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共学化したばかりの元女子高で、普通の青春を送るはずだった俺が重すぎる彼女たちに囲まれている~男子希少種の俺だけがやたら観察されている件~  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第61話 最初の買い出しが終わっただけなのに、教室の見え方はもう違う

翌朝、黒峰恒一は教室の扉を開けた瞬間に、いつも通りまず自分の机を見た。


 もう半分癖みたいなものだった。


 机の上。

 椅子の上。

 机の中。


 何もない。


 差出人不明の焼き菓子もない。

 新しいメモもない。

 飴もない。

 白い紙の端すら見えない。


「……ないか」


 小さく呟く。

 それでいい。

 それでいいはずだ。


 なのに、その確認が一瞬で終わったあと、胸の中にほんの少しだけ空白ができた気がした。


「黒峰くん」


 すぐ後ろからことねの声が飛んでくる。


「また先に机見たでしょ」


「見たけど」


「もうそれ完全に習慣じゃん」


「お前、最近ほんとにそこ拾うよな」


「拾うよ。だって分かりやすいし」


 ことねは鞄を置きながら、少しだけ顔を覗き込むようにして聞いた。


「で、今日は?」


「何もない」


「そっか」


 ことねはそう言って、ほんの少しだけ表情をやわらげた。

 安心したのか、少し物足りないと思ったのか、その両方みたいな顔だった。


「よかった、って言えばいいんだよね、こういう時って」


「たぶんな」


「でもなんか、最近“何もない”のもそれはそれで変な感じするよね」


 さらっと言われて、恒一は一瞬だけ黙る。


「……お前、そういうの言うなよ」


「え、図星?」


「うるさい」


 ことねは笑った。

 でも、その笑い方は少しだけ優しかった。


「まあでも、今日は文化祭のほうで忙しいしね」


「だな」


 そう。

 今日は、昨日買った文化祭の資材を教室へ持ち込む日だった。


 布。

 和紙。

 木札。

 小物。

 灯り。

 まだ全部が揃ったわけではないが、最初の輪郭には十分な量がある。


 匿名の焼き菓子やメモの件が頭から消えたわけじゃない。

 でも、今は別の現実もちゃんと目の前にある。


 文化祭準備。


 それもまた、最近の自分をやたら忙しくしている中心の一つだった。


     ◇


 放課後になると、教室の前方は自然にざわついた。


 最初の買い出しで集めたものを、今日まとめて持ち込むことになっていたからだ。


 ことねが大きめの紙袋を二つ抱えて教室へ入ってくる。

 後ろから朱莉が、長い布のロールを肩にかけて入ってくる。

 しおんは灯りの箱を両手で持っていて、その持ち方が妙に安定している。

 凛はレシートを挟んだクリアファイルと細かい備品の袋。

 そして恒一は、木板とまとめた資材を持っていた。


 たったこれだけなのに、教室の中の空気が一段だけ変わる。


「うわ、ほんとに買ってきたんだ」


 前の席の女子が言う。


「そりゃ買うだろ」


 恒一が答えると、その子は少し笑った。


「いや、なんか、文化祭って話してる時はまだふわっとしてるけど、物が入ると急に本物って感じする」


「それは分かる」


 ことねがすぐに言った。


「私も昨日思ったもん。“カゴに入った瞬間、文化祭急に現実になる”って」


「その言い方、なんか面白い」


「ほんとだよ? 可愛い小物見てる時はまだ夢なんだけど、レジ通した瞬間に現実になるの」


「夢と現実の往復すごいな」


 凛が言う。


「でも、ちょっと分かる」


 その返しに、ことねがぱっと振り向く。


「え、今の朝霧さん、かなりいいこと言ったよ?」


「何が」


「“ちょっと分かる”って認めるとこ」


「別に、認める時は認めるよ」


「そういうの、もっと普段から出してくれていいんだけど」


「必要があれば」


「だからそれなんだって!」


 笑いが起きる。


 教室に残っていたクラスメイトたちも、少しずつ前へ寄ってきて、持ち込まれたものを覗き込む。

 布の色。

 木札の大きさ。

 灯りの雰囲気。

 みんな、文化祭に興味はあるのだ。


 ただ、その興味の向け方が、昨日までと少し違っていた。


 前は、黒峰周辺の“にぎやかさ”を見ていた。

 今は、その中心にいる五人が、ちゃんと文化祭を動かしているように見えている。


