第115話 夜のLINEは、勉強よりも少しだけ本音が混ざりやすい
その日の勉強会は、ひよりの集中食によって、妙な疲れ方をした。
暗記は進んだ。
少なくとも、ことねは英単語を十個覚えたし、社会の用語もいくつか頭に入った。凛の予定表通りに時間も区切れた。ましろの休憩も効いた。しおんは静かに進み、朱莉はいつものように怖くない言葉で補助してくれた。
ただ、全員の記憶に一番残ったのは、たぶん梅チーズ寒天だった。
「……勉強会って、ああいう味するものだったっけ」
帰宅後、黒峰恒一は自室の机に英語のプリントを広げながら、ぼそっと呟いた。
口の中にはもう何も残っていない。
なのに、思い出すと少しだけ酸っぱい。
スマホが震えた。
画面を見る。
クラスの勉強会用に作られた小さなグループだった。
凛が作った。名前はシンプルに、テスト勉強会。
最初の通知は、ことねだった。
夢咲ことね:今日の梅チーズ寒天、夢に出そう
すぐに朱莉が返す。
火乃森朱莉:でも目は覚めたよね
夢咲ことね:それは認める
朝霧凛:目的は達成してる
夢咲ことね:味へのコメントが誰も優しくない
雪代しおん:音は軽かった
夢咲ことね:雪代さんの感想だけ別ジャンル!
恒一は思わず笑った。
教室でやっていた会話が、そのまま夜のスマホの中へ移っている。
文化祭の前なら、こんなふうに夜まで会話が続くことは、たぶん少なかった。
少し考えて、恒一も打った。
黒峰恒一:目は覚めた。味はまだ考えてる
すぐに既読が増えた。
夢咲ことね:黒峰くんも味の答え出てないじゃん
黒峰恒一:分類が難しい
毒島ひより:集中食です
夢咲ことね:分類名で押し切った
小鳥遊ましろ:次回は飲み物を多めに用意します
夢咲ことね:ましろちゃんの安心感……
朝霧凛:明日は数学演習。今日の暗記範囲、寝る前に一回見直して
夢咲ことね:現実が来た
火乃森朱莉:でも見直したほうがいいよ
夢咲ことね:朱莉ちゃんまで現実側に……
恒一はスマホを置いて、プリントへ視線を戻した。
夜のLINEは、教室より気軽だ。
顔が見えないぶん、言葉が少しだけ軽くなる。
でも、軽くなるからこそ、たまに本音も混ざる。
またスマホが震えた。
今度は個別メッセージだった。
夢咲ことね。
夢咲ことね:黒峰くん、今日の英単語さ
少し間があく。
夢咲ことね:寝る前にもう一回だけ確認したら、明日ちょっと覚えてるかな
恒一は、画面を見ながら少しだけ笑った。
ことねがこういう聞き方をする時は、たぶんもう半分答えを分かっている。
黒峰恒一:覚えてる可能性は上がる
夢咲ことね:可能性って言い方が理系っぽい
黒峰恒一:じゃあ、やれば明日の自分が助かる
夢咲ことね:それはちょっと刺さる
黒峰恒一:刺さったならやれ
夢咲ことね:はい……
数秒後、また来る。
夢咲ことね:でもさ
黒峰恒一:うん
夢咲ことね:夜にこうやって聞けるの、ちょっと助かる
恒一の指が止まった。
画面の白い光だけが、机の上を照らしている。
昼間なら、ことねはこれを笑いながら言ったかもしれない。
でも夜の文字になると、余計な表情がないぶん、言葉だけがまっすぐ残る。
黒峰恒一:ならよかった
それだけ返す。
すぐに返信が来た。
夢咲ことね:うん。ありがと
短い。
でも、短いから残る。
恒一は少しだけ息を吐いて、英語のプリントを見た。
その直後、また通知。
今度は凛だった。
朝霧凛:黒峰、明日数学見るなら、今日のことねのノート範囲だけ確認しておいて
黒峰恒一:了解
朝霧凛:あと、説明が雑になりすぎないように
黒峰恒一:雑だったか?
朝霧凛:入口としてはいい。定着には少し足りない
黒峰恒一:評価が細かいな
朝霧凛:役割分担だから
凛らしい。
でも、そのあと少しだけ間があって、もう一通来た。
朝霧凛:今日、ちゃんと回ってたと思う
それだけ。
恒一は、その短い文をしばらく見た。
凛は、必要なことしか送らない。
だからこそ、その一文には少しだけ体温がある。
黒峰恒一:朝霧の予定表のおかげだろ
朝霧凛:それもある
黒峰恒一:否定しないんだな
朝霧凛:今日はしない
恒一は笑った。
朝霧凛:でも、黒峰が入口作ってるのもある
そこでまた指が止まる。
昼間にも似たようなことを言われた。
でも、夜に文字で来ると、逃げ場がない。
黒峰恒一:そう言われるとやりづらい
朝霧凛:やりづらくても明日やって
黒峰恒一:現実担当
朝霧凛:便利でしょ
恒一はスマホを机に伏せかけて、また震えたので見る。
今度は朱莉だった。
火乃森朱莉:明日、数学の例題いくつか見ておいたほうがいいかも
黒峰恒一:ことね用?
