第45話 変食ヒロイン、匿名差し入れに“食の思想”を持ち込む
差出人不明の焼き菓子を前にして、黒峰恒一がひとつだけはっきり分かったことがある。
この学校の女子たちは、何かを渡す時の思想が濃い。
夢咲ことねは、「分かるように渡したい」と言った。
火乃森朱莉は、「名前のない優しさは少し嫌い」と言った。
朝霧凛は、「匿名とか向いてない。ちゃんと届いてるか分からないの嫌だから」と言った。
雪代しおんは、「たぶん隠しきれない」と言った。
小鳥遊ましろは、「私はもっと分かりやすく置きます」と言った。
鳴瀬いろはに至っては、包装紙と置き方から感情を読んで、「困ってる顔がかなりいい」とか言い出した。
もう十分だった。
十分すぎるほど、“誰がどういう気持ちで何かを渡したがるか”が見えてきている。
そしてそこへ、まだ一人残っている。
毒島ひより。
この子はたぶん、また違う理屈で来る。
そう思っていたら、本当に来た。
◇
土曜前の金曜日、昼休み。
今日は学食へ行く気力もなく、恒一は教室で弁当を開いていた。差出人不明の焼き菓子は相変わらず鞄の中だ。開けるでもなく、捨てるでもなく、ただそこにある。
ことねは今日も当然のように近くへ来ていた。
凛も通路側の席でパンをかじっている。
朱莉は少し離れた窓際寄り。
しおんは静かにお茶を飲んでいた。
そこへ、教室の後ろ扉が開く。
「先輩」
小さな声。
でも、今となってはすぐ分かる。
毒島ひよりだった。
今日も控えめな見た目をしている。
小柄で、整っていて、ぱっと見ればおとなしい優等生だ。
なのに、その目だけはいつもと同じで、本気で何かを考えている時の色をしていた。
「毒島さん」
ことねが反応する。
「来たね……」
その“来たね”には、若干の警戒が混ざっていた。
無理もない。ひよりが来る時は、だいたい新しい角度から話がややこしくなる。
ひよりはその空気を特に気にした様子もなく、恒一の机の前まで来た。
「今、大丈夫ですか」
「大丈夫だけど」
恒一がそう答えると、ひよりは少しだけ迷ってから口を開いた。
「差し入れの件です」
やっぱりそこか。
ことねが箸を止める。
凛もパンを持ったまま目だけ上げる。
朱莉は無言。
しおんは静かに聞く態勢に入っている。
「……何か分かったのか?」
恒一が聞くと、ひよりは首を横に振った。
「犯人は分かりません」
「だよな」
「でも、少し考えました」
その言い方が、やけに真面目だった。
「食べ物を匿名で渡す人って、たぶん二種類です」
はい出た。
ひよりの分類が始まった。
「二種類?」
ことねが聞き返すと、ひよりはこくりと頷く。
「はい。一つは、相手の好みをちゃんと知っていて、外さない自信がある人」
「うん」
「もう一つは、外した時の責任を取りたくない人」
教室の空気が少しだけ静かになる。
ことねが真っ先に顔をしかめた。
「わ、わりと切るね……」
「切ってますか?」
ひよりは本気で不思議そうだった。
「いや、でも、そうじゃない?」
ことねは慌てて言葉を探す。
「たとえばさ、相手の好みがよく分かんないけど、でも何か渡したい、みたいな中間もあるんじゃない?」
「あります」
ひよりはあっさり言う。
「それは“外した時の責任を取りたくない”寄りです」
「言い方!」
ことねが思わず机を叩きそうになって、ぎりぎりで止めた。
凛が小さく息を吐く。
「毒島さん、たまに言葉の刃がすごいね」
「そうですか?」
「そうだよ」
今度は恒一が言った。
「でも、言ってることの筋は分かる」
それが厄介なのだ。
ひよりは少しだけ目を細めた。
たぶん、“分かる”と言われたこと自体が嬉しいのだろう。
「食べ物って、意外と距離が出るんです」
ひよりは静かに続ける。
