第33話 変食ヒロイン、ついに学食で本領発揮する
水曜日の昼休み、黒峰恒一は学食棟の前で立ち止まっていた。
春の昼の空気は少しだけ暖かく、校舎の白い壁が光を反射している。購買の前ほどではないが、学食の入口もまた独特の賑わいがあった。トレーを持って並ぶ生徒、限定メニューのポップを見ている女子、席取りのために小走りになる者たち。揚げ物の匂いと、ご飯の湯気と、食器の触れ合う音が混ざり合って、昼休みらしい騒がしさを作っている。
その中で恒一が立ち止まっている理由は、目の前にいる相手のせいだった。
「先輩」
毒島ひよりが、今日も本気の目でこちらを見ていた。
小柄で、大人しそうで、ぱっと見れば図書委員にでも見えそうな見た目。だが、その静かな目の奥だけは、食べ物が絡むと明らかに温度が変わる。今もそうだった。控えめな姿勢のままなのに、“今日は絶対にこれを通す”という熱量がしっかりある。
「今日の限定、かなりいいです」
そう言って、ひよりは学食入口のポップを指さした。
そこに書かれていたのは、
期間限定・代替肉ハンバーグ定食
謎肉スープ付き
文字列だけでだいぶ強い。
しかも、右下には小さく
試作提供/アンケート協力歓迎
とある。
「……だいぶ攻めてるな」
恒一が本音を漏らすと、ひよりは小さくうなずいた。
「はい。だからこそ、今日です」
「今日です、って」
「先輩と来るなら」
その言い方があまりにも自然で、恒一は一瞬だけ言葉に詰まる。
ひよりにとって、これは特別な誘いなのだろう。
恋愛的な色が全面に出ているわけではない。
だが、“一緒に変なものを食べる”ことに対する彼女の価値の置き方を知っている今となっては、これがかなり個人的な接近なのだと分かってしまう。
「……俺じゃないとだめなのか」
そう聞くと、ひよりは少しだけ考えた。
「だめ、ではないです」
「じゃあ何で俺なんだよ」
「一番ちゃんと食べてくれそうなので」
やっぱりそこだった。
見た目で切らない。
一口は試す。
妙なものにも妙なものなりの理屈があると、半分だけでも受け入れてくれる。
ひよりにとってそれは、かなり大きな意味を持つらしい。
「先輩、前に“こういうのって意外とうまい時あるよな”って言ったじゃないですか」
「言ったな」
「その時点で、かなり候補でした」
「まだ候補だったのかよ」
「今はだいぶ本命寄りです」
「言い方が危ない!」
思わず声が少し大きくなる。
周囲を歩いていた何人かの女子がちらっとこちらを見る。
最悪だ。
ここ最近、自分は本当に“学習しない男”になりつつある気がする。
ひよりは少しだけ不思議そうに瞬きをした。
「食の相性の話です」
「分かってるけど、その補足が必要な時点で危ないんだよ」
「そうなんですね」
そこで本気で納得するな。
◇
結局、恒一はひよりと一緒に学食へ入った。
断れなかった、というのが一番近い。
でもそれだけではない。
少しだけ興味があったのも事実だ。
代替肉ハンバーグ定食。
謎肉スープ付き。
どう考えても普通の高校生男子が自分から選ぶラインナップではない。だが、ここまで来ると逆にどんなものなのか気になる。
学食の列に並ぶ。
ひよりは小柄な体で前に立ちながら、今日のメニューの特徴を小声で説明し始めた。
「ハンバーグは、前回の試作より繊維感が増してるはずです」
「“はず”なんだ」
「前回は別ロットだったので」
やっぱり工場の人か何かに聞こえる。
「あと、謎肉スープはたぶん旨味方向に寄せてます」
「たぶん多いな」
「でもこの“たぶん”は、いい意味のたぶんです」
「何も分からん」
ひよりは真顔のまま、でも少しだけ楽しそうだった。
こうして並んでいると、まるで普通の昼食みたいに見える。
だが会話の内容が普通ではない。
