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東都院物語  作者: 橘鉄真
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18/61

委員会

放課後の図書館棟は、授業の終わった教室とは違う静けさを持っていた。

人がいないわけではない。閲覧席には自習を続ける生徒が残り、参考資料室の前では専門事務員が資料箱を台車に載せ替えている。図書委員のカウンターには、返却された本が数冊、背の高さを揃えて置かれていた。

暦は、そのうち二冊の背表紙を見て、予約棚へ移すものと一般図書区画へ戻すものを分けた。

貸出記録は、学生証と本のタグを通してすでに処理されている。暦が見るのは、記録と実際の本がずれていないかだけだった。

暦は、予約棚へ移す二冊を持って、カウンター横の棚へ向かった。

背表紙を外側へ揃えて置く。

最後の一冊を収めたところで、カウンターの奥から牧瀬琴葉が声をかけた。


「影山さん、返却分の確認はそこまでで大丈夫ですよ」

「分かりました」

「資料室の箱は、まだ事務員さんが見ています。式典局へ回す分が出たら、お願いします」

「はい」


琴葉は端末の画面を一度見てから、暦へ視線を戻した。


「そういえば、三月の当番表が掲示されたそうです。新年度分は、まだ仮ですけれど」

「見ておきます」


暦はそう答え、カウンターの横に置いていた鞄を手に取った。

貸出返却の確認は、いつもならそこで一区切りになる。資料室の箱が出るまでには、まだ少し時間があった。図書館棟を出て、新校舎へ戻るか、湊が部活を終える頃合いに合わせるかを決める。今日はその前に、見るものがあった。

新校舎一階の職員室寄りに、委員会掲示板がある。

そこは、普段なら当番表や注意事項が並ぶだけの場所だった。二月下旬になると、掲示板の前で足を緩める生徒が増える。

暦が着いた時には、すでに数人の生徒がいた。

一年生らしい女子が二人、保健委員会の欄を指で追っている。別の男子は、環境美化委員会の引き継ぎ予定を見て、隣の生徒と短く何かを確認していた。掲示板の右端には、生徒会からの連絡がまとめて貼られている。


暦は、左から順に読んだ。

図書委員会。保健委員会。環境美化委員会。体育委員会。風紀委員会。

委員会名の下には、三月中の確認日、引き継ぎ説明、仮当番表の配布予定が並んでいる。個人名はない。どの委員会も、決まった候補者を表に出す前の段階だった。

風紀委員会の欄にも、三月上旬の引き継ぎ説明、行事期間中の集合場所確認、巡回担当時間の仮割り振りが並んでいた。

新年度仮当番表は、該当者に別途連絡。

書かれているのは、業務そのものではない。引き継ぎの時期に必要な予定と、注意点だけだった。

右側の生徒会掲示は、一般委員会のものより紙も印刷も上質だった。

執行部、式典局、会計局、外務交流局、生徒相談局。


ただ並べたのではない順番で、部局名が置かれている。

式典局の欄には、春季晩餐会準備に関する短い連絡が添えられていた。

会場確認。控室表示。来賓対応補助。三月上旬、資料確認。

それだけで、近づいているものがあると分かる。


「生徒会?」


背後から聞き慣れた声がした。

暦は振り返らないまま答えた。


「掲示が増えている」

「うん。足を止める人も増えてるな」


湊は、暦の横に立った。肩が触れない距離で、同じ掲示板を見る。部活終わりのためか、前髪がわずかに乱れていた。

暦は生徒会の欄を指さした。


「部局が多い」

「東都院はそうみたいだな」


暦は、上から順に読み上げた。


「執行部、式典局、会計局、外務交流局、生徒相談局」

「名前だけなら聞いたことはある」

「役割は?」

「そこまで詳しくはないな」


暦は、それ以上は聞かなかった。

湊は苦笑しながら、式典局の小さな連絡欄を見た。春季晩餐会という文字は、前にも見ている。式典局の作業場所で菓子を受け取った日から、その言葉は湊の中で、ただの行事名ではなくなっていた。

