表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
共学化したばかりの元女子高で、普通の青春を送るはずだった俺が重すぎる彼女たちに囲まれている~男子希少種の俺だけがやたら観察されている件~  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

37/117

第36話 まだ選ばない。でも、何も始まっていないわけじゃない

木曜の帰り道、黒峰恒一は久しぶりに一人だった。


 誰かと図書室へ寄るわけでもない。

 コンビニへ流れるわけでもない。

 学食で変なメニューに付き合うわけでもない。

 放課後の教室で、誰かに呼び止められることもなかった。


 ただ一人で、駅から続く道を歩いている。


 春の夕方は、昼より少しだけ静かだ。街路樹の葉が風で揺れ、電線の向こうの空が、青と橙のあいだでゆっくり色を変えている。車の音も遠い。近くを歩く人の足音も、今日は不思議と気にならなかった。


 やっと、一人になれた。


 そう思った瞬間、安心と同時に、少しだけ妙な空白もあった。


 最近、自分の周りには人がいた。


 ことねがいて、朱莉がいて、凛がいて、しおんがいて、ましろがいて、いろはがいて、ひよりがいた。

 そしてその外側から、玲華が面白がるように見ている。


 それが当たり前になりかけていたから、一人になったとたん、逆に少しだけ静かすぎると感じてしまう。


「……重症だな」


 小さく呟いて、自分で苦笑した。


 普通の青春をしたかったはずなのに。

 もっと穏やかで、もっと平坦で、変に意味づけされない毎日がほしかったはずなのに。

 なのに今、自分はその“平坦じゃない日常”の中へかなり深く足を入れてしまっている。


 しかも、それを全部“迷惑”の一言で切れるほど嫌でもない。


     ◇


 歩きながら、ここ数週間のことを頭の中でなぞっていく。


 最初にことねと話したときの、あの分かりやすい楽しさ。

 話が通じる相手に出会った、という彼女の明るい熱量。


 しおんに足音で見つけられたときの、静かで不思議な居心地の悪さ。

 なのにその視線が、最近では少しだけ気になるようになっていること。


 朱莉の“昔から近いんだから譲らない”という強さ。

 幼馴染という立場を武器ではなく事実として突きつけてくる、あの真っ直ぐさ。


 凛の“ちゃんとしてるお前のほうがいい”という、半分怒りみたいな言葉。

 他人の目より、自分の態度のほうを見ろと言われたときの、あの妙な救われ方。


 ましろの“先輩の生活に合う位置、もう結構分かってます”という無自覚な近さ。

 予定表より先に、必要なものを持ってくるあの後輩の強さ。


 いろはの“ちゃんと崩れるから好き”という危ない感性。

 完璧じゃないところを、美しいと断言するあの目。


 ひよりの“一緒に変なもの食べるの、すごく楽しいです”という素直さ。

 食べることを通してしか届かない距離があるのだと、まっすぐ信じている感じ。


 どれも違う。

 近づき方も、見ているものも、求めているものも違う。

 だから、誰が一番とか、誰が本命とか、そういう並べ方をされると本当に困る。


 だが困るということは、何もないわけではないということでもあった。


 それが今の自分をいちばん面倒にしている。


     ◇


 駅前の信号で立ち止まる。


 赤信号の向こうでは、制服姿の高校生たちが何人か笑いながら歩いている。たぶん部活帰りだろう。コンビニの袋を下げている奴もいる。二人で並んで帰る男女もいて、その様子だけを見れば、まさに自分がぼんやり想像していた“普通の青春”そのものだった。


