表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東都院物語  作者: 橘鉄真
PR
6/61

友人たち

 放課後の教室には、授業中とは違う音が残る。

 椅子を引く音。鞄の金具が机の角に当たる音。誰かが教科書を閉じ、別の誰かが部活の集合時間を確かめる声。窓の外では、冬の陽が校舎の壁に浅く残っていた。

 湊は自分の席で、弓道部の予定表を鞄にしまった。

 先日、テープを買いに行ってから何日か経ち、部活と図書室と帰り道は、いつもの順番で何度か過ぎている。

 今日は部活がない。暦は図書室の作業があると言っていた。作業が長くなるなら待つし、暦が帰るなら、それに合わせる。

 そのくらいのつもりで鞄を閉じたところで、後ろの席から兵頭匡平が声をかけてきた。


「悠木、帰りか」

「暦の作業次第。兵頭は?」

「用事を済ませてから帰る」


 兵頭はそう言って、机の上に残っていたプリントをそろえた。

 体格がよく、声もよく通る。初対面なら、ただ大雑把な男子に見えるかもしれない。けれど、兵頭の机の上には、不要なものが残っていなかった。筆記具は筆箱に収まり、配られたプリントは科目ごとに挟まれている。

 それを兵頭自身が几帳面だと言うことはない。

 乱れていると後で面倒だと知っているのだろう。


「影山さんの作業というのは?」

「図書室。返却棚の整理があるって」

「図書委員は真面目だな」

「本人に言うと、仕事だからって返ってくる」

「だろうな」


 兵頭が短く笑ったところで、教室の前の扉が勢いよく開いた。


「湊、いた。よかった」


 入ってきたのは三崎悠真だった。

 同じB組の生徒で、顔を合わせれば誰にでも声をかける。明るく、人懐こい。そういう長所がある一方で、急いでいる時ほど、何がどこまで済んでいるのか分からなくなるところがあった。

 三崎は教室の中を見回し、湊の席まで来ると両手を合わせた。


「悪い、ちょっとだけ手伝って」

「何を」

「ほんとにちょっと。たぶん」


 兵頭が眉を上げた。


「たぶんで人を呼ぶな」

「兵頭も手伝ってくれる?」

「手伝う前提で話を進めるな。まず説明しろ」


 三崎は笑ってごまかそうとしたが、兵頭の顔を見て、少しだけ姿勢を正した。


「ええと、備品の返却」

「何の備品」

「昨日の合同説明会で、片付けだけ手伝ったんだ。掲示板と、クリップと、案内札。あと、鍵」

「あと、じゃないだろ」


 兵頭の声は荒くない。けれど、そこだけで話の重さが変わった。

 湊は椅子から立ち上がった。


「返却先が分からないのか」

「それもある。いや、最初は分かってたんだけど、先生に言われた場所と、生徒会の先輩が言ってた場所が違ってさ。で、とりあえず一時保管室に置いたんだけど、さっき確認したら、案内札が二枚足りない」