まだ、自分が関わる行事ではない。

けれど、無関係と言い切れるほど遠くもない。

そんな距離にある名前だった。


「二月の終わりに、もう三月と新年度の話か」


湊が言うと、暦は掲示板の下段を指した。


「一月から三月は、引き継ぎ」

「書いてある?」

「ここ」


暦が示した先には、生徒会と各委員会の引き継ぎ予定が並んでいた。

正式な名前は、まだ出ていない。けれど、説明会の日付と仮当番表の配布予定だけは、先に決まっている。

表に出る前から、次の形は作られている。

湊は、そういうものなのだろうと思った。


「個人名は、まだない」

「候補は決まってないってことか?」

「決まっていない、とは限らない」


暦はそう言って、掲示をもう一度上から見直した。

湊が何か言う前に、職員室側から教師の声がした。


「影山さん」


暦は振り返った。

湊も一緒に視線を向ける。声をかけたのは、生徒指導担当の教師だった。教師は湊には軽く頷き、暦だけに目を戻した。


「少しいいですか。長くはかかりません」

「はい」


暦は、湊に鞄を預けなかった。持ったまま、職員室近くの壁際へ移動する。

廊下の声は途切れない。掲示板の前にいる生徒も、完全にはいなくならない。だから、教師に呼び止められたこと自体は目立たなかった。

ただ、湊には分かった。

暦の返事が、いつもよりわずかに遅い。

教師は、声を落として話した。

湊の位置からは、全部は聞こえない。聞こえたのは、図書委員、記録、正確、周囲の変化、といった語だけだった。

暦は、相槌を最小限にして聞いている。

表情は変わらない。けれど、視線の置き方が普段と違った。相手の目を見る時間と、壁の掲示へ戻る時間を、細かく分けている。


「二年生から、風紀委員会に推薦したいという話です」


その一文だけは、湊にも届いた。

廊下の音が、遠くなった気がした。

教師は続けた。


「もちろん、決定ではありません。事前の確認です。あなたは図書委員での作業が正確でしたし、記録の扱いも丁寧でした。周囲の変化に気づく点も、先生方の間で評価されています」


暦は、すぐには答えなかった。

困っているようには見えない。嬉しそうにも見えない。断る理由を探している顔でも、受けるための言葉を選んでいる顔でもない。

ただ、渡された情報の置き場所を探しているようだった。


「今、答える必要はありますか」

「いいえ。家で考えてもいいですし、誰かに相談しても構いません。ただ、まだ公には話さないでください」

「分かりました」

「無理にとは言いません。適性があると判断したから、声をかけています」


暦は、小さく頷いた。


「考えます」


答えは、それだけだった。

教師は安心したように頷き、職員室へ戻っていった。

暦は、その場に一拍だけ残った。それから掲示板の前へ戻る。湊は、何を聞いたかをすぐには尋ねなかった。

尋ねなくても、聞こえた。

聞こえたからといって、急がせていい話ではない。


「図書館棟に戻る」


暦が先に言った。


「まだ仕事があるのか?」

「資料室の箱が出る」

「どこへ持っていくんだ?」

「式典局へ回す分」

「分かった」


二人は掲示板の前を離れた。

新校舎から図書館棟へ向かう廊下は、放課後の生徒が多かった。生徒会室へ封筒を持っていく者。職員室前で教師を待つ者。掲示を見て、友人の名前を探そうとして、まだ個人名が出ていないことに気づく者。

