第2話 ハニーミルクの妖精とフレッシュボーイズ -前編-
朝。耳元のスマホから電子音が繰り返し響く。布団がもぞもぞと小さなクリーチャーのように動き、布団の宿主が体を起こし始めた。
「う〜ん」
といろは伸びをしてうっすらとした意識であたりを見渡す。この寮を巣にしてから約1週間。この部屋の景色には慣れたものである。
といろはベッドから降り、カーテンを開ける。天気が良かったので、窓も開けた。
(う〜ん……マジで時間あるぞ)
壁に立て掛けられた時計を見る。机の上には入学式関係の書類が置かれていた。開始時間は9時ちょうど。といろが起きたのは6時。といろは朝が強かった。
といろは部屋に立っている大きなモニターので朝食を頼んだ。ほぼスマホと同じ機能を兼ね備えているこのテレビのようなモニターはといろのお気に入りである。スマホでできることもこのモニターでやっている。大画面の方が好きなのだ。
といろはゆっくり身支度をする。朝食も届いた。優雅に食べ、食器の片付けもオーダーし、完了させた。そして、残りの身支度も済んでしまった。もう一度時計を見てみると、時刻は7時半。といろは準備が早かった。
(あ)
といろは慌てて机の上の小さいモニターのボタンを押す。このひとつしかないボタン押すことがといろの担当研究員ルリとこのモニターで繋がることのできる操作である。
「おはようございます」
「おはようございます。すいません。起きたらとりあえず接続してくださいって言われていたのに、完全に忘れてました」
「悲しいです」
「え、すいません」
「嘘です。大丈夫ですよ。生徒さんが遅刻しそうな時に担当の研究員が頑張って起こすことになっているんですよ。だからなんとなくといろさんが起きているのか確認したかっただけなので気にしないでください」
といろは机の椅子に座った。
「ところシステムはちゃんとアップデートされていましたか?鏡を見た時目の色の変化とか反映されてました?」
「はい……」
先程顔を洗うため洗面台に立った時、鏡に写った自分の瞳の色が少し紫を混ぜたようなピンク色になっていた。システムのアップデートにより、目の色も髪色同様自由に設定できるようになったらしい。といろにとっては謎機能である。乙女ゲームやギャルゲーのような世界観にしたいのだろうか。そしてといろはちょっと悔しかった。
(鏡を見て自分の目の色が変わってても、おー!ぐらいで済ましてしまった。突飛なことが多すぎて理解能力とスルー能力が磨かれている……)
「といろさんはもう準備万端ですね」
「早く起きちゃったんですよね」
「そんなといろさんにひとつ今日の目標を差し上げましょう」
「今日の目標ですか?」
「研究課題の事前準備みたいなものです」
この学校は研究のための学校である。通う生徒は無償で3年間過ごせる代わりに一人ひとり研究所側から提示される研究課題をこなさなくてはならない。
といろは憂鬱である。この学校を運営している研究所は恋愛を研究している。
「大したことではないですよ。といろさんの今日の目標は同じクラスの人の顔と名前をできるだけ覚えることです」
「意外と普通だ」
「あとできるなら、もし今日誰かと話したらその人の顔と雰囲気をなるべく覚えておいて欲しいですね」
「わかりました」
(でもよくよく考えてみると1日でクラス全員の顔と名前を覚えるのは至難の技かも)
といろは人の顔を覚えるのも人の名前を覚えるのも人並み程度の能力しかない。
「今日の朝はそれを伝えたかっただけです。時間を持て余しているなら、ゆっくり遠回りしながら入学式に向かってみてはどうでしょうか?桜もよく咲いていますし、天気もいい。それに今日は気温もちょうどいいそうですし」
「確かにそれもいいですね」
この学校は敷地が広い。たんまりと景色を堪能しながら歩けば、といろは暇を余裕で潰すことができる。
「よし!じゃあもう出発します」
「こちらでモニターの電源切っておきますよ」
「ありがとうございます」
といろはすくっと立ち、まだ荷物が少なくしおれ気味のスクールバックを肩に掛け、モニター越しのルリに小さく礼をした。玄関へ向かい、昨日届いたばかりのツヤツヤのローファーを履いて、といろはドアノブに手をかけた。しかし、ドアノブを握りしめたまま急に動きが止まる。
「なんか緊張してきました!」
といろは大きく振り返って、玄関先で大声で叫ぶ。
「"Love"とローマ字で手のひらに書いて何度か飲み込むといいですよ」
「独特な……」
といろは細目になりながら、手のひらにしっかり"Love"と書いて1回飲み込んでみた。自分の手のひらに"Love"と書くのはなんだか少し照れくさく、微妙な気持ちになる。しかし、その微妙な気持ちがといろの緊張を相殺した。
「なんか落ち着きました」
「よかったです」
といろは改めてドアノブに手を掛ける。
「じゃあ行ってきます!」
「楽しんできてくださーい」
後ろからルリの声が飛んでくる。といろはドアを開き、外へと足を踏み出した。
桜並木の並ぶ綺麗に舗装された道を歩く。この学園の敷地面積は本当に広いので、寮からの道も思っていたより随分長い。
(寮から学校までだいたい8分くらいだっけ。余裕持って到着したいけど、それにしたって余った時間どこ見て周ろう?)
