幸運と代償
ココアと思わしき魔物が逃げた先は、林のさらに奥。
足跡を辿ることもできる。
だがここまで接近できれば、あとはルルが魔力を辿ってどこまでも追いかけられるとのこと。
「なんか、嫌な感じなのよね」
ルルは魔力を辿りながら、林の奥に視線を向ける。
「まぁ間違いなく、普通じゃないことが起こってるよね」
「うん、魔力も乱れていたし、何かに苦しんでいるように見えたわ」
ルルは、ルークに抱かれたアイルに視線を移す。
「アイルもそうだった。大きすぎる器を満たすことができなくて、いつもお腹を空かせてた」
「あの猫も同じってこと?」
ルークの問いにルルは緩く首を振る。
「多分そうじゃないわ、逆よ。あの猫の場合は、小さな器には収まりきらないほどの魔力が込められてるの。あれじゃ、いつ器が壊れてもおかしくないわ。身体の肥大化もそれが原因かも」
魔力を視認できないルークとしては、荒唐無稽な話に思えるが、ルルの表情から差し迫った状況であることは理解できた。
言われてみれば確かに、あの魔物は先の戦闘で終始苦しそうに息をしていた。
それよりも問題がひとつ。
「ココアちゃんは……元に戻れると思う?」
あれを生捕りにするのはいいとして、そのままカミラに引き渡すわけにはいかない。
魔物と化してしまったものを、元に戻すことなどできるのだろうか。
「——わからないわ。治癒の魔法でどうにか、って感じじゃなさそうだし……」
ルルはこちらを見ない。
それにいつもの威勢の良さもない。
「ま、なんにせよ、捕まえて調べてみないとわからないよね」
「……そうね」
ルルとの会話はそれきりになってしまった。
腕に抱いたアイルに視線を落とすと、アイルが泣き出しそうな顔で、ルークの服を小さな手でギュっと掴んでいた。
ルルの不安が、アイルにも伝わってしまっているのかもしれない。
「大丈夫だよ、アイルちゃん、なんとかなるよ」
そう言ってルークは、優しくアイルの頭を撫でる。
それからしばらく林の中を進むと、ルルが立ち止まる。
「——この先よ。さっきよりも魔力が荒ぶってるわ。気をつけなさい」
「りょーかい」
ルルの言葉を受けて、剣の柄に手をかける。
腰には捕獲用のロープも括ってある。
作戦は先のものと同じ、今度は上手くやってみせる。
「待ちなさいルーク。——剣は、抜いておきなさい」
「いや、でも……」
「いいから」
冷たい声だった。
普段のルルとは全く違う声色に、何も言えないまま鞘に固定していた紐を解く。
そして長剣を引き抜くと、陽光を受けて鈍く光る。
そのまま木々の間を抜け、魔物と化してしまったココアと対峙する。
ココアは一本の大きな樹を背にして、ルークを待ち構えていた。
その姿は先刻のものより、一回り大きくなっているような気がした。
爪や牙も、太く、鋭くなっている。
ココアは荒い呼吸とともに、闘志をむき出しにして喉を鳴らし、こちらを威嚇する。
「これはちょっと、骨が折れそうだな。ルルちゃん!アイルちゃんと一緒に離れてて。——相手の動きを止めるまで、絶対にこっちに来ないでね」
ルークは剣を構えて、一歩、また一歩と距離を詰める。
「もっと遠くに逃げることも出来たろうに、ここで待ち構えたってことは、その後ろに何かあるのかな?」
言葉の通じない獣に、あえて話しかけながら、ココアの後ろの樹に視線を流す。
その視線を感じてか、ココアの方もいっそう唸り声を強くする。
「そっか、でもごめんね。君がそこまで本気なら、僕も手加減できない——理不尽を、味わってもらうよ」
(運命操作——幸運上昇)
ルークは剣を上段に構えて駆け出す。
駆け引きは必要ない。
ただ真っ直ぐに、思うがままに剣を振り下ろす。
ルークの迷いのない一撃に、反撃の余地はない。
ココアは咄嗟に横に飛び、初撃を回避する。
だが、避けたその先に、視線も向けていないルークの追撃が迫る。
返す手で無造作に剣を振り抜く。
振り抜かれた剣は、ココアの鼻先をわずかに掠める。
さらに、振り抜いた勢いのまま体ごと回転しもう一閃。
周囲の塵を薙ぎ払い、視界を奪う。
後方に下がるココアに、なお追撃は止まない。
