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共学化したばかりの元女子高で、普通の青春を送るはずだった俺が重すぎる彼女たちに囲まれている~男子希少種の俺だけがやたら観察されている件~  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第74話 “喉に良さそうなのを入れておきました”――匿名は、まだ終わらない

飴を一つ、机の中から取り出したまま、黒峰恒一はしばらく動けなかった。


 教室にはもう誰もいない。

 窓の外は夕方を越えて、夜の手前の青さへ沈みかけている。

 廊下の向こうから、どこかの部活帰りらしい笑い声が薄く聞こえるだけだ。


 その静かな教室の中で、恒一の指先には小さな個包装の飴が一つ。


「……また、か」


 小さく呟く。


 ただの飴だ。

 どこにでも売っていそうな、淡い色の丸い飴。

 高価でもないし、特別珍しいわけでもない。


 でも、机の中に入っている時点で、もうただの飴ではない。


 差出人不明。

 机の中。

 自分に向けて。

 この条件が揃った時点で、もう意味は発生している。


 恒一は飴を手のひらで転がすように見て、それからもう一度机の中へ視線を戻した。


「……ない、よな」


 念のため、奥まで見る。

 ノートを少しずらし、教科書を持ち上げる。


 そこでようやく、机の奥の角に、小さく折られた白い紙が見えた。


 息が、少しだけ止まる。


「おい……」


 さっきより小さい声が出る。


 飴だけではなかった。

 やはり、ある。

 あると思っていたわけじゃない。

 でも、ないとも言い切れなかった。


 恒一はゆっくり指先でその紙をつまみ、机の外へ出した。


 小さく、丁寧に折られている。

 前のメモと同じくらいの大きさ。

 ただ、それが同じ人の字かどうかは、開かないと分からない。


 飴を机の上へ置く。

 その横に、白い紙。


 嫌な汗をかく感じではない。

 怖いというより、心臓だけが妙にうるさい。


 開く。


 短い一文。

 整っていて、でも綺麗すぎない字。

 少しだけ見覚えのある、あの“ちゃんと読めるけど癖は強くない”文字。


『喉に良さそうなのを入れておきました』


 それだけだった。


 短い。

 短いのに、妙に近い。


 甘すぎないものを選びました。

 喉に良さそうなのを入れておきました。


 前回より、もう少し今の自分を見ている。

 文化祭準備で声を出して、話して、少し疲れている今の自分を。


「……かなり見てるな」


 思わずそう漏らした時、自分の声が少しかすれていることに気づく。

 だからなおさら、この一文の意味が変に生々しかった。


 喉に良さそう。


 つまり、声を使っているのを見ていた。

 文化祭準備で喋ることが増えているのも、ここ数日のことだ。

 しかも、このタイミングで机に入れられたということは、最近の自分を近くで見ている。


 ただ優しい。

 ただ気が利く。

 そういう言葉だけでは、もう足りない気がした。


 恒一は、しばらくメモを見つめたあと、深く息を吐いた。


「……帰るか」


 このまま一人で考えても、たぶんろくな方向へ行かない。


 でも、誰かに言うべきかどうかは、少しだけ迷った。


 迷った末に、結局メモも飴もポケットへ入れた。

 隠すつもりではない。

 ただ、今日は教室で開きっぱなしにしておく気分ではなかった。


     ◇


 翌朝、教室へ入る前から、少しだけ気分が落ち着かなかった。


 いつも通り机を確認する。

 何もない。


 それでよかったはずなのに、昨日の飴とメモがあるせいで、机が空なのが逆に静かすぎる気さえした。


「おはよー」


 夢咲ことねが、後ろからいつもの調子で声をかけてくる。


「おはよう」


「……あれ?」


 ことねは、返事を聞いた瞬間に少しだけ首を傾げた。


「なに」


「今の“おはよう”、ちょっと重かった」


「朝の第一声からそれ言うのかよ」


「言うよ。だって分かりやすいもん」


 その“分かりやすい”が、今日はいつも以上に図星だった。


 ことねは席へ鞄を置きながら、じっとこちらを見る。


「何かあった?」


「……いや」


「“いや”の温度がもうだめなんだって」


 そこへ凛もやってきた。

 席へノートを置いて、ことねと恒一の顔を順番に見て、ため息交じりに言う。


「また何か入ってたの?」


 今度は、恒一が目を丸くする番だった。


「なんでそうなる」


「今の黒峰、完全にそれ系の顔だから」


「それ系ってなんだよ」


「机を確認して、何もなかったのに、別の何かをまだ引きずってる顔」


 説明が正確すぎて、何も言えない。


 ことねが即座に食いつく。


「え、ちょっと待って。ほんとに?」


「……昨日」


 そこで、もう隠す意味もないと判断した。


「飴が入ってた」


 ことねが止まる。

 凛の眉も、わずかに動く。

 窓際で席に着こうとしていた朱莉も、こちらを見た。

 しおんは何も言わないが、動きだけが少し止まった。


「飴だけ?」


 凛が聞く。


「最初は飴だけ見えた」


「最初は?」


「奥に、メモもあった」


 ことねが机へ両手をつく。


「……なにそれ、また来たの」


「来た」


「内容は?」


 凛の声は低い。

