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東都院物語  作者: 橘鉄真
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分かれて進む準備

新校舎の生徒会執行部室は、春が深まるほど紙の量を増やしていった。

机の上には、掲示用の文面、各局から戻ってきた確認票、職員室へ提出する控え、評議会へ回す形式確認済みの資料が重なっている。窓際の棚にも、まだ綴じられていない束がいくつか置かれていた。誰かが運んできた封筒の端には、春季晩餐会の文字が小さく印字されている。

紗良は、その中から執行部名で出す掲示文案だけを抜き出した。


「藤代さん、こちらの二枚、掲示板に出す前の最終確認です」

「見ますね」


文香は手元の資料から顔を上げ、紙の端をそろえて受け取った。指先の動きが速い。文字を追う目も速い。だが、急いでいる感じはなかった。


「一枚目は生徒向けですね。二枚目は部活動と委員会への注意事項ですか」

「ええ。掲示板へ出す分だから、見出しと掲示期間を揃えたのだけど、どうかしら」

「一枚目はこのままでよさそうです。二枚目は掲示期間を長めにとった方がよいと思いますよ」


文香は赤のペンを持ち、欄外に小さく印を付けた。

執行部員の一人が、棚の前で資料を探している。別の生徒は、職員室へ持っていく封筒に宛名を書いていた。部屋の外からは、廊下を行き来する足音が途切れず聞こえる。

春季晩餐会の準備は、執行部室の外へも広がっていた。

執行部員が文面と連絡をまとめ、式典局員は会場側へ台車を押していく。会計局の生徒は別の机で支出表をめくっていた。外務交流局の上級生は、来賓名簿の写しを職員室へ運んでいる。

それぞれの持ち場で進むからこそ、全体が回っていた。

その結果として、書類は増えた。確認先も増えた。戻ってくる返答の言葉も、少しずつ違っていた。


「御厨さん」


入口から声がした。

執行部員の一人が、薄いファイルを抱えて立っていた。


「式典局から届きました。晩餐会当日計画の修正分と、学校側へ回す確認資料です。生徒向けの掲示案内も一枚入っています」

「ありがとうございます。こちらで確認してから、式典局へ戻します」


紗良はファイルを受け取り、中を開いた。

中に入っていたのは、当日計画の修正票、学校側へ回す確認資料、生徒向けに掲示板へ出す案内文だった。そこにもう一枚、太い字で『関係者以外立入不可』と打たれた紙が混じっていた。

当日計画の修正票、学校側へ回す確認資料、生徒向けの掲示案内。紗良は見出しと付箋の色を追い、束の並びを確かめた。

その中で、『関係者以外立入不可』だけが、会場の扉前に立てる表示そのままの字面だった。

文香が横から覗き込む。


「この『関係者以外立入不可』は、掲示板へ出す案内ではありませんね」

「ええ。会場の扉前に立てる表示案ね。回付用の束に紛れてしまったんでしょう」

「紛らわしいので分けておきますね」

「そうね。これは式典局へ戻します」


紗良は短く言って、付箋を一枚貼った。

文香は、資料の混ざり方や形式のずれを見つけるのが速い。そのぶん、紗良は周囲の動きに意識を割けた。

廊下の向こうで、台車の小さな音がした。

紗良は付箋を貼ったファイルを閉じた。


「この資料は私が式典局へ戻してくるわ。掲示案内の扱いも、ついでに話しておきます」

「お願いします。こちらは続けておきますね」


文香はそう言って、別の束へ手を伸ばした。

紗良はファイルを抱え、執行部の作業室を出た。

式典局の作業場所は、執行部とは別の部屋にある。講堂側に近い場所を使っており、廊下を曲がると、開け放たれた扉の向こうに長机が三台並んでいた。

控室表示、備品確認表、配置図、案内札だけではない。式次第の修正案、進行表、来賓席次表の控え、受付で使う名簿、席札の箱、挨拶順のメモまで広がっている。執行部の部屋に比べて、紙よりも物の量が多い。