「鍵は」

「ある」


 三崎は制服のポケットを叩いた。

 軽い音がした。鍵束がそこにあるのは分かったが、兵頭の表情は変わらなかった。


「そのあと、誰に確認した?」

「え?」

「案内札が足りないって分かったあとだ。先生、生徒会の先輩、一時保管室を使う人。どこまで確認したんだ?」

「まだ」

「じゃあ、今分かってるのは、数が合わないってことだけだな」


 三崎はそこで初めて、笑うのをやめた。

 教室に残っていた数人が、こちらを見ていた。誰かが助けに入るほど大きな騒ぎではないが、誰も気づかないほど小さくもなかった。

 こういう時、三崎は悪びれないわけではない。

 困っている顔をするし、謝ることもできる。ただ、その謝り方にはどこかで「誰かが一緒に困ってくれる」と思っている気配があった。


「とりあえず、見に行こうか」


 湊が言うと、兵頭がすぐにこちらを見た。


「全部見るのか」

「全部は見ない。足りないものが本当に足りないか、確認だけ」

「ならいい」


 三崎がほっとした顔をした。


「助かる。ほんと助かる」

「三崎」


 兵頭が言った。


「先生に説明するのは、お前がやれ」

「え、俺?」

「預かったのはお前だろ」

「いや、それはそうなんだけど」


 語尾が弱くなる。

 兵頭は机の端に置いた手を離した。


「悠木が行ったら、悠木が預かったみたいになる。違うだろ」

「そこまでは思ってないって」

「思ってなくても、そうなる」


 言い切り方が早かった。

 湊は、その早さに少しだけ感心した。兵頭の言葉は、いつも先に後始末のほうを向いている。

 三崎は言い返せず、視線を泳がせた。


「……分かった。説明は俺がする」

「それでいい」


 兵頭は廊下へ向かいながら言った。


「まず現物を見る。次に数。最後に返却先。鍵は最後までお前が持て。途中で誰にも渡すな」

「そこまで?」

「責任を持つっていうのはそういうことだろ」


 三人で教室を出た。

 廊下には、部活へ向かう生徒と、帰宅する生徒の流れができていた。東都院の廊下は放課後でも荒れない。声はあるが、どこか抑えられている。走る者は少なく、すれ違う時には自然に肩を引く。

 その中で、三崎だけが少し浮いていた。

 本人にそのつもりはないのだろう。歩きながらポケットを探り、途中で別の生徒に声をかけられ、返事をしてから話の続きを忘れかける。


「三崎」

「ん?」

「鍵」

「あ、あるある」

「出すな。持っていることだけ確認しろ」

「細かいな、兵頭」

「鍵を失くした奴は、だいたいそう言う」


 購買へ向かう角を曲がらず、三人は新校舎の端から渡り廊下へ出て特別教室棟へ向かう。

 一時保管室は、通常の教室とは違って人の出入りが少ない。三崎が鍵を開けると、中には古い木製の台車が一台置かれていた。上には折りたたみ式の掲示板が二枚、重ねられている。


「これ」


 三崎が言った。

 兵頭はすぐには触らなかった。

 まず周囲を見た。扉の札、台車の位置、掲示板に貼られた紙片、台車の端に重ねられた四枚の案内札、床に落ちているクリップ。見終えてから、ようやく手を伸ばした。


「案内札は何枚あった」

「たしか六枚」

「たしかじゃなくて」

「六枚。正門、受付、講堂、控室、資料配布、順路。……だったと思う」

「最後が弱い」


 三崎は肩をすくめた。

 湊は掲示板の裏を見た。紙の角が一枚、金具の間に挟まっている。剥がれかけた案内札だった。


「一枚あった」

「どれ?」

「資料配布」


 湊が差し出すと、三崎の顔が明るくなった。


「さすが湊」

「まだ一枚足りない」


 兵頭がすぐに言った。

 三崎の顔が戻る。


「あと何だっけ」

「お前が思い出せ」

「順路、かな」

「なら、順路をどこで外したか考えろ」

「講堂前……いや、帰りに剥がしたのは俺じゃない。たぶん、生徒会の先輩が」

「生徒会の先輩のせいにする前に、その先輩に確認」

「今から?」

「今から」


 兵頭は台車から手を離し、三崎を見た。


「足りない一枚がどこにあるか聞いてこい。ついでに、返却場所も確認」

「一人で?」

「一人で」


 兵頭は台車を扉の外まで引き出した。


「鍵をかけてから行け」

「……分かった。行ってくる」


 三崎は一時保管室を施錠し、鍵をポケットに戻した。


「鍵は?」

「持ったまま。誰にも渡さない」

「よし」


 兵頭が短く答えた。

 三崎は廊下の向こうへ走りかけ、すぐに歩き直した。廊下で走るな、と言われる前に思い出したのだろう。

 その背中を見送ってから、兵頭は台車の上を整えた。掲示板の角をそろえ、クリップを小さな箱に戻し、案内札を種類ごとに重ねる。動きに派手さはない。けれど、散らばっていたものが短い時間で見える形になった。