今度も正面から駆け、右足で大きく踏み込み、空中で一回転し、そのままの勢いで剣を叩きつけた。
全体重を乗せた剣が地面に深く突き刺さり、その衝撃で周囲に砂埃が舞う。
切り付けられたココアの前足には鮮血が散った。
舞い上がった砂煙の中、ルークはゆっくりと立ち上がり、深く息を吐く。
金色の瞳で相手を見据えて、血が付着した剣に血振りをくれる。
「なに……それ」
ルルは今の一瞬の攻防を見て驚愕していた。
先ほどの戦闘を見たかぎり、ルークは小手先の技術で相手を翻弄する技巧派だと思っていたのだが、今のルークはそれとは全く逆の戦い方をしている。
勢いに任せた大振りではなく、一本の芯が通った大胆な立ち回り。
そして闇雲に剣を振るっているようにも見えるその斬撃は、まともに当てれば即死の——致命的一撃であった。
「あいつ、本気で行くなんて言いながら、まだ殺さないように手を抜いてる」
ルルはそう呟いた。
だが、その評価を聞いた本人は——
(ふう、やっぱり慣れないな、幸運に任せて剣を振るうのは。運悪く当たってしまったら殺してしまう……)
——死ぬほど緊張していた。
傍目からは、大胆不敵に立ち回っている——ように見えたルークの動きは、全てが偶然の産物であった。
今の一瞬の戦闘で、ルークは背中に大量の汗をかいていた。
最初の一撃も緊張からくる手汗で、剣がすっぽ抜けそうになったのを握力で無理やり押さえつけた結果だ。
続く2撃目も、初撃を避けられた焦りから、牽制のために振るった横薙ぎだ。
そして踏み込みの浅い一閃は、足元に散らばる木の葉を踏んで滑って、剣を振るった勢いのまま回転しただけである。
(最後の一撃なんて、木の根につんのめって転びそうになっただけなんだけど……)
砂煙の中、緊張と疲労で鉛のように重たい体をどうにか持ち上げる。
この状態は長くは続けられない。
だが、その鋭い金色の瞳を見開く姿は、誰がどう見ても圧倒的な強者の戦いだった。
ただし本人だけは、大量の冷や汗をかきながら、一刻も早くこの戦いが終わって欲しいと、ただそれだけを願っていた。
——————
(あいつの戦い……やっぱりなんかおかしい)
ルルが普段のルークに対して持つ印象は、常にへらへらとしていて、些細な不運に見舞われる頼りない男だ。
だが仮にも銀級の冒険者だという——冒険者の階級については以前セシルに聞いた——それなりに強いのはわかる。
ルークは銀の冒険者の中でもかなり若手らしい。
その歳で銀の冒険者に手が届くというのは稀だという。
——だとしてもだ。
強い、強すぎる。
先ほどから振るっている剣も、あとわずかでも剣が伸びれば、目、首、心臓を貫くことができる致命的一撃だ。
それに加えて、周囲の環境を巧みに利用している。
踏み込みの際に木の葉で足を滑らせ、相手に間合いを図れなくする。
切り落とした枝を相手の頭上に落としたり、足場の悪い地形に誘導し、相手の動きを封じる。
その全てが計算された動きで、一切の無駄がない。
それでいて本人は、流れるように飄々と立ち回っているのだ。
「ルークって、こんなに強かったのね」
「うー?」
ルルの呟きに、アイルは首を傾げている。
あの猫の魔物は——ココアは以前戦ったフィアー級の蜘蛛の魔物の強さと比べれば、力も大きさも魔力も数段落ちるのは確かだ。
だが、少なくとも討伐には、パーティで挑むレベルの強さだ。
前衛が引きつけて、中衛、後衛が魔法や弓で援護して初めて渡り合えるだろう。
それを軽装備の剣士が、単身で相手取るなど、明らかにおかしい。
だが、事実目の前で行われている戦いは、ルークが一方的に相手を押さえつけている。
「この子には、まだわからないわよね」
「うー」
珍しくアイルが、ルルに対し僅かに怪訝な表情を向けるが、ルルは戦いに集中しており見えていない。
そのため後方からこちらに迫る存在に、魔力の探知に優れたルルよりも、アイルが先に気づいた。
「にゃうにゃう!!」
「え?」
ルルが振り返るよりも早く、それはアイルの横を走り抜けていった。
そして、今まさにココアを無力化するための、最後の一撃を放つルークとココアの間に躍り出る。
「え、ちょ……」
(シロさん!なぜ?)
