第4話一招の重みと再教育
ソフィアはアジトの連中を引き連れ、深夜の街路にそのビラを貼って回る。
石畳の壁、漆喰の柱、そして総書記の肖像画のすぐ隣に。
「『努力は報われる』……あいつ(総書記)はそう言う。
じゃあ、報われない努力は無意味か? 根性が足りないのか?」
ソフィアは最後の一枚のビラを壁に叩きつけるように貼った。
「違う。正しい市場で努力をしていないからだ。
胴元が勝つように仕組まれたギャンブル(資格)に、人生というチップを全賭けするな」
翌朝、街の住人たちが目にしたのは、神聖な「資格」という階段を、単なる「割に合わない投資」として切り捨てた、極めて野蛮で合理的な「検品結果」だった。
広場は、これまでにない奇妙な熱気に包まれていた。
ソフィアが貼り出した「コスパ・ランキング」を真に受けた住人たちが、これまで見向きもしなかった「草むしり検定」に殺到し、地面を這いつくばって一心不乱に雑草を抜いている。
「努力が……。初めて、目に見える形の成果に変わる!」
彼らにとって、それは総書記が用意した果てしない階段(資格)から解放された、束の間の自由だった。
その光景を切り裂くように、四頭立ての白馬に引かれた豪華な馬車が乱入した。
降りてきたのは、あの婚活パーティを仕切っていた、傲慢な**「赤い貴族」**だ。
彼は、自分の地位を象徴する数々の勲章と、
取得に十年を要したという「上位階級格闘資格」の証を胸に輝かせている。
「またお前か! 婚活の場を穢しただけでなく、今度は『資格』という我ら文明人の誇りをバカにするとは……!
恥を知れ、野蛮な無資格者め。私が直々に教育してやる!」
彼は優雅な構えを取った。それは、歴史資料館のデータから抽出された「正解」とされる格闘技術。
何千時間という訓練と、莫大な受講料を払って手に入れた「公式の強さ」だ。
ソフィアは、自身のサイバーパーツの出力を静かに最適化し、短く吐き捨てた。
「資格ねぇ。ボクのいた場所じゃ、肩書きで殴り合おうとする奴から死んでいったよ。
……言葉は通じないみたいだ。ストリートのルールでお話しようか?」
赤い貴族が、流麗なモーションで踏み込んできた。教科書通りの、美しい突き。
だが、ソフィアはその「美しさ」の隙間を、最短距離で踏み抜いた。
「頂肘」
左腕の出力が一点に集中する。
大袈裟な予備動作も、演武のような華やかさもない。
ただ、内臓を揺らすような重厚な肘打ちが、赤い貴族の鳩尾に吸い込まれた。
ドサリ、と力なく地面に沈み込む赤い貴族。
何十もの格闘資格を所持し、あらゆる「正解」を学んだはずの男が、
たった一つの、肘打ちの前に悶絶している。
「『千招有るを怖れず、一招熟するを怖れよ』……古い拳聖の言葉だ」
ソフィアは、苦悶の表情の男を見下ろし、冷淡に言い放った。
「たくさんの型を『持っている』だけじゃ、何も極めたことにはならない。死ぬ気で磨いた一撃。
それだけが、最後に自分の命を救う『正しい投資』だ。……アンタの資格、コスパ最悪だったな」
広場で草をむしっていた住人たちは、呆然と立ち尽くしていた。
地面に這いつくばり、激痛に顔を歪ませながら、赤い貴族は震える手で懐の通信機を握りしめた。
その瞳には、敗北の屈辱ではなく、自分たちの信じる「正解」が否定されたことへの狂気的な恐怖が宿っていた。
「……認めない……こんな野蛮なこと、あってはならない……! 親愛なる総書記!
応答してください! この無資格者に、教育を……再教育が必要です!」
彼は子供のように泣きじゃくりながら、虚空に向かって「告げ口」を繰り返す。
その姿を見下ろし、ソフィアは冷ややかに鼻で笑った。
「ストリートのルールじゃ、負けてからマザーに泣きつくのは反則(ルール違反)だよ。
……ま、最初からアンタらにルールなんて期待してなかったけどね」
ソフィアはエレンたちレジスタンスを顎で促し、裏路地へと逃がした。
数分後、広場の喧騒がふっと消え、冷たい風が吹き抜ける。
現れたのは、これまでの皮鎧の警備員とは明らかに所作の違う、白装束の「執行官」たちだった。
彼らは中世の修道士のようなローブを纏っているが、その足音は一切響かず、顔は無機質な白い仮面で覆われている。手にするのは、捕縛槍。
殺すためではなく、対象の自由を物理的・電気的に「優しく」奪うための、徹底した捕縛装備だ。
(……なるほどね。中世のガワは崩さないまま、中身だけアップグレードしてきたわけだ)
ソフィアは、かつてシン新宿で何度も経験したように、ゆっくりと両手を上げた。
「いいよ。その『再教育』で済むなら」
連行された先は、街の最果てにある**「更生施設(隔離保管庫)」だった。
ソフィアが放り込まれたのは、窓も、装飾も、ホログラムの偽装すらない、ただ白い壁だけの立方体。通称、「反省部屋」**。
死刑を禁じられたこの世界で、不適合者を排除する唯一の方法。
――それは、彼らが「反省」するまで、あるいは自我が磨耗して消えるまで、何も存在しない白無垢の空間に永久に隔離することだった。