「甘いものが苦手な人もいるし、ナッツやバターの風味が嫌な人もいます。焼き菓子ひとつでも、“たぶん大丈夫”で渡すのって、実は結構こわいです」
それは確かにそうだった。
ただのクッキー。
ただの焼き菓子。
そう思いがちだが、人によって好みは分かれる。重さもあるし、甘さの度合いも違う。意外と“無難そうで無難じゃない”ジャンルなのかもしれない。
「じゃあ、今回の焼き菓子は?」
朱莉が初めて口を挟んだ。
声は静かだが、明らかに本気で聞いている。
ひよりは少しだけ考えてから答える。
「たぶん前者寄りです」
「相手の好みを知ってるほう?」
「はい」
「なんでそう思うの」
ことねが聞く。
ひよりは指先を軽く組みながら、ゆっくり説明した。
「焼き菓子の種類が、いわゆる“重すぎない甘さ”だからです」
「え」
「もし、完全に自己満足の差し入れなら、もっと分かりやすい好みが出ます。たとえば、すごく可愛いものとか、見た目が華やかなものとか、高級感が強いものとか」
「うん」
「でも、先輩の机に置かれたのは、そこまで主張の強くない焼き菓子でした」
その見方は、新しかった。
ことねは少しだけ目を丸くする。
「えっと、それって……黒峰くんの好みに合わせたってこと?」
「たぶん」
ひよりは頷く。
「少なくとも、“相手が困らない甘さ”を選んでる」
凛が小さく呟く。
「そこまで見るの、やっぱりすごいな」
「見ます」
ひよりは真顔だ。
「食べ物なので」
この子の中では、そこがすべての基準なのだろう。
◇
「でもさ」
ことねが少し身を乗り出した。
「それって、逆に怖くない? 相手の好みを知ってるってことは、かなり近い人かもしれないってことでしょ」
「そうです」
ひよりは即答した。
「だから、食べ物の匿名差し入れは結構重いです」
「さらっと言うなあ……」
ことねが頭を抱える。
恒一も、そこは少し引っかかった。
「じゃあ、今の話だと……」
「はい」
ひよりはまっすぐ恒一を見た。
「先輩が、ある程度どういうものなら受け取りやすいか、知ってる人の可能性は高いです」
その視線のまっすぐさに、一瞬だけ言葉を失う。
ことねがすぐに口を挟んだ。
「ちょ、ちょっと待って。それだと候補絞られすぎない?」
「そうでもないです」
ひよりは冷静だった。
「この教室で、先輩の顔色や食べ方や購買の癖を見てる人、わりといます」
しん、と空気が止まる。
ことねが固まる。
凛の眉がぴくりと動く。
朱莉は表情を変えない。
しおんだけが、ほんの少しだけ目を伏せた。
恒一は、思わず頭を抱えたくなった。
「毒島さん」
凛が低く言う。
「それ、本人の前で言う?」
「言ってます」
「そうじゃなくて」
「でも、事実では?」
その“事実では?”が強すぎる。
ことねが半分泣きそうな声を出す。
「もうやだ、食べ物の話のはずなのに、どうしてこんなに人間関係の解像度が高いの……」
「食べ物の話だからです」
ひよりは少しだけ首を傾げた。
「むしろ、食べ物の話のほうが出ます」
それもまた、ひよりらしい。
◇
「先輩」
ひよりはそこで、少しだけ声の調子を変えた。
「私、前から思ってたんですけど」
「なに」
「先輩って、知らないものでもちゃんと一口は向き合ってくれますよね」
その言葉に、ことねも凛も反応した。
ことねは「出た……」という顔、凛は「そこへ戻るんだ」という顔だ。
「昆虫食風味のせんべいも、代替肉ハンバーグも、謎肉スープも」
ひよりは一つずつ指で数えるみたいに言った。
「最初から“無理”って切らなかった」
「……まあ」
それはそうだ。
食べた結果、好き嫌いはある。
だが、見た目や名前だけで全部拒否する気にもなれなかった。
ひよりはそのまま続ける。
「そういう相手には、食べ物を渡したくなります」
教室の空気が、また少し変わった。
ことねが目を閉じる。
凛は額を押さえかけてやめる。
