第53話 買い出し候補を並べただけで、全員ちょっと本音が出る
放課後の教室には、文化祭前特有の、まだ何も決まっていないくせに妙に忙しい空気があった。
机を少し寄せた前方の席で、黒峰恒一、夢咲ことね、朝霧凛の三人は、担任へ出すための簡単なメモを広げていた。窓の外では春の夕方がゆっくり傾きはじめていて、廊下の向こうからは部活へ向かう声が流れてくる。教室の中に残っている生徒はもう半分もいないのに、前の席だけはなぜか熱がある。
原因はもちろん、文化祭だ。
和風寄りの展示と、ちょっとした体験要素を混ぜた企画。
そこまではだいぶ固まりつつある。
問題は、その先だった。
「で、結局これ、誰が買い出し行くの」
ことねがメモ帳の端をぺしぺし叩きながら言った。
その一言で、恒一は机に突っ伏したくなった。
「やっぱそこ来るよなあ……」
「来るでしょ」
凛が即答する。
「布もいる、提灯っぽい飾りもいる、木札もいる、景品用の小物もいる。画像検索だけで済むわけないし」
「分かってるよ。分かってるけど、もっとこう、“いい感じに集まる”くらいで済ませられないのか」
「黒峰くん、それ一番だめなやつだよ」
ことねがすぐに言う。
「“いい感じに集まる”って、文化祭準備で一番空気が揉める言い方だからね?」
「なんでそんなに断言できるんだよ」
「女子が多いクラスで、“なんとなく一緒に動く”が安全なわけないじゃん」
その返しがあまりにも正しくて、恒一は何も言えなくなった。
凛がメモ用紙にさらさら書き込む。
「必要条件だけ先に切るよ」
「はいはい、朝霧さん先生」
ことねが言う。
「先生じゃない」
「でも今の顔かなり先生」
ことねが笑うと、凛はため息をついた。
「まず、会計担当は必要。値段の上限その場で見ないといけないから。これは私」
「うん」
「次に、装飾担当。色味とかサイズ感とか、現物見て決めたいだろうから」
「それはそうだね」
「で、準備班から一人。荷物持ち兼、実際に組み立てる側の目線」
そこで凛は顔を上げて、恒一を見る。
「つまり、黒峰は確定」
「嫌な言い方するなあ……」
「嫌でも事実」
「もう少しこう、“頼りになるから”とかないのか」
「頼りになるから、荷物持ち兼、現場感覚担当で確定」
「前半と後半で言い方の温度差すごいな?」
ことねが吹き出す。
「朝霧さん、そのへんほんと素直じゃないよね」
「素直だよ」
「今のは素直って言わない」
「でも黒峰くん、実際そこかなり大事じゃない?」
ことねは今度は恒一を見た。
「いや、まあ、買って終わりじゃなくて、“実際に教室でどう使うか”見る人はいたほうがいいだろうけど」
「ほら」
凛が言う。
「だから必要」
「必要って言い方が雑なんだよな……」
「でも嘘じゃないでしょ」
そこへ、少し離れた窓際から声がした。
「装飾担当なら、私たち?」
火乃森朱莉だった。
いつの間にか近くまで来ていたらしい。その隣には雪代しおんもいる。どうやら二人で装飾の候補を少し話していたようで、手には小さなメモがそれぞれ握られていた。
「うわ、来た」
ことねが言う。
「その“来た”って何」
朱莉が静かに返す。
「いや、タイミングが完璧すぎて」
「聞こえてたから来ただけ」
朱莉はそう言って、恒一たちの机へ自然に加わった。しおんもその横へ静かに立つ。
「買い出しの話?」
しおんが聞く。
「そう」
ことねが頷く。
「で、現時点では黒峰くん、朝霧さん、装飾担当一名、って感じ」
「一名?」
朱莉が眉を上げる。
「一人で足りるの?」
それは、もっともだった。
凛が少しだけ顔をしかめる。
「足りるかどうかで言えば、足りないかもしれない」
「ほら」
ことねがすぐに言う。
「やっぱそうだよね。だって色味見る人と、サイズ見る人って、微妙に感覚違うじゃん」