 ふと、思う。


 自分は、まだ誰かを選ぶ段階にはいない。


 それは逃げではなく、たぶん本当にそうだ。

 誰か一人を特別だと決めるには、まだ気持ちが整理できていない。

 今あるのは、それぞれ違う方向から向けられる熱や視線や距離感であって、そこに一つの答えを出せるほど単純じゃない。


 ことねと話すのは楽しい。

 朱莉の言葉は、昔からの重みで刺さる。

 凛に見られていると、変に崩れたくないと思う。

 しおんの静かな“うまく言えない”には、いまだに引っかかる。

 ましろに先回りされると、助かるのが悔しい。

 いろはに“描きたい”と言われると、困るのに少しだけ気になる。

 ひよりと変なものを食べる時間は、たしかに妙に楽しかった。


 これを今、一本の線にするのは無理だ。


 だけど。


「……何も始まってない、はもう無理か」


 信号待ちのあいだに、ぽつりと声が漏れた。


 そうなのだ。


 まだ選ばない。

 まだ決められない。

 でも、何も始まっていないわけじゃない。


 ことねの言葉に少しどきっとする自分がいた。

 朱莉に“覚えといて”と言われて、ちゃんと重みを感じた自分がいた。

 凛の言葉で気持ちが少し軽くなった自分がいた。

 しおんの写真の視線を、何度も思い出してしまう自分がいた。

 ましろに差し出された飲み物が、すごくありがたかった自分がいた。

 いろはの“好き”を、完全に嫌だとは思わなかった自分がいた。

 ひよりの“楽しい”に、少しだけ救われた自分がいた。


 それはもう、“何もない”とは言えない。


 青信号に変わる。

 人の流れに合わせて歩き出す。


     ◇


 家に着いて、玄関で靴を脱ぎ、自室へ荷物を置く。

 いつもと変わらないはずの動作なのに、今日は少しだけ気持ちが静かだった。


 机に向かい、何気なく鞄の中身を整理する。


 教科書。ノート。筆箱。

 そして、ひよりにもらったままになっていた紙袋のことをふと思い出して、脇の引き出しへしまう。

 その動作一つで、自分がもう“何もなかったこと”にはできないものをいくつも持ち帰っているのだと分かった。


 ベッドへ腰を下ろし、天井を見る。


 昔なら、こんな日々は面倒でしかなかったかもしれない。

 だが今は、その面倒くささの中に、それぞれ違う温度があることを知ってしまっている。


 だからこそ簡単には切れないし、だからこそ余計に疲れる。


 それでも。


 少なくとも、自分はもう完全に受け身ではなかった。

 “変に意味づけされるのが嫌だ”と思う一方で、誰かの言葉をちゃんと受け取って、ちゃんと返してしまっている。

 そして、その返した言葉がまた誰かの中で熱を持つ。

 そういう場所へ来てしまっている。


「……普通、難しいな」


 笑うみたいに呟く。


 でも、その普通の難しさの中で、自分が少しずつ変わっていることも分かる。

 逃げたいだけじゃない。

 面倒くさいだけでもない。

 まだ何も決められないけれど、だからといって何も始まっていないふりも、もうできない。


     ◇


 翌朝。


 黒峰恒一が教室へ入ると、まだ半分ほどしか埋まっていない机の列の中に、自分の席が見えた。


 そして、その机の上に――


「……は?」


 小さな紙袋が、置かれていた。


 手のひらに乗るくらいの大きさ。

 派手ではない。

 でも、明らかに“誰かが意図して置いた”感じがある。


 近づく。

 紙袋の口は丁寧に折られていて、小さなシールで留められていた。

 横にはメモも名前もない。

 差出人不明。


 だが、袋の中にはやわらかい感触がある。

 焼き菓子か何かだろうか。


「……何それ」


 背後からことねの声がした。


 振り向くと、ちょうど登校してきたらしいことねが、鞄を肩にかけたままこちらを見ている。

 次いで、通路側から凛も顔を上げた。

 窓際では朱莉が足を止め、しおんも静かに視線を向ける。


 教室の朝の空気が、また少しだけ形を変える。


 差出人不明の小さな菓子。

 名前はない。

 でも、だからこそ意味が増える。


 恒一はその袋を見つめたまま、昨日までの静かな整理が、また一瞬で新しい火種に変わっていくのを感じていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