 湊はそれを見ながら、足元に落ちていたクリップを拾った。


「返却場所も、三崎が確認するんだな」

「預かったのはあいつだからな」

「兵頭は、だいたい分かってるのか」


 湊が聞くと、兵頭は少しだけ肩をすくめた。


「前に片付けを手伝った時、似たようなことがあった。借りる時は教員、戻す時は担当棚。鍵だけ職員室。物によって違う」

「面倒だな」

「面倒だから、紙に書くんだよ」


 湊は台車に残った掲示板を押さえた。


「悪い。巻き込んだ」

「お前が巻き込んだわけじゃない」

「でも、兵頭は寄るところがあったんだろ」

「急ぎじゃない」


 兵頭はそう言って、台車の上に視線を戻した。


「間に合わなかったら、悪い」

「お前が謝るところじゃない」


 二人で台車の上を確認していると、暦が通りかかった。  図書室へ行く途中なのだろう。手には数冊の本を抱えている。


「何をしているの」

「三崎の備品返却の手伝い」


 湊が答えると、暦は台車の上を一度見て、次に兵頭を見た。


「兵頭くんがいるなら、終わりそうですね」

「影山さん、それ褒めてるのか」

「事実です」

「ならいいか」


 兵頭は苦笑した。

 暦は湊に視線を戻した。


「図書室、先に行く」

「ああ」


 暦はそれだけ聞いて、廊下を曲がっていった。

 兵頭が小さく息を吐いた。


「影山さん、言い方は静かなのにな」

「三崎が一人で最後まで片付けるとは、俺も思ってなかった」


 湊が答えると、兵頭は苦笑した。

 しばらくして、三崎が戻ってきた。

 手には、折れ曲がった案内札を一枚持っている。紙の端に、小さな靴跡がついていた。


「講堂の端に落ちてた。生徒会の先輩に確認したら、俺が最後にまとめる係だったって」

「だったって、じゃない」

「はい」

「次は書く。たぶん」


 兵頭が黙って見ると、三崎は慌てて言い直した。


「書く。ちゃんと」


 三崎は素直にうなずいた。

 その素直さが、かえって厄介なのかもしれないと湊は思った。謝れるし、人に頼れる。だから周囲も、強く突き放しにくい。

 兵頭は案内札を受け取り、枚数を数えた。


「六枚。掲示板二枚。クリップ十二。案内札六。鍵一つ」

「おお」

「おお、じゃない。これを先生に報告。最終返却場所も確認。お前が行く」

「一緒に来てくれない?」


 兵頭は即答しなかった。

 代わりに湊を見た。

 湊は、三崎を見た。

 ここで一緒に行けば、早く終わる。説明も整理できる。三崎が言葉に詰まれば、横から補えばいい。

 そう考えたところで、兵頭のさっきの言葉を思い出した。

 悠木が行ったら、悠木が預かったみたいになる。


「途中までなら」


 湊は言った。


「職員室の前まで。説明は三崎がする」


 三崎は一瞬だけ残念そうにしたが、すぐにうなずいた。


「分かった。そこまで来てくれるなら助かる」

「台車は?」

「先生の確認が取れるまでここ。鍵は三崎。戻ってきたら、最終返却」


 兵頭がまとめた。

 職員室までの廊下を歩きながら、三崎は何度か説明の順番を口の中で練習した。


「昨日の合同説明会の備品を一時保管室に置いて、案内札が一枚不足していました。講堂前で見つかって、今は六枚そろっています。最終返却場所を確認したいです。……これでいい?」

