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共学化したばかりの元女子高で、普通の青春を送るはずだった俺が重すぎる彼女たちに囲まれている~男子希少種の俺だけがやたら観察されている件~  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第62話 教室を飾る前に、まず机をどかすだけで疲れる現実

文化祭の準備という言葉には、どうしてこうも都合のいい響きがあるのだろうと、黒峰恒一は思った。


 準備。


 字面だけ見れば、どこか前向きで、わくわくして、青春っぽい。

 だが現実は、その一言の中へ恐ろしいほど地味な作業を隠している。


 机をどかす。

 椅子を積む。

 掃く。

 拭く。

 要らないものを分ける。

 棚の中身を一回出す。

 導線を確認する。


 つまり、文化祭とはまず肉体労働から始まるのだ。


「……思ってたのと違う」


 放課後、教室の真ん中で机の列を見渡しながら、ことねがしみじみ言った。


「もっとこう、“飾りつけスタート!”みたいな空気かと思ってた」


「その前に床出さないと何も始まらないでしょ」


 凛が言う。


「朝霧さんって、こういう時ほんと夢を現場のサイズにするの上手いよね」


「褒めてる?」


「半分」


「最近その返し、黒峰と同じになってきたね」


「悪い影響受けてるのかな」


「俺のせいかよ」


 恒一が言うと、ことねは少し笑った。


 笑っているが、その目の前には、まだ何も動かしていない普通の教室が広がっている。

 机の列。

 椅子。

 黒板。

 後ろのロッカー。

 窓際の棚。


 これを“和風寄りの展示+体験系”の空間へ変えるのだ。

 昨日までは少しわくわくが勝っていた。

 だが、今日はそこへ現実が乗っている。


「じゃあ、一回ちゃんと切るよ」


 凛がメモを見ながら言った。


「まず机。壁沿いへ寄せる列と、後ろへ回す列を分ける。真ん中は通路と体験スペースで残す」


「了解」


 恒一が即答する。


「黒峰は重い列お願い」


「便利な労働力扱いだな」


「男子少ないんだから仕方ないでしょ」


 ことねが言う。


「いや、でもそこはほんと助かる」


「夢咲、お前それ最近やたら素直だな」


「ちゃんと助かる時は言うよ」


 ことねはそう言ってから、教室の後方を見た。


「私は何すればいい?」


「声かけ」


 凛が即答した。


「あと、どの机に傷あるとかガタつくとか、気づいたら言って」


「うわ、地味だけど超大事なやつだ」


「夢咲さん、そういう細かい違和感拾うの案外うまいし」


 朱莉が言う。


 彼女はすでに袖を少しだけまくっていて、完全に“動ける格好”の人の顔になっていた。


「火乃森はこっちの列一緒に」


 恒一が言うと、朱莉はすぐに頷いた。


「うん。重い机の列でしょ?」


「そう」


「それなら私そっちのほうが楽」


「楽って言うなよ。男子の立場が」


「いや、だって本当に体動かすだけならそっちのほうが分かりやすいし」


 その返しが、いかにも朱莉だった。

 曖昧な空気より、やることが明確なほうが強い。


 しおんは、教室の中央で静かに立っていた。

 誰より大きく動いているわけではない。

 でも、視線だけはもう完全に空間全体を見ている。


「雪代は?」


 恒一が聞く。


「動かしたあと見る」


「見る?」


「うん。通路の幅と、入口からの抜け方」


「やっぱそこなんだな」


「そこ大事だから」


 しおんの声は小さい。

 でも、この子が“そこ大事”と言う時は、本当に大事なのだろうと思わされる。


     ◇


 最初の机を持ち上げた瞬間、教室の空気は完全に“準備”へ変わった。


「うわ、重っ」


 ことねが机の端を少し持って言う。


「夢咲さん、それ一人で持つ必要ないよ」


 凛がすぐに言う。


「いや、でもちょっとくらいは」


「ちょっとくらいで腰やるやつ」


「朝霧さん、言い方が保護者!」


「事実を言ってるだけ」


 恒一と朱莉は、前の列の机をまとめて持ち上げた。


「せーの」


「っと……」


 床をこする鈍い音。

 机の足が揃わず少し引っかかる。

 すぐに朱莉が角度を変える。


「黒峰、ちょっと右」


「こっち?」


「そう。前じゃなくて、ちょい右」


「あ、いけた」