割り込んできたのはシロだった。
ルークは視界にとらえた存在を瞬時に理解できたが、振り下ろす剣はもう止められない。
もちろん振り下ろしたところで、ココアは殺さずに無力化できると踏んでの大振りだった。
だが、ルークが幸運の力を使っている最中に割り込んできたのならば、その者の運命は不運の結末に終わる。
(ああ、また僕はこの力で誰かを傷つけるのか)
シロの眼前に剣が迫り、ルークは静かに目を閉じかける。
だが、その目は閉じられず、最悪は訪れない。
ココアが咆哮する。
誰もが畏怖する獣の咆哮が、その場の全員の鼓膜と体を震わせる。
(——動け、ない)
ルークは剣を振り下ろす姿勢のまま硬直させられていた。
剣はシロを切り裂く寸前のところで止まっていたため、最悪の事態は免れた。
硬直自体は一瞬だったが、全身を石化されたかのような感覚、状況を理解するのには時間が足りなかった。
(この咆哮、まさか魔力が乗ってる!?)
ココアはその一瞬を見逃してはくれなかった。
再び剣を握り直すルークの眼前には、陽の光を遮る大きな黒い影が、鋭い爪と共に覆い被さった。
そして、ようやく硬直から解放されたルルは、地面にへたり込みながら、ゆっくりと目を開けた。
ルークは鋭い爪で、革鎧ごと胸を抉られ、血溜まりの中で横たわっていた。
「……ルーク、ルーク!!」
ルルは叫びながらルークの元へと飛んでいく。
アイルもぱたぱたとルルの後をついていく。
ルルはルークに傷を確認する。
ひどい傷だ。
肩から胸にかけてざっくりと切り裂かれている。
血もとめどなく溢れ出していて、まだ息をしているのが不思議なくらいだ。
「……ル、ちゃん、あぶな、い」
「危ないのはあんたよ!!えーと、えっと、どうしたら……」
ルークが危機的状況だが、敵の脅威もまだ健在だ。
戦いにおいての経験が浅いルルは、パニックになってしまっている。
「に、げて」
ルークは口から血をこぼしながら、精一杯に笑ってそう告げてみせた。
その瞬間、ルークの顔を心配そうに覗き込んでいたアイルの目から、涙が溢れ出した。
「う、うぇ、うーく……あああぁぁぁぁ!」
もはやルークには、アイルの頭を撫でてやる力も残っていない。
(やっぱり、無理なのかな、僕の力で誰かを助けるなんて)
こちらにトドメをささんと、ココアは徐々に距離を詰める。
ルルは、治療か、迎撃か、それとも逃走するべきか判断できずに硬直してしまっている。
傍ではアイルが声を上げて泣き続けている。
このままでは全滅必至の絶体絶命の中、幸か不幸か、再び乱入者が現れる。
「——ココア、なの?」
「ちょっと、あんた!なんでここに」
茂みをかき分けて現れたのは、カミラだった。
シロを追いかけてきたのだろう。
責任感は認めるが、これで自分たちの死を知るものは誰もいなくなってしまうだろう。
「ココアなのね、だめよこんなところにいちゃ、一緒に帰ろ?」
「近づいちゃだめ、その子は正気を失ってる!殺されるわよ!」
カミラが一歩近づくと、ココアは少しずつ後づさっていく。