朱莉は静かに息を吐く。
しおんは黙っている。
ひよりだけが、本当に真面目だった。
「だって、向き合ってくれるので」
「毒島さん……」
ことねが小さく呟く。
「それ、かなり本音だよね」
「はい」
ひよりは迷わず答える。
「変なものって、名前だけで切られること多いです。でも先輩は、ちゃんと一回受け取ってくれる」
その言葉は、食べ物の話だ。
けれど、完全に食べ物の話だけでもなかった。
名前だけで切らない。
一回受け取る。
向き合う。
それは最近、自分がいろんな人に対してやってしまっていることにも近い。
だからこそ、ひよりの言葉は妙に重かった。
「……なるほどね」
凛が、少し疲れたように言う。
「毒島さんの中で、“食べ物を渡す”って結構特別なんだ」
「特別です」
「やっぱりそうだよね」
ことねが半分納得、半分困惑みたいな顔で言う。
「ひよりちゃん、そこだけめちゃくちゃ深いもん」
「そこだけ、ではないです」
ひよりは少しだけ不満そうだった。
「でも、かなり大きいです」
「大きいんだ……」
ことねがまた頭を抱える。
朱莉がそこで、静かにひよりへ聞いた。
「じゃあ、あなたは犯人じゃないの?」
直球だった。
ひよりは一瞬だけ考える。
そして、正直に答えた。
「違います」
「即答だね」
「もし私なら、匿名にはしません」
そこもはっきりしていた。
「なんで」
恒一が聞く。
ひよりは、少しだけ目をやわらげた。
「感想がほしいので」
ことねが思わず笑ってしまう。
「やっぱりそこなんだ」
「はい」
ひよりも少しだけ笑った。
「あと、“どうだった?”ってちゃんと聞きたいです」
「食べ物に関しては、ほんとに隠れないよな」
恒一がそう言うと、ひよりは小さく頷いた。
「先輩相手なら、たぶん匿名にはできません」
その言葉は、派手ではない。
でも、ひよりにとってはかなり深いところの本音なのだろう。
ことねと凛がまた微妙な顔をしたのを見て、恒一は苦笑するしかなかった。
「なんで二人ともそんな顔するんだよ」
「だって今の、だいぶ強かったよ?」
ことねが言う。
「うん」
凛も珍しく短く同意した。
「毒島さん、静かなのに急に核心だけ刺してくるから余計に」
「そうですか?」
「そうなんだよ」
今度は恒一が言った。
ひよりは不思議そうにしていたが、少しだけ嬉しそうでもあった。
◇
昼休みの終わりが近づき、ひよりは最後に小さく会釈した。
「じゃあ、失礼します」
「おう」
「先輩」
「ん?」
「焼き菓子、もし食べたら、味の感想だけでも整理しておくといいと思います」
「整理?」
「はい。誰が置いたかとは別に、“自分がどう感じたか”が分かるので」
それは、しおんが言っていたことにも少し似ていた。
犯人より、どう受け取ったか。
ひよりはそれを、食の言葉で言い直しているのだ。
「……分かった」
「はい」
ひよりは小さく笑って去っていく。
ことねがその背中を見送りながら、ぽつりと言った。
「ひよりちゃんって、なんかずるいよね」
「何が」
「食べ物の話してるだけっぽいのに、結局一番深いところまで来る」
凛が小さく息を吐く。
「しかも本人にまったく悪気ない」
「そこが強いんだよなあ……」
恒一が言うと、朱莉も静かに頷いた。
「うん。あの子、自分の“特別”の置き方がはっきりしてる」
それはたしかにそうだった。
ことねは名前つきで分かるように渡す。
朱莉は隠さない。
凛は実用的に届く形で渡す。
しおんはたぶん隠しきれない。
ましろは困らせないように置く。
いろはは感情ごと観察する。
ひよりは、食べ物の相性と向き合い方を真ん中に置く。
誰が本命か。
誰が一番近いか。
そういう雑な言葉では、もう本当に整理できないところまで来ている。
そして、その事実を、黒峰恒一はまた一つはっきり理解してしまっていた。




