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共学化したばかりの元女子高で、普通の青春を送るはずだった俺が重すぎる彼女たちに囲まれている~男子希少種の俺だけがやたら観察されている件~  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第76話 文化祭当日、教室の入口に立つだけで空気は変わる

文化祭当日の朝、黒峰恒一は校門をくぐった瞬間から、いつもと違う学校の匂いを感じていた。


 少し早い時間なのに、人が多い。

 飾りつけの紙の匂い、ワックスの残る床、朝から騒いでいる運動部の声、模擬店の準備をしているらしい甘い匂い。

 普段の星ヶ峰学園より、何もかも一段だけ濃い。


「……ほんとに当日なんだな」


 小さく呟いてから、教室棟へ向かう。


 昨日の前日準備で、ほとんど形にはなった。

 でも、“できあがった教室”として見るのは今日が初めてだ。


 扉の前まで来て、恒一は一瞬だけ足を止めた。


 深呼吸を一つ。

 それから扉を開ける。


「――うわ」


 思わず、それしか出なかった。


 教室は、ちゃんと別の場所になっていた。


 入口の横には、和紙を使った柔らかな札。

 低い位置に置かれた案内が、来る人の足を自然に少しだけ止める。

 壁際の布は、教室の無機質な線をきれいに隠していて、灯りは朝の光の中でもやわらかく空気を整えていた。

 奥へ進むほど少しずつ世界が変わっていく感じがある。

 派手じゃない。

 でも、ちゃんと“入ってみたい”空間だった。


「でしょ」


 入口のすぐ横から、ことねの声がした。


 振り向く。

 夢咲ことねは、今日はいつもより少しだけ大人っぽい雰囲気の和風寄りの髪飾りをつけていた。制服ベースではあるが、広報担当らしく見栄えを意識した整え方をしている。朝から目がきらきらしているくせに、声はちゃんと落ち着かせようとしているのが分かった。


「すごいだろ、って顔してる」


 恒一が言うと、ことねは胸を張った。


「してるよ。だってすごいもん」


「いや、ほんとにすごい」


「えへへ」


 ことねは少し笑って、それからすぐに入口の札の角度を直した。


「でもまだ本番前だからね。油断しない」


「昨日までの夢咲なら、もうちょっと浮かれてただろ」


「浮かれてるよ?」


「いや、そこじゃなくて」


「分かってるって。今日は“ちゃんとやる夢咲ことね”だから」


 その言い方が、妙にことねらしくて、恒一は少しだけ肩の力が抜けた。


     ◇


「黒峰」


 中から凛の声が飛んできた。


「おはよう」


「おはよう。来たならまずこれ見て」


 朝霧凛は、すでに教卓の横でメモと備品表を広げていた。

 今日も今日で、現実担当はぶれない。


「何だよ、朝一で」


「何だよじゃない。開場まであとそんなにないんだから、動線最終確認」


「うわ、いつも通りだな」


「いつも通りじゃないと困るでしょ」


 凛はそう言いながら、教室の入口から奥までを指でなぞるように説明する。


「最初、夢咲さんが入口で案内。人が固まりすぎたら黒峰が少し奥へ流す。体験コーナーの列が伸びたら一回ここで切る。景品の補充は私か火乃森さん。雪代さんは灯りと空気の確認優先」