道の途中に立ててあった敷地内案内図を確認する。
(う〜ん、ぐるぐる周ってみるしかないかー。隣の街まで行って帰ってくる余裕は無いしなー)
といろの優雅な朝散歩である。といろは先程よりもいっそうペースを緩めて歩いていた。大きな校舎や桜並木などを眺めながら、太陽の光を浴びる。池や噴水などもあった。
そしてふと目の前のベンチに人が座っていた今まで人っ子ひとりもいなかったのでといろは驚いた。ベンチに座る男はこちらに気づき、振り向く。制服を着ているので確実にこの学校の生徒である。
(そしてなぜか手を振られている……)
といろは後ろを見回す。誰もいなかった。ゆっくりベンチに座る男子生徒の元へ歩いた。
「おはようございます。早いですね」
爽やかな笑顔で男子生徒はといろに話しかけた。髪は光に当たって透けたような新緑。瞳は椿の葉のような深緑。
(全体的に緑みどりしい……)
「何年生ですか?」
「1年生です」
「僕は2年生なんだー」
緑髪の男子生徒は話しながら自然にベンチから立つち、ニコニコとしいる。
「名前は?」
「戸咲といろです」
「戸咲さんね。僕は春野紡」
「この時期にぴったりの名前ですね」
「確かに!」
紡はそう言ってニカっと笑った。
「僕楽しみで早く起きちゃったんだ。部屋でやることもなくてここでぼっちでお花見してたんだ」
「私もちょっとワクワクしちゃって早めに起きてしまって、散歩してました」
「高校生初めて入学式だもんね!僕は2年からこの学校に編入ってことになるから、前の学校と合わせると2回目の入学式なんだ」
(たしかに……2年生、3年生は編入ってことになるのか)
この学校は新しく建てられた学校である。通常だったら1年生だけを受験させて入学させるが、研究のために2、3年生の編入者も募った。
紡は湖の方を指さした。といろはその指の先に顔を向ける。
「あの大きな池のあたりには行った?」
「チラッとだけ見てすぐ引き返しました」
「池の奥の方は僕たちみたいな人が沢山いたよ。こっちの道は桜は綺麗だけど校舎に近いから人が少ないみたいだね。桜以外はなんにも無いしね」
「へぇー、人っ子ひとり見てなかったから、みんな部屋で過ごしてるとばかり」
「僕も池の周りを1周するまでそう思ってた」
(1周したんだこの人)
「急に引き留めちゃってごめんね」
「いえいえ。先輩はフレンドリーですね」
「先輩なんて初めて言われたよー。フレンドリーか。そうなのかも」
紡は照れくさそうにしながらそう言った。
(それにしても緑みどりしい……。よもぎ……いや緑茶みたい)
「一緒に話してくれてありがとうございました」
紡は爽やかな笑顔でお礼をした。
「こちらこそ話しかけてくださってありがとうございました」
といろも紡にペコっとお礼をした。
「じゃあまたね」
紡は手を大きくといろに振っていた。といろはそれを見ながらもう一度軽く頭を下げて、大きな池の方へ向かったのだった。
(あの先輩が言ってた通り、ここは人が多い)
といろは池に沿って歩いていた。大きな円い池で、スワンボートに乗れるところもあるようだ。水面が太陽の光に照らされて輝き、池の周りには緑の木々が生い茂っていた。所々にあるベンチなどに人が座っており、携帯を触ったり、本を読んでいたりしていた。すでに友達を作り、話し合っている生徒も何人か見かけた。
(すごいなぁ)
といろには紡のように見知らぬ人に話しかける勇気はないし、ひとりの方が少しだけ好きなタイプである。
といろは携帯を確認する。
