それぞれの昼休み
昼休みの鐘が鳴ると、教室の空気はほどけた。
立つ音が重なる。椅子の脚が床を擦る音。机の横から鞄を引き出す音。弁当箱の留め具が触れ合う小さな金属音。
どれも騒がしいほどではない。それでも、同じ教室にいた三十人あまりがいっせいに動き始めた。
兵頭はすぐには立たなかった。
廊下が詰まる前に出るか、少し待つか。そのくらいを見ていた。
榊原の席のあたりは先に人が動く。九条院の近くは女子がまとまりやすい。御厨は歩きながら短く声をかけて、その流れを乱さない。
手慣れていて、上手い。
兵頭はそう思ったが、自分から中へ入る気にはならない。
藤代はもう出る支度を終えていて、牧瀬はぶつからない間を見て立った。
そのくらいで、教室の流れは見えた。
その中で、悠木と影山は教室に残っていた。
悠木は机の横から弁当箱を出し、影山はそれより少し遅れて鞄を開ける。どちらも、残ることをわざわざ確認しない。今日はどうする、とも聞かない。
あの二人は、そういう昼休みなのだと兵頭にも分かるようになっていた。
笹倉が、兵頭の机の横へ来た。
「行くか」
一言だけだった。
兵頭は頷いて立つ。
「混みだす前にな」
「ああ」
それで足りた。
笹倉と並ぶ時は、余計な探りがいらない。気は使っているのだろうが、その使い方が軽い。兵頭を持ち上げもせず、わざと崩しもしない。そのままでいる。
教室の後ろを抜ける前に、悠木が顔を上げた。
「食堂か」
「そうなる」
兵頭が答えると、悠木は短く頷いた。
「今日は早いな」
「遅いと並ぶ」
「確かに」
それだけで終わる。
悠木は引き止めず、合わせようともしなかった。兵頭にはその方が楽だった。
影山は悠木の隣の席で弁当を置きながら、二人の方を一度見た。
二人が出ることは、それで足りたらしかった。
教室の戸口へ出る直前、御厨が通りすがりに兵頭へ声をかけた。
「兵頭さん、今日は食堂なのね」
柔らかい言い方だった。
兵頭は反応が半拍だけ遅れた。
「ああ」
自分でも短いと思う返事のあとで、御厨は気にした様子もなく笑った。
「早めが正解かもしれないわ。今日は混みそうだもの」
「そうかもな」
「じゃ、いってらっしゃい」
それだけで、御厨はそのまま女子の流れへ戻っていった。
距離の詰め方が自然で、気を持たせるようなこともない。それでいて、感じがよくて、後を濁さない。
兵頭は、ああいう親しさにまだ慣れない。
ありがたいと思うより先に、何を見て声をかけたのかを考える。頼み事の前触れか、周りへの見せ方か、ただの挨拶か。
そこまで考えて、打ち切った。今は決めきれない。
隣で笹倉が、わずかに口元を上げた。
「お前、今ちょっと固まっただろ」
「固まってない」
「そうかな?」
「そうだ」
笹倉は笑ったが、それ以上は言わなかった。
からかい続けないところが、こいつのちょうどいいところだと兵頭は思う。
廊下へ出ると、人の流れは教室の中より分かりやすかった。
食堂へ向かう生徒。購買へ下りる生徒。別の教室へ友人を呼びに行く生徒。曲がり角の手前だけ、少し詰まりやすい。
兵頭はぶつからない方を選んで歩いた。
前の方には榊原の姿が見えた。歩きながら何か答えていて、昼休みに入っても人が寄る。
ああいうのは、食堂へ向かう途中でも変わらない。
兵頭はそれを遠くから見ているくらいでちょうどよかった。
渡り廊下へ出ると、春の光が白く床へ落ちていた。
校舎の内側より風がある。とはいえ寒いというほどではない。昼の空気は、朝より人を動かしやすい温度になっていた。
笹倉が手すりの向こうをちらと見てから言う。
「A組、思ったより割れたな」
兵頭は横目でそいつを見た。
「昼飯の話か」
「それもある。誰がどっちへ行くかって、けっこう人柄が出るだろ」
「まあな」
笹倉が、少しだけ声を落とした。
「あの二人は付き合ってるのかな」
「悠木と影山さんか?」
兵頭は前を見たまま答えた。
「ああ」
「幼馴染だそうだ」
「ただの幼馴染にしては近すぎるような」
「かもしれん。だが、少なくとも恋人っていう雰囲気ではないな」
「そういう答え方するんだな」
「事実しか知らん」
笹倉は小さく笑った。
「お前のことを前から知ってる連中は疑ってはいない」
「何が」
「クラス替え」
兵頭は少しだけ息を吐いた。
笹倉の言い方は軽いが、外してはいない。
悠木、影山、牧瀬。
あの三人は、兵頭をわざわざ測らない。
九条院も御厨も、少なくともA組にいること自体は疑っていない。
笹倉はもっと露骨で、最初から兵頭をそのまま扱う。
まだ決めきっていない連中はいる。
榊原も藤代も距離を置いているわけじゃない。ただ、判断がまだ済んでいない。
なぜこの顔ぶれの中に兵頭匡平がいるのか。
見栄えでも家柄でも説明がつきにくいぶん、理由を見られている。
兵頭は、そういう待たれ方に慣れていた。
小学校の頃から、最初に見えるもので先に決められることは多かった。
東都院へ来てからは、露骨さが減っただけだ。ここでは、もっと静かに見られる。
笹倉が言った。
「俺は分かりやすいんだけどな」
「金持ちだからか」
「それもある」
悪びれずに返すあたりが笹倉だった。
「あと、分かりやすく喋る」
「自分で言うな」
「言うさ。分かりやすいってのは結構、大事なんだぞ。その点、お前は分かりにくいんだよ」
兵頭は肩をすくめた。
「別に、分かってもらうために行動してるわけじゃない」
「そういうところだぞ」
笑いながら言われると、返しにくい。
食堂の入口が見えてくる。すでに何人かの列ができ始めていたが、まだ長くはない。
周囲には他クラスの生徒もいる。そういう中に混ざっても、A組の生徒はやはり目につく。
食堂へ来ている中では、榊原みたいなやつはこういう場所でも人の目を引く。
兵頭と笹倉は目立ちはしないが、浮きもしない。
教室に残る悠木と影山。食堂へ来る自分と笹倉。
昼休みは、教室ごとそのまま別れて動いている感じがした。
兵頭は列の長さを見て、空いている方へ足を向けた。
笹倉も何も言わずに合わせる。
教室では、もう悠木と影山が弁当を開けている頃だろう。
あっちはあっちで落ち着いている。
こっちはこっちで収まりがいい。
そのくらいの距離でつながっている方が、自分にはちょうどいい。
兵頭はそう思って、食堂の中へ入った。




