祝福と呪い
「……この猫、喋った」
「喋ったね」
件の白猫を挟んで、ルークとカミラは顔を見合わせる。
「前に遊びにきてた時は、喋ったりしない普通の猫だったのに」
カミラは白猫に手を伸ばし、慣れた手つきで優しく顎を撫でてやる。
「あまり気安く触らないでもらいたい」
「うわ、また喋った。すごいな、どうなってんだこの猫……もしかして獣人、なのか?」
獣人にはヒト型と獣型が存在するが、ここまで獣に寄った獣人は見たことがない。というより、そんなものは存在し得ないはずだ。
獣人とは、獣に人の特徴が現れるのではなく、あくまで人に獣の特徴が現れる。つまりベースは人のはずだ。
目の前の存在はこの世の理から外れている。
「そんなわけなかろう」
ルークの言葉は、白猫によって即座に否定される。
まぁそりゃそうだろうとは思ったが、否定してくれてほっとした。
カミラはまだ驚きが収まらないようだが、ルークは銀の冒険者だ。
未知との遭遇は日常だ。
そして、理解できない事象の原因は、だいたい2つに絞られる。
それはルークの知らない魔法か、もしくはルークの運命操作と同様の、天から授かりし能力——"ギフト"だ。
「——君も大変だね」
「ふん、貴様に何がわかる」
一蹴されると分かっていても、ルークはつい白猫に対してそんな言葉を投げかけてしまう。
ギフトを持った者など、ろくな奴がいない。
この能力は天からの贈り物などではなく、世界の理から外れた、ある種の呪いだ。
少なくとも、ルークにとってはそうだ。
それは自分にとって都合の良い超能力などでは、決してない。
「——わかるさ」
1人と1匹の会話にカミラは、何のことだかさっぱりな様子だったが、互いにそれを気に留める様子はない。
「おい、鳥人」
「なんだい?猫さん」
「——アレは?」
短い言葉と共に、白猫は前方に視線を向ける。
その先には、いまだ土とと戯れ合うアイルの姿があった。
「ああ、あの子はアイルちゃんって言うんだ。詳細は内緒」
「——アイル。そうか、アレが……っお、おい!アレを私に近づけるな!」
白猫はそう言うと、その場から一歩後退する。
全身の毛を逆立てて、硬直している。
その目は、こちらを振り向いたアイルと視線が交わっている。
「にゃうにゃうー!!!」
そしてアイルはルークの横の白猫を見るやいなや、その瞳をキラキラと輝かせ、こちらへ向かって手を伸ばしながら駆けてくる。
「あ、アイルちゃん。猫さんが遊びにきてくれたよー」
白猫の方は何やら緊張しているようで、心なしか表情も少し強張っているように見える。
だが別に危険な状況とも思えないルークは、むしろアイルを呼び寄せる。
そして白猫に触らせようとベンチの上に座らせてやる。
「あいーっ!——せ、しうー!」
「なんだ!?やめろ、耳を掴むな!」
アイルは白猫に抱きついてはしゃぐ。
特に耳がお気に入りのようだ。
「こらこらアイルちゃん、猫さん嫌がってるから、優しくね?やさーしく」
「うー、せしうー?」
アイルは猫の耳を指差しながら、頭上に振り返り、ルークへ何かを問う。
「せし……ああ!セシルちゃんか、そうだね。セシルちゃんとおんなじ耳だね。でも掴んだらダメだよ、猫さん痛がってるよ?」
「うー?」
アイルは白猫から離れてルークを見つめる。
何を言われてるかは分かっていないだろうが、しゅんとしてルークの元へ戻る。
「ほら、猫さんにごめんなさいして?」
「……しゃい」
ルークが頭を下げるのを真似して、アイルもぺこりと頭を下げる。
「うん、いい子だ」
「——ふん、私を躾の道具に使うな」
ルークがアイルの頭を撫でて、アイルもぐりぐりとルークの胸に顔を押し付ける。
実に平和で和やかな光景だ。
このままいつまでもこうしていたいとも思うが、そうもいかない。
「あ、あのシロ。——ココアがどこにいるか知ってるの?」
「そうだと言っている。名前は知らんが、黒猫を探しているのだろう?」
「それで、その黒猫はどこにいるんだい?」
白猫はひょいとベンチから飛び降り、わずかにこちらを振り返る。
「街のはずれの林の奥だ。ついてこい、案内しよう」
——————
「うわ、何この猫?気持ち悪い」
広場の周辺を捜索していたルルが戻ってきて、白猫を見るなり開口一番そんなことを言う。
「猫、嫌いなんですか?」
カミラがルルの言葉に対し疑問を返す。
「別に猫なんてなんとも思ってないわ……そうじゃなくて、その猫の中に入ってるやつよ。魔力が混じってぐにゃぐにゃしてる」
ルルの言葉にルークは、やはりそうか、と自分の推測は当たっていたらしいことを理解する。
