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死なない男は生きる意味を知らない 〜猫獣人の少女と始まる旅〜  作者: 三島 勝仁
第二章 アイルとルル

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聖なる獣とナマケモノ


 私は思考する。

 いつまでも、この身が朽ちるまで。

 誰に伝えることも叶わない、この運命を。

 この変数が、定められた未来を狂わせるのか。

 蝶の羽ばたきのような小さな力は、時のうねりに飲み込まれるのか。

 そして、私は賭けに勝ったのか、それとも負けたのか。


 見届けねばならない。


 遥か遠い未来で、かの者が私に名付けた名に恥じぬように。



 ――――――

 

 

「みぃー……」


 弱々しく蚊の鳴くような声を上げるのは、先ほどセシルが捕まえた見えざる獣だ。


「――猿、でしょうか?」


 持ち上げたそれをセシルはまじまじと観察する。

 敵を前にして、擬態してやり過ごそうとするような生物だ。

 特に危険はないと思うが、一応警戒もしておく。

 だが、この何も考えていないような間の抜けた顔を見ると、何だかこちらまで毒気を抜かれてしまう。


「いえ、猿にしては動きが緩慢すぎます。――おそらくは、ナマケモノという生物ではないかと」


 レイは獣の顔を覗き込むと、自分の知識と合致する生物の名を挙げる。


「ナマケモノ……」


 ヴェルは初めて聞くその名に、何か思うところでもあったのか、珍しくその生物に興味を示す。


「へぇー、でもよく見るとちょっと可愛いですね。――もしかしてこの子が聖獣だったりしません?」


 セシルは獣を自身の膝の上に下ろす。

 先ほどから、されるがままの人形のようだ。

 だが抱いてみれば温かい、というよりは生ぬるく、そして非常にゆっくりだが、しっかりと鼓動も感じられる。


「どうでしょうね、先ほどの様子から、周囲の環境、匂い、魔力に至るまで完璧な擬態でしたからね。発見した例が少ないのは事実ですが、聖獣かどうかは……」

 

 レイの言葉を受けたセシルは、ナマケモノと呼ばれた生物を見つめて、ぶつぶつと呟き出す。


「――聖獣、聖なる獣、生の獣……ナマケモノ、なんて…へへ」


「フッ、くだらん」


 セシルの呟きが聞こえたのか、ヴェルはそれだけ言うと踵を返して周囲の探索に戻ってしまう。

 セシルはその背中を見送ると、はっと何かに気づく。


 (え?もしかして今、ヴェルさん笑った!?――くぅ、見逃した)


 セシルのくだらない言葉遊びに対する、単なる嘲笑だったのかもしれないが、珍しいことに変わりはない。

 眉間に皺を寄せて、1人で悔しげな表情を浮かべ、足をバタバタとさせるセシル。

 そんな彼女にレイは怪訝な顔で首を傾げる。


 その後、日が頂点に登ったところで昼食を兼ねて――ヴェルは食べなかったが――休憩をとった。

 セシルは、捕まえた獣にも何か食べさせようとしたみたいだったが、こちらも何も口にしなかった。

 セシルの腕の中で、ぬいぐるみのように弄ばれても文句ひとつなくされるがままだ。

 セシルの方もだんだんと愛着が湧いてきたのか、自然に帰すつもりはなさそうで、連れ帰る気満々だった。

 そしてセシルの背中に装着されたその獣は、背負い袋のようにぴたりと張り付き、自らの定位置をそこに決めたようだ。

 

 穏やかな昼食を終えて、午後の探索に取りかかろうとした時、それは起こった。


 最初の訪問者は、不気味な静寂。

 まだ日も高いのに、動物たちが一斉に息を殺して身を潜める。

 ヴェルが無言で合図を送ると、各々は姿勢を低くして武器を構える。

 次に訪れるのは、大地を揺るがす大きな地鳴り。

 沈黙していた動物たちが方々に散って逃げていく。

 

 そして最後の訪問者の姿はまだ見えない。

 だが、もうすぐそこにいる。

 ずるりずるりと、重たい体を引きずって、木々の隙間からこちらを見ている。


 ヴェルたちは、各々がすでに迎撃の体制を取っている。

 だが姿の見えない怪物に、こちらから仕掛けるのは分が悪い。

 敵はこちらを視認できているはずだ。

 かといって、このままでは締め上げられるのも時間の問題。

 最初にヴェルが動く。

 音のする茂みの方へ左手を向ける。


「敵の周囲一帯を檻で囲う。その隙に馬車まで走れ、俺が戻らなければ、置いていって構わん」


 ヴェルは一方的に2人に告げると、突き出した左手を、ゆっくりと閉じる。

 左手の先に魔力が集まり、凝縮していく。

 力任せに集められた魔力は、蜃気楼のように周囲の景色を歪めていく。

 そしてヴェルの左手が完全に閉じて、世界が静止する。


 ――はずだった。


 パキンと、水が凍りつくような音とともに、魔力の檻は完成した。

 捕らえた手応えはあった。

 だが、足元の地面の揺れが止まらない。

 ヴェルはその時、気づく。

 その可能性を失念した。

 敵は複数いる。

 あからさまに接近するのは囮、ともすれば本命は……下か!