火乃森朱莉:うん。怖くないやつ
その表現に、少しだけ笑った。
怖くないやつ。
朱莉らしい言い方だ。
黒峰恒一:火乃森が選んだほうがよくないか
火乃森朱莉:黒峰が入口作って、私が言葉を柔らかくする感じでいいと思う
黒峰恒一:完全に役割決まってるな
火乃森朱莉:文化祭みたいだね
その一文に、少しだけ懐かしさが混じって見えた。
黒峰恒一:だな
火乃森朱莉:でも、今のほうが少し自然かも
恒一は、すぐに返せなかった。
文化祭の時は、理由があった。
今はテストという理由がある。
でも、勉強会はもっと日常に近い。
黒峰恒一:そうかもな
火乃森朱莉:うん。じゃ、また明日
黒峰恒一:また明日
また明日。
その言葉も、前より自然になっている。
今度は、しおんからだった。
雪代しおん:今日、暗記の時の音、少し面白かった
恒一は思わず声を出さずに笑う。
黒峰恒一:どんな音だよ
雪代しおん:みんな最初は重い音だった。休憩のあと、少し軽くなった
黒峰恒一:ましろ効果か
雪代しおん:うん。あと、ひよりちゃんの梅チーズ寒天
黒峰恒一:あれも軽くしたのか
雪代しおん:眠気は飛んだ
黒峰恒一:味は?
少し間があった。
雪代しおん:不思議
恒一は笑った。
昼と同じ答えだ。
黒峰恒一:変わらないな
雪代しおん:うん。でも、黒峰くんが笑ってたから、悪くなかった
夜の文字は、時々不意打ちになる。
しおんは、言葉を飾らない。
なのに、ときどき真ん中へ置いてくる。
黒峰恒一:見てたのか
雪代しおん:見えた
黒峰恒一:便利だな
雪代しおん:便利。でも、今日は少し楽しかった
黒峰恒一:勉強会が?
雪代しおん:うん。夜にこうやって続くのも
恒一は、しばらく画面を見ていた。
同じ教室にいるだけじゃない。
放課後だけでもない。
夜になっても、少しだけ繋がっている。
それは、文化祭の時にはなかった距離かもしれない。
最後に、ましろから個別メッセージが来た。
小鳥遊ましろ:先輩、今日は早めに寝てください
恒一は即座に返した。
黒峰恒一:いきなり保護者か
小鳥遊ましろ:明日、数学演習です。寝不足だと説明が雑になります
黒峰恒一:朝霧にも似たこと言われた
小鳥遊ましろ:では重要です
黒峰恒一:了解
そこで終わるかと思ったら、もう一通。
小鳥遊ましろ:あと、今日のクッキー、残っています
黒峰恒一:甘すぎないやつ?
小鳥遊ましろ:はい。明日持っていきます。名前つきで
恒一の手が止まった。
名前つきで。
匿名の差し入れの話をしてから、ましろはその言葉をとても大事にしている。
自分の近さを、自分の名前で差し出す。
それがましろの選び方なのだろう。
黒峰恒一:ありがとな
小鳥遊ましろ:はい
短い返信。
でも、ましろらしい。
◇
気づけば、英語のプリントはあまり進んでいなかった。
勉強会の復習をするつもりだったのに、夜のLINEにかなり時間を持っていかれた。
ただ、不思議と無駄な時間だったとは思わなかった。
ことねは、夜に聞けることを助かると言った。
凛は、ちゃんと回っていたと言った。
朱莉は、今のほうが自然かもしれないと言った。
しおんは、夜に続くのも楽しいと言った。
ましろは、名前つきで持ってくると言った。
どれも短い。
でも、その短さの中に、それぞれの距離がちゃんとあった。
黒峰恒一はスマホを伏せて、英語のプリントをもう一度見る。
「……寝る前に一回だけやるか」
ことねに言った手前、自分がやらないわけにもいかない。
夜のLINEは、勉強よりも少しだけ本音が混ざりやすい。
そしてその本音は、教室のざわめきの中で聞くよりも、ずっと静かに胸へ残るのだった。