「夢咲さん、たまにちゃんと実務の話するよね」
「たまにって何!?」
「普段が勢い寄りだから」
「ひどい」
ことねが言い返すのと、しおんが小さく口を開くのがほとんど同時だった。
「私も行ったほうがいいと思う」
全員の視線がしおんへ向く。
しおんは少しだけ目を伏せ、それから静かに続けた。
「布の色とか、灯りの感じとか、その場で見たい。写真だけだと分からないから」
「……しおん先輩、それかなり強い理由だね」
ことねが言う。
「うん。たぶん必要」
しおんのその“必要”は、凛の“必要”と少し違う。
凛の必要は現実的な必要。
しおんの必要は、空気を作るための必要だ。
「じゃあ、黒峰、凛、朱莉、しおん」
ことねが指で数える。
「四人?」
「広報は?」
凛が即座に聞いた。
「え?」
「夢咲さん、自分が入らない前提で数えてるの?」
「いや、入れたいけど!」
ことねが机に手をつく。
「でも、今言うと絶対“なんで夢咲さんまで行くの”って顔されるじゃん!」
「されるね」
凛があっさり言う。
「即答しないでよ!」
「でも、広報って、ポスターとか告知文とか、写真の撮り方とか考えるんでしょ。現場見たい気持ちは分かるけど」
「でしょ!? 分かるでしょ!?」
ことねは半分嬉しそうに、半分必死に言う。
「だってさ、飾りだけ決めても、実際に“どう見えるか”って大事じゃん。入口から見た印象とか、写真撮る位置とか、SNSっぽく切り取った時にどうかとか!」
「SNSっぽくは別に公式では使わないでしょ」
「分かってるけど! でも“写真に残したくなる見え方”って大事なの!」
その言い分は、ことねらしい。
勢いはある。
でも、勢いだけではなく、ちゃんと理屈もある。
朱莉が小さく息を吐いた。
「夢咲さん、それ、わりと正しいと思う」
「え、ほんと?」
「うん。装飾って作る側が満足しても、入ってきた人の目線で見たら微妙ってあるし」
「火乃森さん、今すごい好き」
「それは軽い」
「でも嬉しい!」
ことねのそういうところは、やっぱり分かりやすい。
凛がペンを置いた。
「じゃあ、五人か」
「うわ、多い?」
ことねが少しだけ声を弱くする。
「多いけど、逆に安全とも言える」
凛は真面目に言った。
「三人以上ルールにするなら、五人は別に変じゃない。むしろ、今の状態ならそのくらいのほうが妙な意味つきにくい」
「……朝霧さん、それ、なんか複雑」
「何が」
「“今の状態なら”って、完全に“黒峰くん周辺はもう普通の距離感じゃ処理できない”って言ってるみたいで」
「だってそうでしょ」
教室の空気が、一瞬だけ止まりかける。
ことねが口を開いて、閉じる。
朱莉は視線を外さない。
しおんは少しだけ目を伏せる。
恒一は、反論しようとしてやめた。
凛はそこで、ほんの少しだけ言い方を和らげた。
「……悪い意味で言ってるわけじゃないよ」
「うん」
ことねが小さく答える。
「分かってる」
「ただ、今のクラスの空気で“なんとなく二人で買い出し行きました”は、絶対あとで面倒になる」
「それはそう」
恒一も頷く。
「だから五人って?」
「うん。役割的にも、空気的にも、妥当」
ことねが顔を上げた。
「じゃあ、私入っていい?」
「理屈通るなら、いいんじゃない」
凛が答えると、ことねはぱっと明るくなった。
「やった」
「でも夢咲さん」
「なに」
「浮かれすぎるとだめ」
「浮かれてないよ!」
「今ちょっと浮かれた」
「うっ……」
ことねが言葉に詰まる。
その様子を見て、朱莉が小さく笑った。
「分かりやすすぎ」
「火乃森さんまで」
「だって分かるし」
「みんな最近それしか言わないじゃん……」
しおんが、ぼそっと言う。
「でも、分かりやすいのは、悪くないと思う」