「それでいい」

「謝るのを先にしたほうがいい?」

「最初に謝って、それから報告」

「分かった」


 職員室の前で、湊は足を止めた。

 三崎も止まる。


「ここまで」

「うん。ありがと」

「次は、先に確認したほうがいい」

「湊まで兵頭みたいなこと言う」

「兵頭が正しいから」


 三崎は少しだけ目を丸くしたあと、苦笑した。


「分かった。行ってくる」


 職員室の扉を叩く音がした。

 中から教師の返事があり、三崎は背筋を伸ばして入っていった。

 湊が戻ると、兵頭は一時保管室の前で台車にもたれずに立っていた。もたれれば楽なのに、掲示板がずれないようにしているのだと分かった。


「行ったか」

「行った」

「なら、あとは本人の仕事だ」

「冷たいな」

「冷たくない。ここで代わると、話がずれるだろ」


 兵頭の言葉は、説教の形をしていなかった。

 ただ、ものの位置を正すように、当然の場所へ置いただけだった。

 湊は台車の上を見た。

 掲示板、案内札、クリップ、鍵。どれも小さなものだ。けれど、それぞれに戻る場所がある。戻す人がいる。確認する相手がいる。

 なくなれば、誰かが探す。

 曖昧にすれば、誰かが困る。


「……こういう時、どこまでやるか迷うな」


 湊が言うと、兵頭は少し意外そうな顔をした。


「お前でも迷うのか」

「迷う」

「なら、迷った時点で一回止めろ。だいたい、そこから先は本人がやる分だ」

「耳が痛いな」

「お前、痛い耳あったのか」

「あるぞ」


 兵頭は笑った。

 やがて三崎が戻ってきた。

 教師から最終返却先を確認したらしく、今度は自分で台車を押した。兵頭は鍵の返却だけ最後に確認し、湊は途中まで一緒に歩いたが、案内札には触らなかった。

 返却が終わるころには、廊下の人影は少なくなっていた。

 冬の夕方は早い。窓の外の光は薄く、校舎の中に残る足音も少し遠く聞こえた。


「先生への報告まで終わったなら、今日はここまでだな」


 兵頭が言った。


「それ、俺が言っていいやつ?」


 三崎が言った。

 さっきより声は軽くなかった。


「言う前に、次の話だ」


 兵頭は短く答えた。


「預かった時点で一覧にしろ。謝るだけで終わりにするな」

「……分かった」


 三崎はうなずいた。

 叱られたが、切り捨てられたわけではない。本人はきっと、そう受け取っている。

 湊はそれでいいのだろうと思いかけて、少しだけ立ち止まった。

 いいかどうかは、次に三崎が同じことをするかで決まるのかもしれない。

 廊下の先で、暦が立っていた。

 待っていた、というより、通りかかった時刻が合ったような立ち方だった。


「終わった?」

「終わった」

「三崎くんが自分で報告した?」

「ああ」

「なら、よかった」


 暦はそれだけ言って、三崎のほうを見た。

 責める目ではない。感情を乗せすぎない、いつもの観察の目だった。

 三崎は首を傾げた。


「影山さん、何か怖くない?」

「怖くはありません」

「即答が怖い」

「そう見えるなら、三崎くんの受け取り方だと思います」


 兵頭が笑い、三崎もつられて笑った。

 廊下を歩き出すと、暦が隣に並んだ。


「湊」

「何?」

「今回は、全部やらなかった?」

「そうだな」

「兵頭くんがいたから?」


 湊は少し考えた。


「それもある」

「そう」


 暦はそれ以上聞かなかった。

 ただ、その答えを覚えたようだった。

 兵頭は前を歩きながら、三崎に次から書く項目を短く並べている。三崎は言い訳をしそうになり、そのたびに口を閉じていた。

 大きな出来事ではない。

 誰かが怪我をしたわけでも、取り返しのつかない失敗が起きたわけでもない。

 散らばっていたものは、もう片付けられていた。

 それでも湊は、台車の上でそろえられた案内札の端を、しばらく思い出していた。

 冬の廊下を、四人分の足音が進んでいく。

 東都院の放課後は、何事もなかったように静かだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