暦は、その動きを一度ずつ見た。

湊は、暦が何かを数えているように見える時、邪魔をしないことにしている。

渡り廊下に出ると、人の声が少し遠くなった。窓の向こうには、二月の終わりの光を受けた中庭が見えていた。


「風紀委員、受けた場合に問題はある?」


暦が先に言った。

湊は、歩く速度を落とした。


「問題って?」

「受けるべきか、ではなく。受けた場合に、問題があるか」

「暦らしい聞き方だな」

「変?」

「変じゃない」


湊は、廊下の先を見た。図書館棟の入口には、今日の開館時間と資料整理のお知らせが貼られている。ここにも、掲示がある。東都院では、紙一枚でいろいろなものが変わる。


「向いているとは思う」

「理由は?」

「周りをよく見てる。記録も正確だし、規則を読むのも早い」


暦は頷いた。


「先生と同じ」

「同じことを言ってた?」

「似ている」

「なら、評価としては妥当なんだろうな」


湊はそこで言葉を切った。

暦がこちらを見る。


「でも、それだけで決めなくていい」

「なぜ?」

「風紀委員って、規則を読むだけじゃないだろ。人の違反とかトラブルとか、そういうものも見ることになる」

「今でも見てる」

「うん」

「言うかどうかで変わる?」

「そこは大きな違いになるんじゃないか」


暦は、考えた。

掲示で見た連絡事項は、暦の中ではまだ作業の形をしていた。引き継ぎ説明。集合場所。担当時間。どれも、確認して従えば済むものだった。

湊が気にしているのは、作業の形ではない。

その作業の先にいる人間のほうだった。


「湊は、反対ではない?」

「反対ではないな」

「心配してる?」

「してる」


暦は、そこで足を止めなかった。歩きながら、湊の答えを受け取る。


「私が疲れるから?」

「それもある」

「他は?」

「暦が、便利に使えるから選ばれているなら、嫌だな」


暦の視線が、湊へ向いた。

湊は、自分の言葉が強かったことに気づいた。


「悪い。先生がそういう意味で言ったとは思ってない。正当に評価されたんだと思う。そこは、俺も分かる」

「うん」

「でも、正確だから任せる、間違えないから任せる、気づくから任せるって、続くと疲れるだろ」

「疲れるかどうかは、やってみないと分からない」

「それはそうだけど」

「断る理由にはならない」

「ならないかもしれない」


湊は、図書館棟のガラス扉に映った自分たちを見た。

暦はいつも通りに見える。制服の襟も、鞄の持ち方も、歩く速さも乱れていない。

けれど、いつも通りに見えることは、いつも通りであることの証明にはならない。


「受けたいのか?」


湊が尋ねると、暦はすぐには答えなかった。


「まだ、分からない」

「うん」

「ただ、断る理由も、まだない」

「じゃあ、考えるでいいと思う」

「先生にも、そう言った」

「聞こえてた」

「聞いてた?」

「違う。聞こえた」


暦は、それを咎めなかった。

図書館棟の入口近くで、連絡係らしい生徒が封筒を抱えて急ぎ足に通り過ぎた。封筒の表には、評議会提出控え、と小さく印字されている。

その後ろから、別の生徒の声が聞こえた。


「式典局の承認回り、今日の分は旧校舎に持っていくって」

「先に確認がいるんだろ」


声はすぐに遠ざかった。

湊は、そちらを見た。

暦も見ていた。

掲示板ではただの組織名だったものが、廊下の声の中で、実際に運ばれる紙と結びつき始めている。

暦は、封筒を持った生徒の背中が角を曲がるまで見ていた。


「考える」

「風紀委員のこと?」

「うん」

「分かった」


湊は、それ以上は言わなかった。

受けるかどうかより、暦が判断する前に自分へ尋ねたことを、湊は意識していた。

暦は、湊が反対ではないことを受け取った。心配していることも、同じ場所に置いた。そのまま、まだ答えを出さないでいる。

それでいいのだと思った。

図書館棟の扉が開き、中から暖かい空気が流れてくる。

カウンターの奥では、事務員が資料箱の蓋を閉じていた。

二人は、同じ歩幅で中へ入った。

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