 ヴェルが動くと同時に、セシルたちの足元の地面が隆起する。


 (狙いは彼女か)


 ヴェルはセシルをレイの方へ突き飛ばす。

 その直後、ヴェルの足元に巨大な顎が出現する。

 ヴェルは崩れた体勢を立て直すこともできず、強い衝撃が身体中に走る

 そしてすでに体勢を立て直すことは不可能になったことを悟る。

 

 ヴェルの身体は、腹に巨大な牙を突き立てられ、下半身が飲み込まれていた。

 

 ヴェルはすぐさま拳を硬質化させ、腹を貫く牙を叩き折ろうとする。

 だがそこでヴェルは動きを止める。


「ヴェルさん!!」


 砂埃が晴れたその先に、レイを押し退けて、こちらへ懸命に手を差し伸べる彼女の姿があった。

 迷ったのは瞬きにも満たないほんの一瞬。

 ヴェルは彼女の手を取ろうと、力を緩めてしまった。

 だが、右手に集まる魔力が霧散するには、十分な時間だった。

 

 伸ばされたその手は、空を掴み。

 伸ばしかけたその手は、力無くだらりと垂れ下がる。


 そして地面から生えた顎は、ヴェルの半身を飲み込んだまま、セシルたちの頭上に遥か高く伸び上がる。

 もはや伸ばした手は届かない。

 

 レイは、敵の視線が外れた隙に、煙玉に火をつける。

 それを地面に叩きつけると、凄まじい勢いで煙が広がる。

 煙に身を隠しながら、セシルとともに離脱を試みる。

 そしてセシルの手を取って走り出そうとしたその時、2人の頭上から何かが落ちてくる。

 ぐしゃり、と気味の悪い音とともに落下したそれは、下半身を無惨に食いちぎられ、その目から完全に光が失われた――ヴェルの上半身であった。


 セシルの声にならない悲鳴と、冷静に状況を俯瞰するレイの冷徹さは、この極限の状況において、決定的に道を違えてしまった。

 


 ――――――



 セシルが目を覚ますと、その上には先ほど捕らえた獣――ナマケモノが覆い被さっていた。

 逃げる気配もなく、捕らえられたことすらわかっていないような顔で、ぽけっとセシルを見つめている。


「起きたか」

 

 もぞもぞと動き出すセシルに、焚火の側からヴェルの声がかかる。


「あ、ヴェルさん。よかった、再生できたんです、ね……」


 寝ぼけた眼を擦りながらセシルは体を起こす。

 焚き火の前で座っているヴェルは、その身に何も纏ってはいない。

 それを見て慌てて視線を逸らす。

 視線を逸らした先に見えたのは、セシルが寝る前にヴェルの体にかけた外套。

 それがくしゃくしゃのままその辺で丸められている。


 (…………。)

 

 己の私物が雑な扱いを受けていることに多少の不満がないではない。

 ――別にいいですけど……。


「状況は?――それとあの少年はどうした?」


(まだレイくんの名前覚えてないのかな。――そういえば私も名前呼ばれたことないな)

 

 セシルは頭に浮かんだ雑念を排除して、ヴェルに状況を説明する。


「レイくんは、馬車の様子を見に行きました。可能なら助けを呼びにいくと言っていました」


 それと、とヴェルへ視線を向けないままセシルは続ける。


「地中から現れた魔物は、大きな蛇だったかと思います。おそらくはもう1匹の方も。――あの時は助けてくれてありがとうございました。あのままだったらきっと……」

 