「ほう、見えるのか。——お前は……そうか精霊か、珍しいな」
「あたしはあたしよ!珍しくなんかないわ!」
「でもルルさん、本当にすごいです!あの広場に手がかりがあるって分かってたんですよね!そのおかげでシロとも会えましたし!」
カミラの賞賛と尊敬の眼差しに、ルルは首筋をぽりぽりと掻きながら天を仰ぐ。
「そ、そうね!——広場はなんか怪しいと思ってたのよ!その猫もあたしが見つけてきたようなものだしね」
(ルルちゃん。あんまり見栄を張りすぎないほうが、後々の自分のためだと思うけど……)
ルークも白猫も何も口には出さないが、見栄っ張りな友人には困ったものだ。
あの子の影響を強く受けると思うと、アイルちゃんの今後が心配だ。
今度セシルには躾はしっかりするように、それとなく伝えておこう。
ルークは腕の中のアイルを見つめると、アイルも不思議そうな顔で見つめ返す。
この少女には真っ直ぐに育って欲しい。うん。
「それで、ココアちゃんはなんで街のはずれにいるんだい?」
ルークは先頭を歩く白猫は問う。
「……この白猫と番だからだ」
「——番ってことは君、メスなんだ」
「…………。」
何か気にさわっただろうか。
振り返った視線が、心なしか冷たいような。
ルルとカミラも冷ややかな視線をルークへ向ける。
「まぁいい、それで少し困っていてな。お前たちの手を借りたい」
「困りごと?」
「ああ、この体の主から頼まれてな。お前たちが探している黒猫が、少々危険なのだ」
「え、危険ってどう言うことですか!?」
白猫の言葉にカミラが反応する。
「何が起きたのかは、私にもわからん。猫の言葉など要領を得ないのでな。……まぁ、見ればわかる。——あそこだ」
白猫が立ち止まって示す先には、なんの変哲もない林がある。
近くに人通りはなく、街道からも外れている。
「あそこがこの白猫のねぐらだ。お前たちが探している猫もそこにいる。——頼んだぞ冒険者、貴様に借りを作るのは癪だが、あの猫を助けてやってくれ」
白猫はそう言い残すと、林の奥へ視線を向けた。
その先からは、風に揺れる木々の音しか聞こえない。
だが、何者かが息を潜めるその静けさだけが、妙に不気味だった。
——————
件の白猫——シロが言うには、この林の奥が白猫のねぐらであるらしい。
そして、そこに捜索中の黒猫ココアがいる、とのこと。
シロはそれ以上、何も教えてはくれなかった。
ココアが危険だ、助けてくれ、それだけの情報で林へ踏み込んでいく。
シロとカミラは林の入り口で待っていてもらうことにした。
ルークの戻りが遅い場合は、人を呼んでもらう。と言う名目で、カミラを置いてきた。
現在は、ルーク、ルル、アイルの3人で林の奥へと進む。
周囲は静まり返っており、草木の囁きさえもどこか遠くに聞こえるようだ。
「なんか、ヤな感じね」
ルルは、木々の隙間から緩やかに流れる風に、ぴくりと体を震わせる。
「——近いかな?」
「ええ、アイルを降ろして、私のそばに」
ルークの腕に抱かれるアイルも、周囲の緊張を読み取ってか、硬直してルークの服をギュッと掴んでいる。
ルークはその小さな手を優しく解くと、ゆっくりと地面に立たせる。
不安げなアイルを背にしてルークは前に出る。
そして腰の剣を引き抜くと、その際に近くの木の枝から葉を何枚か引きちぎって左手に握る。
「——さて、何が出てくるかな」
敵はおそらく目と鼻の先、正面の茂みにいるだろう。
複数ではなく、単体のようだ。
サクサクと、地に足をつく音がかすかに聞こえる。
そして、一瞬の静寂ののち、それは現れた。
(速い!?)
音もなく現れたそれは、ルークの首を目掛けて、その鋭い爪と牙を突き立てんと飛びかかる。
「っウインド!!」
ルークは左手に握った木の葉ごと、風の魔法を放つ。
ただの目眩しでしかないが、野生の動物ならば一瞬の隙が生じる。
襲いかかる爪を剣の腹で弾き、胴体に鋭い蹴りを放ち距離を取る。
「……これは、」
ルークに襲いかかった獣の正体は、巨大な黒い猫だった。
「——猫、なのか?……虎くらいでかいんだけど」
尾が2つに割れている……化け猫の類だろうか、いずれにしても魔物には違いない。
異常に発達した爪の牙に、理性を失った瞳、荒れ狂う魔力。
鋭い牙の隙間からはだらだらと唾液をこぼし、荒い呼吸を繰り返す様は、何かに苦しんでいるようにも見える。
魔物は、剣を構えたルークとの距離をジリジリと詰めながら、間合いを測っている。
(ココアはこいつに襲われたのか?)