 でも、昨日みたいな“冷静に整理するだけ”とも少し違う。

 ちゃんと気になっている声だった。


 恒一はポケットから小さく折った紙を出した。

 ことねが先に身を乗り出す。

 凛も横から覗き込む。

 朱莉としおんも、自然に近づいてきた。


「読むぞ」


 恒一が言うと、ことねが小さく頷いた。


「うん」


 メモを開く。

 短い一文。


「……“喉に良さそうなのを入れておきました”」


 静かになる。


 ことねが、一番先に小さく息を呑んだ。


「うわ……」


「どうした」


「いや、だって」


 ことねは本気で困ったような、でも少しだけぞくっとしたような顔をしている。


「前より、さらに今の黒峰くん見てるじゃん」


 凛がすぐに続けた。


「うん。かなり近くで」


 その声の低さが、逆に重かった。


 朱莉がメモをじっと見る。


「“喉に良さそう”ってことは、文化祭準備で声使ってるの見てたんだよね」


「そうなるな」


 恒一が答えると、朱莉は小さく息を吐いた。


「……やだな、それ」


「嫌なのか」


「嫌っていうか、近い」


 その言葉はかなり本音だった。


 しおんが、静かに言った。


「前より、もっと“今”を見てる」


「前より?」


 ことねが聞く。


「うん。“甘すぎないものを選びました”は、少し前から見てないと分からない。でも今回のは、最近ずっと見てないと書けない」


 その整理は、しおんらしく静かで正確だった。


「しかも」


 凛が続ける。


「“声使ってたから、喉に良さそうなの”って、気遣いの方向がかなり具体的」


「具体的っていうか、生活に入ってきてない?」


 ことねが言う。


「文化祭準備の疲れ方まで見てるってことでしょ?」


「そうだね」


 朱莉も頷く。


「前は“好みに合わせた”だったけど、今は“状態に合わせた”になってる」


 その言い方が、妙に背筋へ残った。


 好み。

 状態。

 見る距離が、たしかに変わっている。


     ◇


 文化祭準備の昼休みの短い打ち合わせでも、そのメモのことはずっと頭のどこかに残っていた。


 ことねはいつもより少し静かだった。

 いや、昨日ほどではない。

 でも、何か考えながら喋っている感じがある。


「ねえ」


 前方の席でメモをまとめながら、ことねが言った。


「うん」


 恒一が返す。


「これ、かなり近くない?」


「さっきからそう言ってるな」


「だってそうじゃん」


 ことねはペンを置いて、顔を上げる。


「喉に良さそうなのって、文化祭準備で喋ってるの見てて、しかも“今の黒峰くんに必要そうなもの”でしょ?」


「そうだな」


「それってもう、教室の中の空気まで見てる人じゃん」


 ことねのその表現は、かなり正しかった。


 ただ近くにいるだけじゃない。

 今の自分が何をして、どんなふうに少し疲れているかを見ている。


 凛が、少し低い声で言う。


「相手、かなり近くで見てる」


 その一言で、また空気が少しだけ静かになった。


 ことねが小さく頷く。


「うん」


 朱莉が続ける。


「しかも、押しつける感じじゃないのが余計に厄介」


「分かる」


 ことねが言う。


「“体調大丈夫?”とか“無理しないで”みたいに直接来るんじゃなくて、机の中にそっと入ってるの、ずるい」


「ずるい、か」


 恒一が繰り返すと、ことねは少しだけ困ったように笑う。


「うん。だってそれ、優しさだけ残るじゃん」


 まっすぐすぎる言葉だった。


 押しつけない。

 返事を求めない。

 でも、見ていたことだけはちゃんと残る。


 たしかに、それはずるいのかもしれない。


 しおんが、静かに言った。


「たぶん、相手は今も壊したくないんだと思う」


「何を」


 ことねが聞く。


「距離」


 しおんは短く答えた。


「名前を出すと変わるから」


 その言葉は、前にも聞いた。

 名前を出してしまうと、今までの温度ではいられなくなることがある。


 だから匿名のまま、でも見ていることだけは伝える。


 そのやり方は、たしかに少し苦しい。

 でも、同時にすごく繊細だった。


     ◇


 放課後。


 文化祭準備はいつも通り進めるしかない。


 入口札の位置。

 景品の最終候補。

 布の仮止め。

 やることはいくらでもある。


 でも今日は、どこか全員の視線がいつもより一段だけ鋭かった。

 誰に向けて、というより、教室全体の空気へ向けて。


 この中に、いるのかもしれない。

 今の自分たちを見て、喉に良さそうな飴を選んで、机に入れた誰かが。


 ことねが、小さく言う。


「なんか、普通に作業してるだけなのに、ちょっとだけ全員怪しく見えてくるのよくない」


「夢咲さん、それは分かるけど口に出さないほうがいい」


 凛が言う。


「だって本音だし」


「本音でも」


 そのやり取りに、少しだけ笑いが起こる。


 でも、その笑いの下にある“誰も忘れていない”感じは消えない。


 匿名は、まだ終わらない。

 終わらないどころか、文化祭準備が濃くなるほど、むしろ近くなる。


 喉に良さそうなのを入れておきました。


 その短い一文は、今までで一番やさしくて、今までで一番厄介だった。

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