「ねえ、それ入口に使うやつ?」


「うん、候補」


 ことねが答える。


「まだ確定じゃないけど、灯りの色はかなりよかったよ」


「え、見せて見せて」


「まだ箱から出してないって」


 ことねが笑って、しおんを見る。


「雪代さん、これあとで一回点けてみようよ」


「うん」


 しおんは小さく頷く。


「蛍光灯の下と、少し暗くしてからで見え方違うと思う」


「そういうの分かるの、やっぱ強いなあ」


 クラスメイトの一人が感心したように言う。


 しおんは少しだけ困ったように瞬いて、それから小さく答えた。


「たぶん、見るのが好きなだけ」


「好きなだけでそこまで見えるのすごいよ」


 そのやり取りを聞いて、恒一はふと感じた。


 視線が変わっている。


 前みたいに“誰が一番近いの?”とか、“結局誰とよくいるの?”みたいな薄い好奇心ではない。

 今の視線はもう少し現実的だ。


 この五人、かなり中心だな。

 この五人で文化祭回す感じなんだな。

 そういう見え方へ変わっている。


 それは少しだけ楽でもあり、少しだけ重くもあった。


     ◇


 荷物を教卓の横へまとめながら、恒一は自然に役割を考えていた。


 布は朱莉としおんが中心で見たほうがいい。

 灯りはしおんの感覚が必要だ。

 見せ方はことね。

 予算と管理は凛。

 実際の配置や動線は自分。


 こういうふうに考えるのが、前より少し自然になっている。


「黒峰くん」


 ことねが横から言う。


「ん?」


「今、顔ちょっと真面目」


「そうか?」


「うん。なんかもう“巻き込まれてる人”の顔じゃない」


 その一言に、恒一は少しだけ手を止めた。


「それ、どういう意味だよ」


「そのままの意味」


 ことねは紙袋の中身を机に並べながら続けた。


「前はもっと“なんで俺がこんなことに……”って顔多かったじゃん」


「今もあるけど」


「あるけど、今はちゃんと“じゃあどう回すか”の顔してる」


 朱莉がそれを聞いて、少しだけ口元を緩めた。


「それ、私もちょっと思ってた」


「火乃森まで?」


「うん。昨日の買い出しの時もそうだったけど、もう“ついてくだけ”じゃなくなってる感じ」


 凛も、メモを見ながら小さく言う。


「まあ、そうじゃないと困るしね」


「朝霧さん、そこ褒めるならもっとこう……」


「別にけなしてないよ」


「今のはだいぶ“当然でしょ”寄りだったけど」


「だって実際そうでしょ。黒峰が今も“なんで俺が”だけで動いてたら、文化祭絶対回らないし」


 その言い方はやっぱり現実的だ。

 でも、現実的だからこそ刺さる。


「……まあ、たしかに」


 恒一が認めると、ことねが少しだけ嬉しそうに笑った。


「ほら」


「何が」


「やっぱり、ちゃんと中に入ってきてるんだよ」


 その言葉は軽くなかった。


 文化祭準備。

 匿名の差し入れ。

 メモ。

 役割。

 距離感。

 いろんなものに巻き込まれて、気づけば“外から困ってるだけの人”ではいられなくなっている。


 それを、ことねはちゃんと見ていたのだろう。


     ◇


「ねえ」


 前の席の女子が、ふとことねへ聞いた。


「広報のポスターって、夢咲さんが中心で作るの?」


「うーん、中心っていうか、叩き台は私と朝霧さんかな」


「え、朝霧さんも?」


「情報整理担当」


 凛が即答する。


「夢咲さんが見た目寄せるから、私は読みやすさと必要情報」


「なんかその組み合わせ、めっちゃちゃんとしてるね」


 その言い方には、少しだけ感心が混ざっていた。

 ことねがそれを受けて笑う。


「まあ、朝霧さんいるとちゃんとはする」


「その言い方、私が一人だとちゃんとしないみたいだけど」


「するけど、私だけだとたまに楽しさ優先になるじゃん」


「それは否定できない」


 凛は小さくため息をついて、でもそのまま続けた。


「でも、夢咲さんが楽しい方向に振るのは必要だよ。そうじゃないと“ちゃんとしてるけど地味”になるから」


 その一言に、ことねが一瞬黙った。


 たぶん、今のことねにはそういう言葉が思ったより効く。

 昨日、自分が“軽く見られたくない”と言ったあとだからなおさらだろう。


「……ありがと」


 少しだけ照れた声でそう返すと、凛はほんの少しだけ視線を逸らした。


「別に」


「その“別に”で全部台無しにしないでよ」


「してない」


「してるって」


 教室にまた小さな笑いが広がる。