ココアはカミラが飼い主だと理解しているのか、叱られる前の子猫のように、身を縮めて警戒している。
危険な状況だが、幸い時間は稼げている。
ルルはその間にルークへと向き直り、治療を開始する。
「ヒール」
詠唱とともに、ルルの小さな手から甘い光が溢れ出す。
光はルークの傷を優しく包み込む。
「頑張りなさい、ちゃんと息を吸って、吐くのよ。それだけに集中しなさい」
治癒魔法の基本は、対象にとにかく魔力を送り込むことだ。
傷から溢れる血とともに、魔力も流れ出てしまうため、光の膜で傷口を抑え、血と魔力の流出を止める。
あとはそのまま魔力を流し続け、対象の自然治癒力を極限まで高める。
「うーくぅ」
「大丈夫よ、アイル。ちゃんと治せるわ」
本来であれば、致命傷を完治させるためには、大量の魔力と時間を要するが、幸い魔力だけはアイルが途方もない量を貯蔵している。
魔力量に糸目はつけず、ありったけを傷口に流し込む。
ルークの体がびくりと跳ねる。
それと同時に、ゆっくりと傷口が塞がり始める。
「ふぅ、傷は塞がったわね、立てる?流石にあんたを運んで飛ぶのは無理だからね!」
治療を終えると、ふん、と言ってそっぽを向いてしまうルル。
その背の向こうで、ぐしぐしと顔を拭っているのがわかったが、ルークは何も言わなかった。
「うん、ありがとう。ルルちゃん、アイルちゃん」
ルークは体を起こし、アイルの頭をそっと撫でてやる。
少し離れた場所で、カミラはいまだココアと対峙していた。
その傍にはシロの姿もある。
なぜあの場面で飛び出してきたのかはわからないが、話をしている時間はない。
「アイル、こっちに来なさい」
「あい!」
ルルが魔力を操作して、アイルの力の一部を解放する。
するとアイルの髪が伸びていき、太く大きな木の根へと変化する。
「捉えて」
カミラと対峙していたココアは、地面に伏せた状態で硬直しており、特に抵抗することなくアイルの拘束を受け入れた。
四肢を縛られ地面に転がされたココアに、ルークがゆっくりと歩み寄る。
「ココアを、殺すんですか」
その問いにルークは答えない。
足元に落ちていた剣を拾い上げ、切先を向ける。
その時、足元に痛みが走る。
シロが、ルークの足に噛み付いている。
ルークはシロの首根っこを掴んで、目線の高さまで持ち上げる。
「君は、もう喋らないんだね」
ルークは視線をルルへと向ける。
「そうね、あいつはもうその中にはいないみたい」
「そっか」
ルークはシロをそっと離してやり、剣を納める。
そして、ココアが背にしていた大きな樹の根本へと歩いていく。
すると、今まで無抵抗で横たわっていたココアが急に暴れだす。
アイルは拘束を強めて、抵抗を封殺する。
「何もしないよ」
そしてルークは木のうろに手を突っ込み、中にあるものを引っ張り出す。
出てきたのは、白と黒の毛が混ざった子猫だった。
それが3匹ルークの腕の中に収まった。
「君はこの子たちを守っていただけなんだよね、脅かしてごめんよ」
ルークは子猫を離してやり、子猫たちはココアの足元に擦り寄っていった。
「さて、どうしたもんかね」