それでも、ひよりの中ではこれがちゃんと“楽しい共有時間”なのだと分かる。
トレーを取り、定食を受け取る。
見た目は思ったよりまともだった。
代替肉ハンバーグは少し表面が均一すぎる気もするが、ソースがかかっていてそれなりに美味しそうだ。謎肉スープのほうは、透明に近いスープの中に、小さな四角い肉片らしきものがいくつも浮いている。
見た目からして“何だこれ”ではあるが、食堂で出されると妙にそれっぽく見えるから不思議だ。
「席、あそこ空いてます」
ひよりが指さす。
窓際から少し離れた二人席。
人の流れからは少し外れていて、でも学食全体は見渡せる位置だ。
そこへ向かい、向かい合って座る。
なんだかもう、それだけでだいぶ“イベント”だ。
「……いただきます」
「いただきます」
ひよりの声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
まずはハンバーグから。
「先輩、最初は端からで」
「なんで」
「食感の差が分かるので」
また要求が細かい。
だが、ここまでくると従ったほうが早い。恒一は端を切って口へ運ぶ。
……思ったより普通だ。
肉ではない。
完全に肉ではないのだが、豆っぽい感じも強すぎず、繊維のほぐれ方がちゃんと“ハンバーグっぽさ”を目指している。ソースも濃いめで、全体としては十分食べられる。
「どうですか」
ひよりの目が真剣だ。
「……なんていうか」
恒一はもう一口かじる。
「“頑張ってる”感じはある」
ひよりがぱっと表情を明るくした。
「はい」
「褒めてるのか?」
「かなり」
またそれだ。
「完璧じゃないけど、方向は分かるって感想ですよね」
「そう。たぶん」
「それ、すごくいいです」
ひよりは本当にうれしそうに言った。
「ちゃんと“何を目指してるか”まで見てくれるので」
そう言われると少し照れる。
ただ食べた感想を言っただけなのに、ひよりの中ではそれがかなり大事なことらしい。
「じゃあ次、スープです」
「指示されながら食う昼飯ってなかなかないな」
「でも大事です」
謎肉スープをすくう。小さな四角い肉片は、見た目だけならインスタント麺の具材を少し大きくしたような感じだ。口へ入れると、ぷにっとして、それから少しだけほろっと崩れる。食感は肉と言い張るには軽いが、ちゃんと“肉のようでありたい何か”ではある。
「……うわ」
思わず変な声が出た。
「どうですか」
「なんか、すごい中間だな」
「中間」
「肉でもないし、ただの加工物でもないし」
恒一はスープをもう一口飲む。
「でも、妙に嫌いになれない」
その言葉に、ひよりは両手で箸を持ったまま、小さく息をついた。
ほっとしたのか、感動したのか、たぶん両方だろう。
「やっぱり先輩、すごいです」
「何が」
「その“嫌いになれない”って感想、かなり好きです」
「また“好き”って軽々しく言うな」
「これは食の話です」
「分かってるよ!」
だが、こうして向かい合ってやり取りしていると、その“食の話”だけでは済まない空気も少しずつ出てくるから困る。
◇
ひよりはハンバーグを小さく切りながら、珍しく少しよく喋っていた。
「私、変なもの食べるの好きなんですけど」
「うん」
「一人で食べるのも楽しいです」
「うん」
「でも、一緒に食べて“分かる”って返してくれる人がいると、もっと楽しいです」
その言葉は、やけに素直だった。
ひよりにとって、“食べる”ことはただの趣味ではない。
新しいもの、ちょっと引かれるもの、普通は避けられがちなもの――そういうものを自分なりに面白がってきた。でも、その面白さを共有できる相手は少ないのだろう。
だからこそ、恒一みたいに「無理」と切らず、「頑張ってる」とか「嫌いになれない」とか返す相手が、ひよりには特別なのだ。
「……ひよりって」