 その笑いの中で、しおんが灯りの箱をそっと机へ置いた。


「今、つける?」


「つけよう!」


 ことねがすぐに反応する。


「みんな、ちょっとだけ照明見ていい?」


 周囲の数人が自然に集まる。


 しおんが箱を開ける。

 中から、やわらかい紙越しの灯りが出てくる。

 スイッチを入れると、蛍光灯の明るい教室の中でも、その灯りだけは少しだけ空気を変えた。


「……あ、いい」


 誰かが小さく言う。


 ことねの顔がぱっと明るくなる。


「でしょ!」


「うん、思ったよりちゃんと和風」


「派手すぎなくていいね」


「入口にこれあると、ちょっと入りやすそう」


 口々に感想が出る。


 しおんは何も誇らない。

 ただ静かに、その反応を見ている。


 恒一は、その横顔を見ながら思った。

 こういう瞬間に、この子の強さは一番出るのかもしれない。

 大きな声を出さない。

 自分から前へもあまり出ない。

 でも、一番大事な“空気の質”を決めるところで、ちゃんと真ん中にいる。


     ◇


 灯りを消して、箱へ戻して、今日の持ち込みはひとまず終わった。


 教室の前方には、文化祭用のものが少しずつ積まれている。

 布。

 木札。

 和紙。

 小物。

 灯り。


 昨日まで、まだ言葉とメモの中にしかなかったものが、今日は物としてここにある。


「なんかさ」


 恒一がぽつりと言った。


「うん?」


 ことねが振り向く。


「最初の買い出し終わっただけなのに、教室の見え方ちょっと変わったな」


 その言葉に、数人が黙った。


 ことねが最初に頷く。


「変わったね」


「うん」


 朱莉も言う。


「前は文化祭の話してるだけだったけど、今は“この教室をどう変えるか”の話になってる」


「あと」


 凛が少しだけ言葉を足した。


「クラスの見方も変わってる」


「見方?」


 恒一が聞くと、凛は黒板の前に集まった自分たちのほうを少しだけ見た。


「前は、黒峰の周りがなんかにぎやかだな、くらいだったと思う」


 ことねがその言葉に少しだけ表情を動かす。

 でも、否定しない。


「今は、そこに“文化祭の中心で動いてる五人”って見え方が乗ってる」


 それはかなり正確だった。


 前までの好奇心まじりの視線とは違う。

 今のクラスメイトたちは、ちゃんと自分たちを“動かしている側”として見始めている。


「……それ、ちょっとだけ楽かもな」


 恒一が言うと、ことねが意外そうに見た。


「そう思う?」


「だって、少なくとも“誰と誰が一緒にいるか”だけじゃなくなるだろ」


「まあ、それはそうかも」


「でも、重くもなるね」


 朱莉が静かに言った。


「中心に見えるってことは、ちゃんとやらないと崩れる側にもなるってことだし」


「火乃森さん、それはほんとそう」


 ことねが真面目に頷く。


「だから頑張るんだけどね」


 しおんが小さく言う。


「うん」


 その“うん”は、ことねだったか、朱莉だったか、もしかしたら自分だったかもしれない。


     ◇


 その日の帰り際。

 教室に残るのはもう、恒一だけになっていた。


 みんなが帰っていく。

 ことねは「また明日!」といつも通り笑って。

 凛は「メモ、明日には整理しとく」と短く言って。

 朱莉は「布は家で一回広げて見る」と静かに伝えて。

 しおんは「灯り、入口でまた見たい」と小さく言って。


 教室が静かになる。


 恒一は自然に、自分の机へ目をやった。


 何もない。


 机の上も。

 中も。

 新しいメモはない。


「……ないか」


 今朝と同じ言葉が、今度は少しだけ違う温度で出た。


 あったら困る。

 あったらまた考える。

 あったら文化祭の空気まで余計に揺れる。


 分かっている。

 分かっているのに、何もないことへ、ほんの少しだけ物足りなさみたいなものを感じてしまった。


「……重症だな」


 苦笑して、自分の机へ鞄を置く。


 最初の買い出しが終わっただけなのに、教室の見え方はもう違う。

 文化祭準備も。

 自分の立ち位置も。

 そして、名前のない優しさを待ってしまいそうになる自分の感覚も。


 普通の高校生活は、たぶんもうかなり遠い。

 でも、その遠さの中で何が少しずつ変わっているのか、黒峰恒一はまだうまく言葉にできなかった。

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