「でしょ」


「火乃森、お前こういうの上手いな」


「まあね。家具動かすの、家でもたまにやるし」


「そんな家庭環境ある?」


「あるよ。うち、母親が急に模様替えしたくなる人だから」


 その言い方が妙に自然で、思わず笑ってしまう。


「それで鍛えられたのか」


「そうかも」


 朱莉も少し笑った。

 こうして体を動かしている時の朱莉は、最近の細かい空気読みより少しだけ昔に近い。幼馴染として知っている“素で強い火乃森朱莉”がそのまま出ている感じがした。


 その横で、ことねは机の脚を押さえたり、椅子をまとめたり、思っていたより細かく動いていた。


「夢咲さん、それ二脚ずつでいい」


 凛が言う。


「四脚持とうとしてる」


「いや、なんかいけるかなって」


「いけても危ない」


「朝霧さんの“いけても危ない”って便利だねえ」


「実際そうだから」


「でもさ」


 ことねが椅子を二脚持ち直しながら言う。


「こういう時の私って、たぶん一番“ちゃんと働いてる感”出しにくいよね」


「何急に」


 恒一が聞くと、ことねは苦笑した。


「いや、だって朱莉ちゃんと黒峰くんは机動かしてるし、朝霧さんは段取り切ってるし、雪代さんは空間見てるし。私、ちまちま声かけたり椅子まとめたりだから」


 凛がその言葉を聞いて、一瞬だけ手を止めた。


「夢咲さん」


「なに」


「今、一番全体の温度下がらないようにしてるの夢咲さんだよ」


 ことねが目を丸くする。


「え」


「机動かすだけの時間って、放っとくと全員黙って疲れるから」


「……う」


「声出して、“次これね”って言ってるの、かなり大事」


「朝霧さん、その褒め方ずるいなあ……」


「褒めてる時は普通に受け取って」


「今のはちょっと嬉しい」


 ことねはそう言って、今度は少しだけ堂々と椅子を積み直した。


 そのやり取りを聞きながら、恒一は思った。

 たしかにことねは、“文化祭の中心で旗を振っている”感じとは少し違う。

 でも、誰も喋らなくなりそうな時間に声を入れ、しんどい作業を“止まってない感じ”にしているのは、たぶん今のことねなのだ。


     ◇


「ちょっと止まって」


 しおんの声が入ったのは、机の大移動がひと段落したころだった。


 みんなの動きが止まる。

 しおんは入口側へ立って、教室の中を見ていた。


「今だと、入ってすぐ左が詰まる」


「左?」


 凛が歩いて確認しにいく。


「ああ、ほんとだ。机寄せすぎか」


「でも右は空きすぎてる」


 朱莉が言う。


「これだと視線が流れすぎるね」


「うん」


 しおんが頷く。


「真ん中に来る前に、少しだけ止まるものほしい」


「止まるもの……」


 ことねが呟く。


「入口札の位置?」


「たぶん」


 しおんはそう言って、床の一点を指した。


「ここに一個、低いもの置くと流れ変わるかも」


 その指摘が、かなり具体的だった。


「雪代、お前ほんとに見えてるんだな」


 恒一が言うと、しおんは少しだけこっちを見た。


「見えてるというか、気になる」


「それ、同じようで違うんだよな」


「違う?」


「うん。見つけにいってる感じじゃなくて、気になって止まる感じ」


 しおんは少しだけ考えてから、小さく笑った。


「そうかも」


 その笑い方が、ごく小さいのに妙に印象に残る。


「じゃあ、一回入口札ここ仮置きしてみよう」


 ことねがすぐに言う。


「私取ってくる」


「夢咲さん、その速さはえらい」


 凛が言う。


「今日はかなり働いてる」


「“今日は”をつけるな!」


「でも本当に今日は特に」


 凛はそう言って、少しだけ口元を緩めた。


 その表情を見て、ことねが固まる。


「……朝霧さん、今ちょっと笑った?」


「少し」


「その“少し”をもっと見せていこうよ!」


「文化祭終わったら考える」


「長い!」


 教室にまた笑いが起きる。


 地味だ。

 すごく地味な作業なのに、少しずつ空気ができていく。

 その空気の中で、誰がどういう役割で支えているかが、前よりはっきり見えていた。


     ◇


 しばらくして、掃除が始まった。


 机を動かしたあとの床は、びっくりするほど汚い。

 消しゴムのカス。

 紙の切れ端。

 髪の毛。

 正体不明のほこり。


「うわあ……」