「……ちょっと待って!」
背中からルルが声を上げる。
ルークは振り返ることなくルルの言葉に耳を傾ける。
「そいつ、殺さないで」
「——難しいこと言うね、どうして?」
ルルの息を呑む音が聞こえる。
「……そいつ、多分探してる黒猫よ!——魔力が荒ぶってるけど、さっきのぬいぐるみと同じ魔力を感じるわ」
「——マジで?……はは、ずいぶんと獰猛な猫を飼ってたんだね、カミラちゃん!」
ルークは即座に剣を鞘に納め、鞘走らないように紐で固定する。
「無傷で捕まえるのは難しいな——ルルちゃん!あいつの動きを止めたら、蔓で縛れる?」
「いいわ、やってあげる。上手くやんなさい!!」
打てば響く返事と共に、ルークは駆け出す。
「うぉおおおお!」
大きく声をあげ、上段に振りかぶった剣を大袈裟に振り下ろす。
と、そう見せかけて、魔物の視線を上へ誘導する。
そして視線のはずれた足もとの砂を、魔物の顔を目掛けて思い切り蹴り上げる。
舞い上がった砂は、魔物の視界を塞ぐ。
その一瞬の隙をついて、剣を構え直し、魔物の顔面を鞘で横薙ぎに殴りつける。
(っっ!?……硬い!)
殴りつけた剣から返る反動に、腕を痺れされながら、ついでに、前足に下段蹴りを入れて、魔物を転倒させる。
その際に、鋭い爪がわずかに掠め、服が裂ける。
「なかなかやるじゃない、あんた」
「僕だって冒険者なんだ!猫1匹に負けられないよ!」
そして崩れ落ちた魔物の背中に跨り、魔物の口に剣の鞘を噛ませる。
そして足を胴体に絡め、羽交締めて動きを封じる。
いくら鋭い爪があっても、四足獣の前足は背中までは届かない。
「——ルルちゃん!!」
「まっかせなさーい!」
ルルが念じると、周囲の木々から、蔓が伸びる。
その蔓は、魔物を絡めとらんと一直線に襲いかかる。
魔物の足に蔓が絡むその瞬間、魔物は後ろ足で地面を蹴り、蔓から逃れようと逃げ回る。
「おおおお、っと」
「逃がさないわ!」
逃げる魔物を追いかけて、ルルはさらに蔓を伸ばす。
だが魔物は一足の跳躍ののち、迫り来る蔓に向かって反転した。
「え!?ちょっとまって……」
背中にしがみつくルークごと蔓の中へ飛び込もうとする。
そして魔物は接触の瞬間に直角に進路を変え、その勢いにてルークを振り落とす。
その後、目にも止まらぬ速さで駆けていき、追撃を振り切った。
次の瞬間にはすでに魔物の気配は遥か遠くへと消え去ってしまった。
「っち、逃したわね。——あんたがしっかり捕まえてないからよ!」
ルルは悔しそうに舌を鳴らし、不甲斐ない相棒に不平を漏らす。
「さっさと追いかけるわよ!——って何してんのあんた」
ルルが振り返ると蔓に絡め取られて、逆さまで宙吊りになったルークが弱々しく声を上げていた。
「——ルルちゃん、降ろして。……ああ、アイルちゃん髪を引っ張らないでおくれ、痛いよー」
「はぁ……。あんたって強いのか弱いのかよくわかんないわね」
絡まった蔓を緩めてやると、ルークは顔から地面に着地して、ぐえっと断末魔を残す。
「いやぁ、まさか僕を乗せたままあんなに早く動けるとはね……」
ルークはのそのそと起き上がって、体についた土を払う。
「うーん、でも聞いてた特徴とだいぶ違うわね、でも魔力の波長は同じなのよね」
「1週間程度で、ただの猫が魔物になるなんて思えないんだけど、どうなんだろう」
魔物の発生について、前に本で読んだことがある。
魔物は動物の突然変異で発生する。
そのため魔物とは生まれながらに魔物であるか、長い年月を経て、普通の動物の魔力が変質して、徐々に魔物になっていく。
そんな記述があったはずだ。
先のココアと思わしき魔物は、それらには当てはまらない。
「ココアちゃんが食べられちゃった、とかじゃないの?」
そうだとしたら、カミラがいるあの場で、シロが言葉を濁した意味もわかろうものだ。
「確証はないけど、多分違うわ。——すでに死んでいるなら、そんなにはっきり魔力を見分けられない、……と思う」
「そっかぁ、それじゃ、ひとまずはあの魔物がココアちゃんであるとして、捕獲ってとこかな」
ルークは逃げさった影を見つめる。
あの瞳には、魔物の狂気だけではなく、どこか怯えたような色があった。
こちらを殺しにくるのではなく、遠ざけようとするような。
「足跡が消えてしまわないうちに、追いかけようか」
まぁそんな疑念も、この先に行けば自ずとわかるだろう。