(うーん。まだ結構時間あるけど。ゆーっくり歩けば池を1周し終わる頃にはちょうどいい時間になってるかも)
といろは歩くスピードを先よりもさらに落とした。
そんなこんなでといろは池を1周した。携帯を確認してみるとここから入学式の会場に着くまでちょうどいい時間になっていた。池の周辺にいた生徒たちもちらほらと会場に向かっている様子だ。といろも先程の桜並木の道へ戻る。紡に会ったベンチを通り過ぎた。緑髪の青年はもう辺りにはいないようだった。
まだ集合時間よりは少しだけ早いため、人の数は少ないが、ピンク色の制服を着た生徒が続々と集まってきている様子は珍妙である。髪色も目の色も個性的でといろは呆気にとられていた。
「入口はこちらでーす!着た人から詰めて座ってください!」
ホール入口の教師が声を張っている。もちろん派手髪である。
(うーん、まだ自分のクラスは分からないかー)
といろは誘導されるままにホールに入った。
「何年生ですか?」
「1年生です」
学年ごとに座るようで、といろは1年生が座っている区画に案内された。
「こちらに詰めてお座りください」
(まあまあ来てるな)
前方の列が埋まったのでといろは1番端っこの席に案内された。ホールの椅子はとてもフカフカ。ここら辺の市民会館のホールよりも上等なホールである。ステージはまだカラフルな模様の幕が下がっている。
「こちらの列に詰めてお座りくだい」
どうやらこの入学式を共にする記念すべき隣人が来たようである。
といろはチラッと横を見る。
ふわふわとした金髪。すらっとしたお御足。切れ長なのに優しげな目元。
(可愛い)
といろはペコッと座りながら頭を下げる。
「おはよう」
琥珀色の瞳がこちらを見て優しく笑いながら言った。そして、隣の席に座った。
「お、おはよう!」
といろも緊張しながら返した。
「お名前なんて言うんですか?」
といろは久しぶりに勇気を出して名前を聞いてみる。
(可愛い子の名前は聞いておかなければ)
「私の名前は富代雫。お名前何ですか?」
「私は戸咲といろと言います」
(雫か、名前も可愛いな)
「といろちゃんって言うんだ!素敵な名前」
「私は雫って名前すごく可愛いと思った!」
「うふふ、ありがとう」
(お上品だー。童話の国からやってきた妖精さんみたいだ)
式が始まるまで2人は他愛の無い話をして過ごした。なんの食べ物が好きかとか、なんの動物が好きかとか、そういった本当に当たり障りのない会話だった。
(これが青春!)
といろは入学式の醍醐味を噛み締めていた。
そうこうしている間に時間は過ぎ、礼法の指導が行われ、生徒たちに礼の仕方や起立のタイミングなどを幕が上がり始める。ホール内に少し緊張感が走り出していた。幕が上がりきったステージの上には教壇が背筋を伸ばしてしっかりと立っていた。
入学式は厳粛に執り行われた。至って普通の式であった。少し他の学校と違うところと言えば研究員代表の言葉があったくらいだと思われる。恋愛の研究をしていることについては言及されなかった。
「新入生退場!」
といろは周りに合わせてホールの外へと列になって歩く。先頭の教師にぞろぞろと着いて行き。列の歩みが一斉に止まる。目的地にたどり着いたようだった。
「これから教室に案内します!そこの入口に張り出している用紙を見て自分のクラスを確認してくださーい!」
といろは息をのんだ。これからといろの高校生活が本格的に幕を開けるのだ。
こんにちは。
花時計たおるです。
後編は7月4日の15:00に掲載します!
呼んでくださった皆さん本当にありがとうございます!