 ことねがモップを持ちながら本気で顔をしかめた。


「夢壊れる」


「いや、文化祭ってそういうものでしょ」


 凛が雑巾を絞りながら言う。


「壊れた夢の上に成り立つやつ」


「朝霧さん、その言い方ちょっと好きだけど嫌だ!」


「どっち」


「半分ずつ!」


 朱莉は窓際の床を拭きながら、ふと言った。


「こういうのやると、教室って意外と広いんだなって思う」


「分かる」


 恒一が頷く。


「普段机で埋まってるだけで、空にすると全然違う」


「だから空気変わるんだよね」


 ことねが言う。


「文化祭の教室って、“同じ場所なのに別の場所になる感じ”がいいし」


「そのへんの表現はやっぱ夢咲さんうまい」


 凛が言う。


「え、今のかなり嬉しい」


「ただし、実現するには掃除から」


「最後にそこ戻すのやめてよ!」


 しおんは、掃除をしながらも時々教室全体を見ていた。

 モップを動かす手は静かだ。

 でも、目だけはずっと空間を追っている。


「雪代」


 恒一が声をかける。


「ん?」


「まだ何か見えてる?」


 しおんは少しだけ考えてから言った。


「入口から奥に向かって、気持ちが流れる感じにはなってきた」


「気持ちが流れる」


「うん。前より、入ってすぐ止まらない」


「それ、たぶんかなり大事なんだよな」


「たぶん」


 その“たぶん”も、しおんの中ではかなり確度が高いのだろう。


     ◇


 掃除が終わり、全員が少しだけ疲れた顔で前方の机に集まったころだった。


「いやあ……」


 ことねが椅子にへたり込む。


「地味に疲れるね、これ」


「地味じゃなくて普通に疲れる」


 恒一が言う。


「机運び、掃除、配置確認。ぜんぶ肉体労働」


「文化祭ってもっとキラキラしてるものだと思ってた」


「キラキラするために、先にこういうとこやるんでしょ」


 朱莉が言う。


「うん……分かる……分かるけど、今日ずっと現実しかない……」


 ことねが机に突っ伏しそうになる。


「夢咲さん、水飲む?」


 しおんが聞く。


「飲む……ありがと、雪代さん……」


 そのタイミングで、教室の後ろ扉ががらっと開いた。


「いいねえ」


 聞き覚えのある声。

 嫌な予感しかしない。


 振り向くと、鳴瀬いろはが立っていた。


 今日もスケッチブックを抱えている。

 その目は、教室の散らかりでも、積まれた机でもなく、まず人の顔を見ていた。


「……来たな」


 恒一が言うと、いろはは少しだけ笑った。


「来たよ」


「何しに」


「顔見に」


「目的が終わってるだろ」


「終わってない」


 いろはは教室の中へ入ってきて、五人を順番に見た。


「疲れてるのに、ちゃんとやってる顔、多い」


 ことねが机から顔だけ上げる。


「なにそれ」


「最高って意味」


「鳴瀬さんってほんとブレないね……」


 ことねは疲れた声で言う。


 いろはは悪びれずに続ける。


「夢咲さんは、声で回してるのにちょっと疲れてる顔。朝霧さんは、疲れてるの隠してる顔。火乃森さんは、体動かしたあとのほうがむしろ素直な顔。雪代さんは、静かなままちゃんと満足してる顔」


 そこで一度区切って、恒一を見る。


「黒峰くんは、疲れてるのに投げてない顔」


「……それ前も言ってたな」


「うん。今日もいい」


「やめろって」


 いろはは少しだけ首を傾けた。


「なんで」


「なんでじゃない。そういう褒め方は普通しないんだよ」


「でも本当だし」


「みんな最近そればっかりだな」


 朱莉が小さく笑う。

 ことねは「疲れてる時に鳴瀬さん来ると、なんか変に元気吸われるんだよなあ……」とぼやき、凛は「最後にまた面倒なの来た」とため息をついた。


 しおんだけが、少しだけ目を細めた。


「でも、今日の教室は昨日よりいいと思う」


 いろはがそれを聞いて頷く。


「うん。そういう顔してる」


 わけが分からない。

 でも、たぶんこの二人の中では分かっているのだろう。


 教室を飾る前に、まず机をどかすだけで疲れる現実。

 その地味で泥臭い一日の最後に残ったのは、文化祭準備の疲労だけじゃなかった。


 誰がどんなふうに動くのか。

 誰がどんな顔で支えるのか。

 それが少しずつ、ちゃんと見え始めていた。

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