ことねがしおんを見る。
「雪代さん、それ、慰めてくれてる?」
「少し」
「少しなんだ」
「でも本当」
しおんは静かに続けた。
「分かりやすいと、受け取る側が迷いにくいから」
その言葉が、なぜか少しだけ空気を変えた。
匿名のメモ。
名前のない焼き菓子。
それに対しての、分かりやすい差し入れ。
分かりやすい参加。
分かりやすい役割。
今この教室で話していることは、全部どこかでつながっている。
◇
「じゃあ、一回整理するよ」
凛がメモへ視線を戻す。
「第一回買い出し候補は、黒峰、私、夢咲さん、火乃森さん、雪代さん」
「五人」
恒一が言う。
「五人」
凛が確認する。
「多いな」
「でも、たぶん今はそれでいい」
凛はそう言ってから、少しだけ視線を上げた。
「黒峰、何か言いたそう」
「いや……」
恒一は少し考える。
「ここまで来ると、もう一周回って楽かもなって」
「どういう意味?」
ことねが聞く。
「二人とか三人で、“え、それ誰と行くの?”みたいに空気が変になるくらいなら、最初から五人で“はい買い出し隊です”ってしたほうが、まだ呼吸しやすい」
その言葉に、ことねがゆっくり頷いた。
「……あ、それ分かる」
「でしょ」
「ちょっと寂しいけど、でも分かる」
「寂しいって何」
凛が聞く。
「いや、別に変な意味じゃなくて!」
ことねが慌てる。
「単純に、五人だとわちゃわちゃして、一人ひとりとはあんまり話せなそうだなってだけ!」
「今の説明で余計に変な意味増えた気もするけど」
朱莉が静かに言う。
「火乃森さん、そこは流してよ!」
「無理でしょ」
しおんがそこで、小さく言った。
「でも、五人なら、誰か一人が変に沈まない」
みんながそちらを見る。
「買い物って、決める人と、運ぶ人と、見てる人と、途中で疲れる人がいるから」
「最後の分類、急に生活感あるね」
ことねが言うと、しおんは少しだけ考えてから答えた。
「恒一くん、たぶん途中で少し疲れる」
「なんで俺限定なんだよ」
「最近、気を使うと顔に出るから」
その返しに、ことねが吹き出した。
「うわ、黒峰くん、もうだめだ。完全にみんなにバレてる」
「そんな嬉しそうに言うな」
「嬉しいっていうか、なんかもう逃げ場ないなって」
「それは分かる」
凛が珍しく同意した。
◇
放課後の教室は、だいぶ暗くなってきていた。
窓の外の空は薄い群青へ変わり、廊下から入る光も弱くなっている。残っている生徒の数も少ない。教室の前方に集まったこの五人だけが、妙に濃い空気でそこにいるみたいだった。
「じゃあ」
ことねが最後に言う。
「第一回の買い出し候補はこの五人で、次の話し合いに出す、でいい?」
「いいと思う」
朱莉が言う。
「うん」
しおんも小さく頷く。
「異論なし」
凛がメモへ線を引く。
「黒峰は?」
ことねが聞く。
恒一は少しだけ笑った。
「異論出したところで通らない気がする」
「それはそう」
ことねが素直に認める。
「でも、嫌すぎるって感じでもないでしょ?」
その問いには、少しだけ答えに時間がかかった。
嫌ではない。
面倒だ。
すごく面倒だ。
けれど、この五人で動くところを想像して、息苦しいだけかと言われると、そうでもなかった。
ことねがいて、空気を前に進める。
凛がいて、現実へ落とす。
朱莉がいて、見える形を作る。
しおんがいて、空気の質を見る。
そして自分が、間をつなぐ。
「……たぶん、大丈夫」
恒一がそう答えると、ことねが少しだけ嬉しそうに笑った。
「うん。じゃあ、それで行こう」
文化祭の相談用メモ一枚で、組み合わせだけ先に揉める。
そんな普通じゃない相談の仕方にも、もう少しずつ慣れ始めている自分がいる。
それが良いことかどうかは、まだ分からなかった。