「気にするな。生きているのならそれでいい」


 いつものように素っ気ない態度。

 ヴェルはなんとも思っていないようだが、自分のせいで半身を失った彼への罪悪感は拭えない。

 そして横目でちらりとヴェルの方を見ると、ヴェルの視線とセシルの視線が交わる。

 セシルはなんだが気恥ずかしくなり、目を逸らそうとしたが、できなかった。

 ヴェルの眼差しは何か言いたげな様子でこちらを睨んでいる――ような気がする。

 いつもの無感情とは違う、僅かな怒気を孕んでいる。

 恐る恐るセシルは尋ねる。


「な、なんでしょうか?」


 セシルが尋ねると、ヴェルの方が視線を逸らした。


「――なぜあの時、手を差し伸べた」


 あの時――ヴェルが半身を飲み込まれた時のことだろう。


「なぜって……ヴェルさんを、助けるために」


 ヴェルの視線が再びセシルと交わる。


「俺は死なない。助ける必要は、ない。――むしろ邪魔だ」


「そんなっ……」


 セシルは咄嗟に声を荒げそうになるが、その先の言葉をかろうじて飲み込む。

 先ほどのレイとのやりとりと同じだ。

 感情的になったところで、結果は良い方には転ばない。

 セシルは大きく息を吸って、静かに吐き出す。


「――私は確かに弱いです。力もなければ、機転が効くわけでもありません。――それでも、あなたを助けたいと思うことは、そんなに悪いことですか?」


 己の無力を自覚してなお、自分を助けたいと願うセシルの真っ直ぐな目を、ヴェルは受けきれず、またしても顔を逸らす。


「……ああ、迷惑だ」


 ヴェルが言い放った言葉に、彼女がどんな顔をしているのかはわからない。

 わかりたくもない。

 苛立ちに比例して固く握った拳は、己の爪が食い込み、僅かに血が滲んでいる。

 彼女の手を取ろうとしたこの右腕は、自分の意思に反して動いた。そうとしか思えなかった。

 あの時その手を取ってしまえば、彼女はヴェルの道連れに嬲り殺されていたかもしれない、それなのに……。


「そう、ですか。――ごめんなさい」


 セシルは絞り出すように、それだけを言うと、胸に抱いた獣に顔を埋める。

 自分の早鐘のような心臓の音とは対照的な、ナマケモノのあまりにも遅い鼓動だけが、彼女の正気を繋ぎ止めていた。

 

 それ以降、レイが息を切らして洞窟へ戻ってくるまで、2人が言葉を交わすことはなかった。

 いつもなら安心できる沈黙が、今日は痛いほどに、セシルの胸を締め付けていた。



 ――――――


 

「――戻りました」


 滝の音だけが響き渡る薄暗い洞窟の中、鳴り止まぬ水音に足音が混じる。

 息を切らしたレイが、荷物を抱えて洞窟へと戻って来る。

 レイの姿を見とめたセシル。先刻の衝突にまだ結論は出ていないが、時間を置いて頭は冷えた。

 何か言わなければと口を開く。


「レイくん、あの、さっきは……」


 セシルがレイに何かを言いかけると、レイは首を横に振ってそれを遮る。


「セシルさん、その話は帰ってからにしましょう。――状況が変わりました」


 レイとて、さっきの件について自分でも整理はできていない。

 だが、それを論じている時間もなくなったため、心を殺して現在の状況に対処しなければならない。

 レイの緊迫した様子に、セシルも言葉を飲み込む。


「馬車が破壊されていました。馬も食い殺されたようです」


「馬車を……あの魔物か?」


 ヴェルはレイの言葉を受けて、ようやく口を開く。


「ええ、おそらくは。歩いて逃げようにも、あの蛇に一度見つかってしまえば、逃げ切るのは不可能です」


 そう言うとレイは背負っていた荷物を地面に下ろす。


「破壊された馬車から、使えそうなものを回収してきました。――ヴェルさんの服も持ってきましたので、着てください」


「ああ、助かる。――で、敵の姿は見たか?」


 ヴェルは服を受け取ると、それを身につけながらレイに問う。


「はい、一瞬だけですが。――黒くて硬い鱗に覆われた巨大な蛇です」


「バシリスクか?」


「僕もそう思いましたが、違うかと――馬の死骸からは毒液の類は見受けられませんでしたし、それにバシリスクが複数で行動するとは聞いたことがありません」


 レイからの情報と推測に、ヴェルは何かを考え込むような様子で再び口を閉ざす。

 そこへレイは自らの考えを述べる。


「ヴェルさん、昼間の聖域で見たあの石碑。――あそこにあった紋様を覚えていますか?」


「ああ、見たな、頭がふたつの龍だったか」


 ヴェルは昼間に見た石碑を思い出す。


「ええ、ですがあれはおそらく龍ではなく、蛇だったのではないかと。双頭の蛇……」


「――ウロボロスか」


「この地域では聖域とされるあの石碑、近くの住民に聞いても詳しい話は聞けませんでした。それに、かなり古いもののようで記録は残っていないみたいです。――ここは龍王国ではないので、龍を崇めることはないと思います。ですが蛇なら、信仰の対象となることもあるでしょう」


「神話の時代の魔物か。実物を見たことはないな。だがそれなら蛇が複数で行動していた理由も納得がいく。――最初から1匹だったわけか」


 そしてレイは顎に手をやり、状況と情報を照らし合わせる。


「事前の情報では、この地域に魔物はほとんどいなかったはずです。僕たちも遭遇しませんでした。――近くの住民もここにはよく訪れるそうです。それなのにあの双頭の蛇の目撃情報は一切ない」


 レイは自らの頭の中を整理しながら、ヴェルをジロリと睨みつける。


「――何が言いたい」


 訝しげなレイの視線に気付き、ヴェルは結論を問う。


「記録も残ってないほど太古の魔物が、今になって姿を現したのは、僕たちがここを訪れたからなのでは?――眠っていたのか、封印されていたのはわかりませんが」


 レイは苛立ちを隠しもせず、ヴェルの前まで歩いてくる。

 

「そして、この場でそんな異常や異変を引き起こす特異な存在は……」


 レイはヴェルを正面に見据えて、はっきりと宣告する。

 レイの物言いにセシルは、何か言いたげに口を挟もうとするが、それよりも早く、事実のみを冷酷に告げる。


「あなただけです。――ヴェルさん」



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