昔から近いから今もそのままでいられる”みたいでしょ」
その言葉は、思ったより静かで、思ったより深かった。
「文化祭終わって、みんなちょっとずつ距離変わってるのに、自分だけ昔からの立場でそこに乗るの、なんかずるい気がして」
ことねが、少しだけ真面目な顔になる。
「……火乃森さん、それかなり本音?」
「かなりかも」
「うわ、急に重い」
「ことね先輩が拾うからでしょ」
「だって今の、拾うでしょ普通」
朱莉は少しだけ笑う。
でも、その笑いの下にはたしかに本音があった。
幼馴染であることは強い。
自然だし、昔からの距離がある。
でも、それだけで今の距離感まで全部保証されるわけじゃない。
文化祭のあとだからこそ、そのことが前よりはっきり見えているのだろう。
◇
放課後。
打ち上げの細かい確認をするために、ことねがまた前方の席へ集まる流れを作った。
「じゃあ、一応もう一回確認ね」
ことねがノートを机へ広げる。
「土曜、夕方五時に駅前集合。来られる人は現地にその時間でいい?」
「いいよー」
「たぶんいける」
「部活あとでも間に合うはず」
何人かの返事が飛ぶ。
それ自体は普通のクラスの打ち上げ準備だ。
でも、その中でほんの少しだけ、別の空気が混ざる。
「駅前集合ってことは、誰かと途中で一緒になるとかは別に自由なんだよね?」
ことねが、何気ない顔で聞いた。
「自由だけど」
凛が答える。
「でも、そこで“誰と来たか”がまた変に見られる可能性はある」
「朝霧さんって、ほんとに最後までそこ見るよね」
「見といたほうが楽だから」
「いや、理屈は分かるんだけどさ」
ことねは苦笑する。
「文化祭終わって打ち上げの話してるのに、まだこういうとこで気を使うのちょっと面白いなって」
「面白くはないでしょ」
凛が言う。
「ただ面倒なだけ」
「朝霧さん、その返し今日三回目」
「本当なんだから仕方ない」
しおんが、静かに言った。
「でも、少し気にするくらいでいいと思う」
「雪代さん?」
「うん」
「どういう意味?」
「気にしすぎると、打ち上げなのに疲れるから」
その一言で、ことねが一瞬だけ黙る。
「……たしかに」
「行く前から疲れるの嫌」
しおんはそう言って、少しだけ視線を落とした。
「せっかく文化祭のあとだから」
その言い方はすごくしおんらしかった。
大きなことを言うわけではない。
でも、本当に大事なところだけは外さない。
「じゃあもう、駅前でみんな集合、それまで各自自由、着いたら深く追及しない、でいいんじゃない?」
恒一が言うと、ことねがすぐにこちらを見る。
「え、今のだいぶいいかも」
「黒峰くん、たまにそういう中間取るのうまいよね」
凛も頷いた。
「うん。余計に意味増やさないライン」
「褒めてるのか?」
「今日は褒めてる」
「今日は、なんだ」
ことねが笑う。
「でもほんと、それでいこうよ。駅前に一回集まる。それまでの途中は、それぞれ好きに来る。で、着いたあとに“誰と来たの?”みたいなのはなし」
「夢咲さん、それ自分で言ってて守れる?」
「……努力はする」
「今の“努力はする”は信用できないな」
朱莉が静かに言うと、ことねは本気で不服そうな顔をした。
「火乃森さんまで!」
「でも、さっきのことね先輩見てたら、ちょっと気になって聞きそう」
「うっ」
図星だったらしい。
◇
話がひとまずまとまって、みんなが少しずつ帰る準備を始めたころだった。
ことねが、黒峰の机の横へ来て小さく言う。
「ねえ」
「ん?」
「さっきのさ」
「どれ」
「駅で一緒に行く? ってやつ」
「ああ」
「わりと自然に聞けると思ったんだけどなあ」
その言い方が、少しだけ拗ねていて、それでいてどこか可笑しかった。
「自然ではあっただろ」
「ほんと?」
「ただ、周りが今そういう空気に敏感すぎる」
「それはそう」
ことねは少しだけ笑う。
「でも、ああやって一回言ってみて、すぐ朝霧さんに割られて、火乃森さんに幼馴染特権の話まで出されると、打ち上げ前なのにすでに疲れるね」
「お前が始めたんだろ」
「始めたけど!」
ことねは肩を落としたあと、すぐに口元をゆるめた。
「でも、ちょっと面白かった」
「面白いのかよ」
「うん。だってさ」
ことねは教室の前方を見た。
「文化祭終わったあとで、こうやって“誰とどう近いか”が少しずつ見えてくるのって、なんか……前より嘘が減った感じするし」
その言い方は、少しだけ本音っぽかった。
「前より嘘が減った?」
「うん。文化祭前は、“たまたま”“なんとなく”“係だから”って言えたでしょ」
「今も言えるだろ」
「言えるけど、前ほどそれだけじゃないって、みんな薄々分かってる感じ」
ことねは小さく笑った。
「だから、席順とか集合の仕方とか、そういうどうでもいいはずのとこが、ちょっとだけどうでもよくなくなるんだよね」
その言葉に、恒一は少しだけ言葉を失った。
たしかにその通りだった。
打ち上げの席順なんて、本来はたかが席順だ。
誰と駅で会うかなんて、本来はどうでもいい。
でも、文化祭を通って少し変わってしまった今は、その“たかが”が少しだけ重くなる。
「……めんどくさいな」
恒一が言うと、ことねは笑う。
「うん。めんどくさい」
「でも、嫌ではない」
「それも、うん」
ことねは素直に頷いた。
打ち上げの席順は、たかが席順では済まない。
それはたぶん、文化祭が終わっても、まだちゃんと終わっていないものがあるからなのだろう。