「空気の確認優先、って役割あるんだ」


 恒一が言うと、凛は少しだけ真面目な顔で頷いた。


「あるよ。今日のこの教室、あの空気が崩れると一気に普通になるから」


 そこへ、窓際からしおんの声が静かに入る。


「今日は朝の光強いから、入口側の灯りは少し弱めでいいと思う」


 雪代しおんは、昨日の最後と同じように、灯りの位置を見ながら立っていた。

 派手な格好をしているわけではない。

 でも、その静かな存在感が、教室の雰囲気と妙に噛み合っている。


「もう見てたのか」


 恒一が聞くと、しおんは小さく頷く。


「うん。朝は昨日と全然違うから」


「やっぱりそうなんだな」


「うん。昼になると、また少し変わると思う」


 それを聞いて、ことねがすぐにメモを取った。


「昼で見え方変わる、っと」


「夢咲さん、そこちゃんと拾うのえらいね」


 凛が言う。


「今日は広報も案内もやるからね。私、かなりちゃんとしてるよ?」


「朝から自分で言うあたりが夢咲さん」


「朝霧さんって、ほんとそこ一言多い!」


 そのやり取りに、小さな笑いが起きる。


     ◇


 朱莉は、教室の奥で景品と札の最終位置を確認していた。


「火乃森、そっちはどうだ」


 恒一が声をかけると、朱莉は振り向いて軽く手を上げた。


「だいぶいい。あとこれ、ちょっと右」


「どれ」


「木札。傾きが一ミリ気になる」


「一ミリ?」


「一ミリ」


 真顔で言われると、なぜか逆らいにくい。


 恒一が札を少し直すと、朱莉は一歩下がって見て、やっと頷いた。


「うん。今の」


「そこまで違うのか」


「違うよ。こういうの、目に入る時は変に入るから」


 朱莉は少しだけ目を細めた。


「今日、人いっぱい来るんだから、“なんか雑だな”って思われるの嫌だし」


「火乃森さん、ほんとにそういうとこ強いよね」


 ことねが言う。


「見える完成度っていうか」


「まあ、そこはちょっと意地かな」


 朱莉はあっさり言った。


「ここまでやったら、ちゃんと“作った感”ある教室にしたいし」


 その言葉が、ひどく頼もしかった。


 目立って前に出るわけじゃない。

 でも、見える形を最後まできっちり整える。

 それが朱莉の強さなのだろう。


     ◇


 開場時間が近づくにつれて、教室の外の廊下もざわついてきた。


 他のクラスの呼び込みの声。

 足音。

 笑い声。

 友達同士で移動する生徒たち。

 文化祭独特の“浮いた空気”が、廊下を満たし始める。


 ことねが入口の横へ立つ。

 凛は教卓脇のメモ位置で全体を見る。

 朱莉は奥で最後の位置確認。

 しおんは入口から少し引いた位置で灯りと人の流れを見る。

 恒一は、入口と奥のちょうど真ん中に立った。


「……なんか、緊張してきた」


 ことねが小さく言う。


「今さら?」


 凛が聞く。


「今さらだよ! だって本番じゃん!」


「昨日から本番前の顔してたけど」


「それはそれ、これはこれ!」


 ことねはそう言いながらも、深呼吸を一つした。


「でも、やるしかない」


「うん」


 恒一が頷く。


「ここまで来たしな」


 その一言に、ことねが少しだけ笑う。


「そういうの、今のタイミングで言うのいいよね」


「何だよそれ」


「なんか、ちゃんと始まる感じするから」


 言われてみれば、そうかもしれなかった。


 ここまでの数日。

 机を動かして、掃除して、布を選んで、灯りを見て、買い出しに行って、札を書いて。

 全部が今日へ続いている。


「来る」


 しおんが、小さく言った。


 その声の直後、最初の来場者が教室の前を通りかかった。


 ことねが、ぱっと顔を上げる。

 その瞬間、空気が変わった。


「いらっしゃいませ!」


 明るい。

 でも、うるさくない。

 昨日までの“少し静かなことね”を通ってきたからこそ出せる、ちゃんと整った明るさだった。


「和風の体験コーナーやってます。よかったらどうぞ!」


 呼び込みの声に釣られるように、数人が足を止める。

 札を見る。

 灯りを見る。

 少しだけ中を覗く。


 しおんの言っていた“止まりすぎないけど、一回空気を見る”が、そのまま起きていた。


「うわ、すごい」


 ことねが小声で言う。