紗良は、扉の近くにいた二年生へファイルを差し出した。


「これ、回付資料に混ざっていたわ。現地表示の案でしょう」

「あぁ、すみません。会場班の束に戻します」


二年生は『関係者以外立入不可』の紙だけを抜き取り、軽く頭を下げた。


「それと、掲示案内の件なのだけれど」

「それでしたら、当日の通行注意の文面を、風紀委員側でも確認しています。影山さんが、奥で会場班と見回り範囲を詰めています。終わるまで少しだけお待ちいただけますか」

「分かりました」


紗良は返された束を脇机へ置き、生徒向けの掲示案内だけを抜き出した。空いた端でファイルを開き、執行部側で入れる掲示期間の位置を確かめる。

その視線の先に、九条院エリカがいた。

エリカは紗良に気づくと、視線だけで礼をした。紗良も頷くだけで返す。

エリカは机の前で、式典局員の説明を聞いていた。背筋は伸びている。手元の紙を受け取る時も、相手の目を見て、一度頷いてから受け取る。急いでいても、所作が荒れない。


「九条院さん、こちらの控室ですが、保護者と後援会の方で時間を分ける案が出ています」

「同じ表示を出すと、入れ替えの時に分かりにくいと思います。時間帯で分けるなら、色を変えるより、表示名を少し変えた方がよろしいでしょう」

「式次第のこちら、来賓紹介の順番はこのままで大丈夫ですか」

「順番はこのままで結構です。肩書きの書き方だけ、そろえてください」

「こちらは?」

「来賓の方が通られる場所に近いので、生徒の待機場所にはしない方が安全です」


言い方は穏やかだった。だが、返答は早い。

式典局員たちは各自の作業を抱えて動いていた。迷いが出るたび、エリカが頼られていた。

エリカは静かに応じているだけなのに、迷った時の声は自然と彼女へ向かっていた。

エリカもまた、抱えるものが多かった。紗良も文香も執行部側で手を動かしているし、兵頭も式典局で休まず動いている。上級生も下級生も、それぞれに作業を抱えていた。

その中でも、エリカへ向かう話の種類は少し違っていた。

控室の表示。席次に関わる呼び方。来賓紹介の順番。挨拶に使う肩書き。保護者に失礼のない文面。

ひとつひとつは、式典局として必要な話だった。

その話が、何度もエリカの名前に結びつく。

部屋の奥で、兵頭匡平が台車を動かしていた。

短い台車には、折り畳み式の案内板と、備品箱が載っている。箱の上には、受付で使う名簿の束と、席札を入れた小箱まで重ねられていた。ほかの式典局員が持ち上げようとしていた箱を、兵頭は横から片手で支え、重さを確かめるように持ち替えた。


