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東都院物語  作者: 橘鉄真
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24/61

総合評価

廊下を歩く生徒たちは、考査が終わった後の軽さをまとっていた。

鞄を肩にかけ直す音。友人を呼ぶ声。帰りにどこへ寄るかを相談する声。いつもの東都院より、普通の学校に近く見えた。

その中で、教師の動きだけが違っていた。

職員室へ向かう廊下の角で、湊は足を緩めた。

扉は閉じている。けれど、出入りする教師の数がいつもより多い。抱えられているのは、答案用紙だけではなかった。薄いファイル、出席簿らしい冊子、委員会名の入った封筒、部活動報告の綴じられた紙束。

考査が終わったから忙しい。

それだけなら、湊にも分かる。

けれど、答案だけを返すための忙しさとは違って見えた。


「見る?」


隣で暦が言った。


「何を」

「職員室」


湊は職員室の入口近くに貼られた連絡紙を見た。

考査後の個別確認は急ぎのものを除き、教室掲示と配布物で確認するように、と書かれている。中では、教師が職員用の掲示板の前で何かを確認し、別の教師がファイルを抱えて奥へ戻っていくところだった。


「やめておこう。今、聞きに行く空気じゃない」

「そう」


暦はそれ以上、踏み込まなかった。湊も、足を止めきることはしなかった。

ただ、すれ違った教師の一人が、湊たちに気づいて短く会釈を返した。その目が、ほんの一瞬だけ、暦の方へ移る。

湊はそれに気づいた。

暦も気づいているはずだった。けれど、顔には出さない。いつも通り、廊下の端を歩いているだけに見える。

職員室の隣にある小会議室の扉が開いた。

中から、低い声が漏れた。


「一年は、学力資料だけでは判断しません。提出遅れ、委員会、行事補助、対外場面での反応まで含めてください」


別の教師が答える。


「生活態度に大きな問題はなし。ただ、役職候補に回すかは、担任所見も確認したいところです」


湊は、聞いてはいけないものを聞いた気がして、目を前に戻した。

暦は歩調を変えない。

会議室の扉は、すぐに閉じた。

湊が聞いたのは、そこまでだった。

音が途切れる。

けれど、言葉だけは廊下に薄く残った。

学力資料だけでは判断しない。

さっき掲示板で見た「希望者と指名者」という文字が、別の意味を持って戻ってくる。

湊は、その広がりをまだうまく掴めなかった。

閉じた扉の向こうでは、長机の上に数枚の資料が並んでいた。

一年生の名簿。

成績一覧。

提出物記録。

委員会と部活動の報告。

行事補助に関する短い所見。

そこに、成績の順位だけで生徒を並べる空気はなかった。


「九条院さんは、式典補佐と接遇で評価されています。成績も落としていません」

「負担は見てください。春の準備にも入っています」


資料が一枚、横へ送られる。


「影山さんは、図書委員の記録が正確です。風紀委員会からも名前が上がっています」

「本人の負担は?」

「大きくは見えません。場の変化にはよく気づきます」


次の資料が開かれる。


「兵頭くんは、行事補助でよく動いていますね」

「現場で詰まりそうなところへ先に回る。式典局からも、臨時補助としては信頼できます」


その言い方には、褒めすぎない慎重さがあった。けれど、低く見る声でもなかった。

最後に、別の資料が開かれる。


「悠木くんは、役職欄だけでは目立ちません」


湊の名前は、淡々と読み上げられた。


「ですが、頼んだことを乱さず返してきます。上位の生徒と同じ場所に置いても、悪目立ちしません」

「式典局周辺で何度か臨時に関わっていますね」

「ええ。前に出す必要はありません。ただ、任せた範囲を乱しません」


その言葉の後、誰かが名簿に小さく印をつけた。

決定ではない。

内定でもない。

けれど、紙の上では、すでにいくつかの名前が同じ場所へ寄せられ始めていた。

