第65話 変食ヒロイン、景品に食を混ぜようとして止められる
文化祭準備というものは、不思議なものである。
机をどかし、床を掃き、布を仮で垂らし、灯りの色を見て、ようやく少しだけ「形」が見えてくる。
そこまで来ると、人は次に何を始めるか。
――景品を考え始めるのだ。
「いや、まだ早くない?」
放課後の教室で、黒峰恒一は本気でそう言った。
今日は入口周辺の装飾を軽く確認したあと、ことねが「体験コーナーあるなら景品も必要じゃない?」と言い出したのが始まりだった。
たしかに、その通りではある。
和風寄りの展示と体験要素を混ぜる以上、おみくじでも簡単なゲームでも、小さな“もらって帰れるもの”があると文化祭っぽさは増す。
増すのは分かる。
でも、今はまだ壁のどこへ何を吊るすかで少し揉めている段階だ。
景品まで行くのは少し先でもいい気がする。
「早くないよ」
ことねがきっぱり言う。
「こういうのは“ある程度先に見とく”のが大事なの。予算にも関わるし、景品の系統で企画の空気も変わるし」
「夢咲さん、今日はずいぶん委員側だね」
凛が言う。
「なにその言い方」
「いや、もっと“わー可愛いのにしよう!”から入るかと思ってた」
「それも思ってるけど!」
ことねは胸を張る。
「でも最近の私は、ちゃんと“それが可能かどうか”も考える女なので!」
「成長したね」
「朝霧さん、その言い方たまに地味に腹立つんだよなあ……」
朱莉が少し笑いながら、机へメモ用紙を広げた。
「でも景品の候補は出しておいていいと思うよ。あとで慌てるより」
「火乃森さんがそう言うなら、かなり現実寄りか」
恒一が言うと、朱莉は肩をすくめた。
「文化祭って、最後に“これ買っとけばよかった”が一番だるいし」
「それはそう」
しおんも静かに頷く。
「景品あると、人が止まりやすい」
「雪代さんのその“止まりやすい”って表現、最近ほんと便利だよね」
ことねが言う。
「便利?」
「うん。空気とか流れとか、人の動きとか、全部そこに入ってる感じする」
「……そうかも」
しおんが小さく答える。
そこまでは、かなり平和だった。
景品候補に何がいいか。
木札のしおり。
小さな和風シール。
紙のしおり。
鈴つきのお守り風チャーム。
そういう“文化祭で配ってもおかしくないもの”が、普通に並んでいた。
普通に並んでいた、はずだった。
「先輩」
教室の後ろから声がした時点で、嫌な予感はしていた。
振り向く。
毒島ひよりだった。
今日も小柄で、整った顔立ちで、ぱっと見ればかなりおとなしい。
でも、その目だけはもう完全に“何かを持ち込む人”の目をしていた。
「来た……」
ことねが小さく言う。
「何その反応」
ひよりは本気で不思議そうだった。
「いや、だってひよりちゃん、その顔してる時って大抵“普通じゃない候補”持ってくるじゃん」
「普通ではない、は少し失礼です」
「失礼って言われると否定しづらいのが余計に困るんだよなあ……」
ことねが机へ突っ伏しかける。
ひよりはそんなことねを気にせず、前へ出てきた。
そして、ごく自然に言った。
「景品の件、聞こえたので」
「うん」
凛が短く答える。
「いやな予感しかしないけど、言ってみて」
ひよりは少しだけ頷いた。
「小袋の昆虫食スナックなら、コストも抑えられます」
数秒、教室が止まった。
「却下」
ことねと凛の声が、綺麗に揃った。
「早いですね」
ひよりが言う。
「早いよ!」
ことねが身を起こした。
「いや、早いとかじゃないでしょ! 文化祭の景品で昆虫食はだいぶ攻めすぎなんだって!」
「攻めすぎではないです」
「攻めすぎだよ!」
凛も珍しく、最初から強めだった。
「毒島さん、それは絶対だめ」
「なぜですか」
「なぜ、から説明しなきゃだめ?」
ことねが言う。
「まず、もらった側がびっくりする。あと、保護者とか先生とか来た時に説明が面倒。さらに、景品としての無難さがない」
「でも話題性はあります」
ひよりは真顔だ。
「話題性はいらないの!」
ことねが即答する。
朱莉が口元へ手をやって、少しだけ笑いをこらえながら言った。
「毒島さん、そこを“話題性”で押そうとするの、結構好きだけど、文化祭ではだめだと思う」
「火乃森先輩が好きと言ってくれたのは少しうれしいです」
「いや、前半だけ拾わないで」
ひよりはそれでも諦めなかった。
「では、代替肉ジャーキーはどうでしょう」
「ひよりちゃん?」
ことねが静かに言う。
「はい」
「それは、さっきよりちょっとだけ文化祭に近づいただけで、まだ十分に遠いからね?」
「そうですか?」
「そうだよ!」
凛がメモ帳を机へ置いた。
「毒島さん、景品って“もらった瞬間にちょっと嬉しい”が大事なの。そこで説明が必要なものを入れちゃだめ」
「でも、意外性は喜びにつながることもあります」
「それはそうだけど!」
ことねが叫ぶ。
「文化祭の景品でやる意外性じゃないの!」
しおんが、静かに口を開いた。
「ちょっと怖いかも」
その一言が、妙に効いた。
ひよりがしおんを見る。
「怖い、ですか」
「うん。もらってすぐ分からないと、止まる」
「止まる」