「ほんとに止まった」


「だから言ったでしょ」


 凛が言う。


「この入口、ちゃんと機能するって」


「今その“だから言ったでしょ”いらなくない!?」


「でも本当だし」


 最初の来場者が中へ入る。

 それに続いて二組目。

 三組目。


 気づけば教室の中に人の流れが生まれていた。


     ◇


 そこから先は、一気だった。


 ことねは入口で、人を引き込む。

 呼び込み方がうまい。

 勢いだけじゃなく、相手の反応を見て声を調整している。

 ちょっと覗いていきたい人には軽く。

 入りたいけど迷っている人には一歩だけ背中を押す。


 凛は裏で全体を回していた。

 景品の減りを見て、札の向きを直し、混み始めた位置を整理する。

 誰かが少し詰まると、自然に一番必要な指示だけを飛ばす。


「黒峰、そっち二人流して」

「夢咲さん、一回入口の説明短くして」

「火乃森さん、景品あと五個前に出せる?」


 全部、短くて、正確で、余計がない。


 朱莉は見える完成度を守る。

 札が曲がれば直す。

 景品の並びが崩れれば整える。

 雑に見えそうなところを片っ端から“ちゃんとして見える”位置へ戻していく。


 しおんは、教室の温度を見ていた。

 人が増えると灯りが少し強すぎる。

 そう思えば一段落とす。

 入口で人が止まりすぎると分かれば、立つ位置を少しだけずらす。

 声を大きく出さないまま、一番空気を整えているのはたぶんしおんだった。


 そして恒一は、その全部の間をつなぐ役になっていた。


 入口で人が増えれば少し奥へ流す。

 体験コーナーの列が混めば整理する。

 景品の位置を変える。

 足りなくなった備品を取る。

 ことねの声だけでは拾いきれない来場者へ説明する。

 凛が裏で回している流れを、表で実際に動かす。


「黒峰くん、そっちお願い!」


「了解!」


 ことねの声に反応しながら、恒一は思う。


 ちゃんと、回っている。

 この教室は、ほんとうに一つの空間として機能している。


 そしてそれは、誰か一人の力じゃない。

 それぞれの“得意な近づき方”が、そのまま役割として噛み合っているからこそ回るのだ。


     ◇


 昼に近づくにつれて、来場者はさらに増えた。


「ちょっと待って、想定より多くない?」


 ことねが笑いながら言う。


「いいことだよ」


 凛はそう返しつつも、景品の残数を数えている。


「でも午後まで持たせるなら、一回このペース調整する」


「朝霧さん、そういうとこだよねえ……」


「何」


「すっごい頼れる」


「今、忙しいからその反応困る」


 そんな会話をしている横で、朱莉は一人の来場者に小さく声をかけていた。


「その札、引くと説明出ます。順番に見てもらえれば」


 言い方は穏やかだ。

 でも、迷っている相手をちゃんと正しい位置へ戻せる声だった。


 しおんは入口の灯りを少しだけ直してから、ふと恒一を見た。


「今、ちょうどいい」


「何が」


「空気」


 その一言だけで、なぜか報われる。


「雪代さん、それ今かなり効く」


 ことねが言う。


「今日のその“ちょうどいい”は本物だし」


「本物だよ」


 しおんは静かに頷いた。


     ◇


 一瞬だけ手が空いた時、恒一は入口側から教室の中を見た。


 人がいる。

 笑いがある。

 立ち止まる人がいる。

 奥まで入っていく人がいる。

 札を見る人。

 写真を撮る人。

 景品を手にして少し嬉しそうな顔をする人。


 その全部が、この数日で作ってきたものの上に乗っている。


「……すごいな」


 また、自然にそう思った。


 文化祭当日、教室の入口に立つだけで空気は変わる。

 そして、その空気をちゃんと変えられた今、自分はふと別のことを考えてしまう。


 この空間を、誰かが見ているのかもしれない。


 甘すぎないものを選んだ誰か。

 喉に良さそうな飴を入れた誰か。

 今の自分たちを、近くで、でも名前を出さずに見ている誰か。


 このにぎやかな教室のどこかに、その視線があるのかもしれない。


 そう思った瞬間、文化祭の楽しさの下に、あの匿名の気配がまた静かに戻ってくるのを感じた。

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