廊下では、湊が窓の外を見ていた。

中庭の木々は、まだ冬の色を残している。枝の先だけが、ほんのわずかに明るい。春が来ると言うには早く、冬のままだと言うには違う。


「今の、聞こえた?」


湊が小さく尋ねると、暦は前を向いたまま答えた。


「一部」

「聞いていい話じゃないよな」

「扉が開いていた。こちらから近づいていない」

「理屈はそうだけど」

「だから、話さない」


暦の答えは短かった。

聞いたことを使わない。暦なりの線引きなのだろうと、湊は思った。


「でも、何か分かった?」

「点数だけではない」

「行事補助の指名のことか?」

「違う」


暦は一度だけ、職員室の方を見た。


「点数以外も、残されている」


湊はすぐに返事をしなかった。

提出物を誰が遅らせたか。

委員会で誰が動いたか。

行事の場で、誰が何を見ていたか。

それらは紙に残り、別の紙と重ねられる。

東都院では、人はいつの間にか見られている。

それは監視というほど露骨ではない。むしろ、丁寧で、静かで、整っている。

だから余計に、湊には扱いにくかった。


「暦は、嫌じゃないのか」

「何が」

「見られてる感じ」


暦はすぐには答えなかった。


「見られない方が困ることもある」

「そういうものかな?」

「正しく見られるなら」


その答えは、暦らしかった。

湊は、正しく見られる、という言葉を頭の中で繰り返した。

誰かを正しく見ること。

誰かに正しく見られること。

東都院は、それを制度として持っているのかもしれない。けれど、制度が正しくても、そこに置かれる人間が楽になるとは限らない。

廊下の向こうから、兵頭が歩いてきた。

片手に鞄を持ち、もう片方の手で折り畳まれたプリントを掴んでいる。


「お前ら、まだいたのか」

「職員室の前を通っただけ」


湊が答えると、兵頭は一度だけ職員室の方を見た。


「今日は近づかない方がいいぞ」

「忙しいから?」

「それもあるが、見る目が普段と違う。確認は配布物で済ませろと言われた」

「兵頭もそう思うのか」

「考査明けだからな。点を返して終わりじゃない」


兵頭はそれだけ言って、折り畳まれたプリントを鞄にしまった。

暦の視線が、そのプリントへ移る。


「指名者も載っていますか」

「ああ。今出ている分だけだが、影山さんの名前はない。悠木もない」

「分かりました」


それで、職員室へ来た用件はひとまず片づいたらしかった。暦はそれ以上、扉の方を見なかった。


「それ、春季行事の連絡か?」


湊が尋ねると、兵頭は肩をすくめた。


「卒業式と入学式が先だ。春季晩餐会は、その後に来る面倒なやつ」

「面倒なんだ」

「面倒じゃない行事は、だいたい誰かが先に面倒を片づけてる」


兵頭の言葉は乱暴ではなかった。ただ、きれいな行事の裏にある手間を、当たり前のものとして見ている響きがあった。

暦が短く頷く。


「人が足りませんね」

「分かっているなら、影山さんも手伝ってもらえると回しやすい」

「指名があれば、手伝います」

「そういうところは、徹底しているな」


兵頭は呆れたように言ったが、本気で責めている声ではなかった。

三人で廊下を歩き出す。

職員室の前から離れるにつれて、声はまた軽くなった。春休みの予定を話す生徒、答案の出来を笑い合う生徒、部活の片づけへ向かう生徒。そこにあるのは、考査が終わった後の普通の放課後だった。

けれど、湊にはもう、完全に同じ景色には見えなかった。

教室へ戻る途中、掲示板の前にはまだ何人かの生徒が残っていた。掲示を見上げる者。隣の友人に何かを確認する者。興味がないふりをして、下段だけを目で追う者。

誰も、大きな声では言わない。

それでも、次の一年に向けて、紙の上では名前が動き始めている。

湊は、その動き方をまだ知らない。

知らないまま、廊下を歩いている。

そのことだけが、掲示板の前にいた時よりも、はっきりしていた。

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