名前を呼んでから、少しだけ気づく。
初めて自然に呼んだかもしれない。
ひよりも一瞬だけ目を上げた。
でも、特にそこを拾わない。拾わない代わりに、少しだけうれしそうにしているのが分かる。
「食べ物に対して、ちゃんと向き合ってるんだな」
それはかなり率直な感想だった。
ひよりは少しだけ考えてから、こくりとうなずく。
「変だから、とか、変わってるから、だけで終わるの嫌なんです」
「うん」
「ちゃんと食べたら分かることもあるので」
その言い方は、食べ物の話でありながら、少しだけそれ以外にも聞こえた。
見た目だけでは分からない。
名前だけでは決められない。
ちゃんと触れてみて初めて分かる。
それは、ひより自身にも少し似ているのかもしれない。
◇
「……おい」
低い声が、少し離れたところから聞こえた。
ぎくっとして顔を上げる。
いた。
ことねだった。
しかも凛まで一緒だ。
なぜ来る。
なぜちょうどこのタイミングなんだ。
二人は学食のトレーを持ったまま、こちらの席の少し向こう側に立っていた。ことねは明らかに「見つけちゃった……」という顔で、凛は露骨に呆れている。
「……何してんの」
ことねが小声で聞いてくる。
「昼飯だけど」
「いや見れば分かるけど! そうじゃなくて!」
ひよりは二人に向かって小さく会釈した。
「こんにちは」
「こ、こんにちは……」
ことねがぎこちなく返す。
凛は深く息を吐いた。
「黒峰、ほんとに学食で来たんだ」
「お前その言い方、予想してたみたいだな」
「少しは」
だろうと思った。
ことねはトレーを持ったまま、なんとも言えない顔でテーブルを見下ろす。
「……代替肉ハンバーグ定食」
「うん」
「……謎肉スープ」
「うん」
「ほんとに来てる……」
その言い方が妙にじわじわくる。
「夢咲先輩たちも、食べますか?」
ひよりが、悪意なく、心から自然に聞いた。
ことねが半歩下がる。
「えっ、私はまだそこまでの覚悟が……」
凛が横から言う。
「私は遠慮しとく」
「賢明です」
ひよりの返しが真顔すぎる。
そして、そのやり取りのあとで、ことねがじっと恒一を見た。
「……楽しい?」
その問いは思ったより静かだった。
学食のざわめきの中なのに、やけにはっきり聞こえる。
恒一は少しだけ考える。
代替肉ハンバーグは妙に頑張っている味だった。
謎肉スープは意味不明なくせに嫌いになれなかった。
ひよりはその感想ひとつひとつを本気で受け止めて、うれしそうにしている。
だから、答えは一つだった。
「……まあ、思ってたより」
恒一がそう言うと、ひよりの目が小さく輝く。
ことねは「うわー……」という顔になる。
凛は本気で呆れている。
「やっぱり黒峰、そういうとこなんだよ」
凛が低く言った。
「何が」
「ちゃんと付き合うとこ」
それが褒め言葉なのか、愚痴なのか、もうよく分からない。
ことねはそれでも、少しだけ笑った。
「……じゃあ、今度その感想、ちゃんと聞かせてよ」
「何をだよ」
「代替肉ハンバーグと謎肉スープのレビュー!」
ことねが言うと、ひよりがぱっと反応した。
「はい、ぜひ」
「いや、なんで毒島さんが乗るの!?」
学食の中で、小さな笑いが生まれる。
面倒だ。
ものすごく面倒だ。
でも、この妙な共有時間を、恒一は完全には嫌いになれなかった。
ひよりは箸を持ち直して、静かに、でもはっきり笑う。
「一緒に変なもの食べるの、すごく楽しいです」
その一言は、恋愛の告白ではない。
でも、ひよりにとってはかなり深いところから出てきた言葉なのだろう。
ただ食べるだけじゃない。
ただ付き合うだけじゃない。
“分かってくれる相手”と、“一緒に食べた”という事実そのものが、彼女には特別だ。
学食の昼の光の中で、その特別さだけは、はっきり見えてしまっていた。