「それは講堂前じゃない。西側控室の手前だ」

「え、これもですか」

「ラベルをよく見ろ」


兵頭は箱の位置だけ直すと、次の作業に取り掛かった。

机の端に残っていた封筒の束を一つ抜き、表紙の版表示を見て、古い方だけを脇に寄せる。

机の端に置かれていた持ち場表を取り、空いた欄へ名前を書き足した。人が足りていない場所を、その場で埋めたのだと分かる。

それが済むと、席札の順番を確かめて、受付で使う名簿をすぐ取れる場所へ移した。

当日に必要なものを、迷わず手に取れるようにしていた。

誰も、兵頭に細かく指示を出していない。

それなのに、彼は次々と手順を整えていった。

兵頭は、頼まれた一つの作業だけを片づけているのではなかった。後々問題になりそうなところを見つけるたび、その場で手を入れていた。


「当日の予定だが、ここで連絡係を一人出せるか?」

「誰か必要ですか?」

「会場班から一人。見回りに出す必要はない」

「分かりました。三年の方に確認します」


会話は短い。

兵頭は中心には立たなかった。声も大きくない。相手を引き寄せるような華やかさもない。

ただ、彼が通った後だけ、机の上の乱れが減った。台車の行き先が決まり、資料の束が正しい版だけになり、誰かが探し始める前に必要な箱が出ていた。

紗良は、その様子をしばらく見ていた。

兵頭は、裏方に置くと強い人物だった。

来賓の前に立って場を受ける役ではなく、止まりかけた準備を動かし続ける役に向いている。人前で笑顔を作って話を受けるなら、エリカや榊原の方がずっと収まりがいい。

準備を整える力は、こういう場所に出る。

そのことを、兵頭はよく分かっているように見えた。

掲示案内の余白に目を通していた紗良は、部屋の奥で交わされる声に顔を上げた。風紀委員側との確認が、まだ続いているらしい。

長机の端に、影山暦が立っていた。風紀委員の上級生が持つ見回り範囲の紙と、式典局の配置図を並べ、必要な部分だけを指で追っている。

暦は、そこで浮いているわけでも、馴染もうとしているわけでもなかった。

会話を広げる気配は薄く、必要な確認を終えるために、そこへ立っていた。


「この通路は、来賓の方と重なりますか」


暦が聞いた。


「時間帯によります。開会前は重なりますが、式中はほとんど通りません」

「では、開会前は通りません。式中の見回りで使います」

「問題が起きた時は、式典局の会場班へ」

「会場班に直接ですか。風紀委員長経由ですか」

「軽い注意なら風紀委員側で処理して、式典局へ報告。来賓や保護者が絡む場合は、すぐ会場班と担当教員へ」


暦は頷いた。


「生徒を一時的に下げる場所は」

「西側控室の手前に、使わない小部屋があります。ただし来賓控室には近づけないでください」

「分かりました」


暦はメモをとるように紙の端へ書き込んだ。

紗良は、その様子を不思議な気持ちで眺めた。

影山暦は、紗良の周囲にいる女子とは違う。話しかければ返す。仕事は正確。礼も崩さない。だが、周囲の調子に合わせて言葉を足すことが少ない。

必要なことを聞き取り、要るところだけを書き残す。

それだけで十分だと、最初から決めているようだった。


エリカが長机の端へ歩いてきた。


「影山さん、風紀委員側の打ち合わせですね」

「はい」

「西側控室のあたりは、当日少し人の流れが複雑になります。来賓の方が通られる時間は、風紀委員の方は廊下の端で待機していただいた方がよろしいと思います」

「予定表をください」

「こちらです」


エリカは手元の資料を一枚差し出した。暦は受け取り、目を通す。礼を言うまでに、ほんの一拍だけ間があった。


「ありがとうございます」

「こちらこそ。見回りで気づいたことがあれば、式典局にもお知らせください」

「必要なら伝えます」


柔らかいエリカの声と、平坦な暦の返事が、部屋のざわめきの中で短く重なった。

噛み合っていないようで、必要なところだけは合っている。


先ほどの二年生が、紗良の方へ戻ってきた。


「影山さん側の確認、終わりました。通行注意の文面は、このままで大丈夫です」

「分かりました。では、掲示期間だけ入れて、執行部側で戻します」


紗良は手元の掲示案内へ、短く印を付けた。

紗良は少しだけ息を吐いた。

エリカは、誰に対しても丁寧だ。暦のように会話の温度が読みにくい相手にも、姿勢を崩さない。相手を困らせない距離を作るのが上手い。


その上手さが、また次の確認を呼ぶ。


「九条院さん、こちらもお願いします」


別の式典局員が声をかけた。


「はい」


エリカはすぐに振り向いた。

その顔に疲れは出ていない。微笑みも乱れていない。だが、紗良には、返事の前に一度だけ目線が落ちたように見えた。

見えただけかもしれない。

そう思って、紗良は手元の資料へ視線を戻した。

手元のファイルには、式典局から上がった確認事項がいくつか挟まれていた。控室表示、掲示文面、来賓用の案内、保護者向け注意事項。どれも必要なものだ。

その中で、エリカの名前は何度も出てきた。

九条院さん確認済み。

九条院さんへ再確認。

接遇班より九条院さんに相談。

紗良は、紙を一枚めくる手を止めた。

回す先が少し多い。

名前が目に入りやすいだけかもしれない。

けれど、同じ人に話が集まりすぎると、その人が止まった時に周りも止まる。

紗良は何も言わず、資料の端をそろえた。

エリカに話が集まること自体は、不思議ではない。式典局で接遇と礼法に強く、家名も立ち位置もあり、周囲から信頼されている。誰かが判断に迷えば、エリカに声をかける。

よくある流れだった。

そういう流れが重なると、少しだけ引っかかる時がある。

紗良は、その小さな感覚を声にはしなかった。

部屋の奥では、兵頭が上級生に短く何かを伝えている。暦は長机の端で風紀委員の上級生ともう一度紙を見比べ、必要なところだけを書き写していた。エリカは別の式典局員から控室表示を受け取り、丁寧に礼を言ったあと、今度は来賓紹介の紙へ目を落としている。


紗良は手元の掲示案内をもう一度開いた。先ほど付けた印の横で、掲示期間の日付を見直す。

部活動と委員会への注意事項なら、短い掲示では目にしない生徒も出る。文香が言った通り、少し長めに出しておいた方がよい。

紗良は期間を一日分だけ延ばし、資料を閉じた。

紙の束が一つ片づいた。けれど、式典局の部屋では、まだ作業が続いていた。台車の音、控室表示を差し替える音、上級生が下級生へ指示を出す声。長机の端では、風紀委員が見回りの範囲を確認している。

春季晩餐会の準備は、表から見れば順調に進んでいた。

そう見えるように、いくつもの場所で、いくつもの手が動いていた。

紗良は閉じたファイルの表紙に指を置いた。

その中で、九条院エリカの名前が、何度も別の場所から呼ばれていた。

まだ、問題と呼ぶほどではない。

その感触は、紗良の中に小さく残った。

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