「受け取って、え、ってなって、そのまま引く人いると思う」
しおんの分析は、相変わらず静かで、でもかなり具体的だった。
「文化祭の景品なら、手に取ってすぐ嬉しいほうがいい」
その言葉に、ひよりは少しだけ考え込む。
「……なるほど」
ことねがほっとしたように言う。
「よし、雪代さんの言葉なら少し通る!」
「夢咲さん、それ言い方」
「だってほんとだもん!」
恒一は、ここまで黙って聞いていた。
だが、ひよりの顔を見るに、まだ何か出てくる気がする。
そして案の定だった。
「では」
ひよりが静かに続けた。
「普通のお菓子に一つだけ変食要素を混ぜる、というのはどうでしょう」
「やめろ」
思わず、恒一が真顔で言った。
教室が一瞬だけ静かになる。
ひよりがこちらを見る。
「先輩」
「少なくとも文化祭の景品ではやめとけ」
自分でも驚くくらい、まっすぐな声だった。
「そこにロシアン要素いらない」
「ロシアンではなく、世界の広がりです」
「言い換えるな」
ことねが吹き出す。
「黒峰くん、今の止め方ちょっと好き」
「好きとかじゃないだろ」
「いや、でも今の“少なくとも文化祭ではやめとけ”はかなり正しかったよ」
凛も頷いた。
「うん。毒島さん、そういうのは個人の関係性でやるやつ」
「個人の関係性」
ひよりがその言葉を小さく繰り返す。
その繰り返し方が妙に引っかかった。
ことねも同じだったらしい。
「え、ちょっと待って。今の言い方だと、“個人の関係性ならあり”みたいに聞こえない?」
「そうは言ってない」
凛が即座に否定する。
「でも、そう聞こえる余地はあったよね?」
「夢咲さん、そこ拾わなくていい」
「だって拾うでしょ、今のは!」
朱莉が小さく息を吐いた。
「この流れ、結局そうなるんだ」
「何が」
恒一が聞く。
「文化祭の景品の話してるのに、最後は“誰相手ならどこまで変でも成立するか”みたいになるところ」
それはたしかにそうだった。
ひよりは、少し考えたあとで言った。
「でも実際、そういうのはあります」
「あるの?」
ことねが聞く。
「あります」
ひよりは静かに頷いた。
「普通ではないものを渡しても大丈夫な相手、というのはいます」
「たとえば?」
ことねが聞いた瞬間、凛が「夢咲さん」と止めに入ろうとしたが、少し遅かった。
ひよりは、恒一を見た。
「先輩とか」
また、教室が一瞬静かになった。
「……うわー」
ことねが頭を抱える。
「ひよりちゃんって、静かなのに急に本音だけ置いてくよね」
「本音です」
「そこ否定しないの強い!」
ひよりは首を傾げた。
「だって、先輩はちゃんと一回受け取ってくれるので」
「またそこなんだ」
恒一が言うと、ひよりは素直に頷いた。
「はい。見た目や名前だけで切らないので」
それは前にも聞いた。
昆虫食風味のスナックでも、代替肉でも、謎肉でも。
ひよりにとって、“一回ちゃんと向き合ってくれる”ことはかなり大きいのだ。
「だから、変わったものを渡すなら先輩です」
「文化祭の景品には向かないって話してるんだけどな、今」
恒一が言うと、ひよりは少しだけ考えて、それから素直に言った。
「それは理解しました」
「ほんとに?」
ことねが疑う。
「はい。文化祭の景品は、“すぐ嬉しい”が大事」
「よし、よく学んだ」
「でも」
ひよりは続けた。
「個人的には、普通じゃないものを一緒に楽しめる相手はかなり特別だと思います」
凛がため息をつく。
「毒島さん、そこを今足さなくてもよかったよね」
「必要かと思って」
「必要じゃない!」
ことねがすぐに言う。
「今の教室の空気でそれ足すと、また意味増えるから!」
「意味はあります」
「だから、それを言うなって!」
笑いが起きる。
でも、その笑いの下にある“ちゃんと分かるからこそ困る”空気も、もう隠しきれない。
◇
結局、景品候補はまともな方向へ落ち着いた。
和風しおり。
小さな鈴チャーム。
紙のお守り風タグ。
手描き風の札。
ひより案は全部却下されたが、本人はそこまで不満そうではなかった。
「では、個人戦でいきます」
最後にそう言い残したのが、逆に少し怖かったが。
「個人戦って何……?」
ことねがぼやくと、朱莉が肩をすくめる。
「たぶん、“文化祭景品では無理でも、個人的には変食を推していく”ってことじゃない?」
「怖い」
「でも、ひよりちゃんらしい」
しおんが静かに言う。
「うん」
ことねが頷く。
「なんかもう、最近ほんとに“近づき方の違い”しかないよね」
その言葉は、少しだけ冗談っぽくて、でもかなり本質的だった。
ことねは明るく前に出る。
凛は現実を切りながら支える。
朱莉は見える形で残そうとする。
しおんは空気そのものを整える。
ましろは生活の隙間へ自然に入る。
いろはは顔を見て熱を拾う。
ひよりは“普通じゃないものを一緒に楽しめるか”で距離を測る。
誰が一番か。
誰が本命か。
そういう雑な言葉で片づけるには、もうみんな違いすぎる。
変食ヒロインは、文化祭の景品に食を混ぜようとして止められた。
でも、その騒ぎの中で見えたのは、やっぱり“食べ物の趣味”以上のものだった。




