【56】古狸とのやりとり~脅される~うっかりして忘れていたんだよね
神殿で魔術を教わってもすぐには使えないので毎日練習しています。トランプの発売準備中にとんでもない見落としが…
「アラン様、メートルが呼んでます!」
工房の見習いが呼びに来た。
「トランプができたんですわ」
ブランシュがそう言うので、僕は彼女と一緒に工房へ向かった。
「坊ちゃん、トランプを取りあえず百セットできやした」
僕は目の前のテーブルに積み上げられた木箱を見た。最上段の一つの蓋を開けて中身を取り出す。カードを一枚抜いて表裏を確認する。残りのカードも見た。
「うん、いいできだ。もちろん全部検品済みだよね?」
メートルに尋ねながらカードをブランシュに渡す。
「これなら安心して売り出せますね。急いで説明書を用意しなくてはなりません」
「そうだね。ユリアさんに二日後の日曜日に印刷機を借りると連絡しよう。メートル、頑張ってくれてありがとう!」
「いや、坊ちゃんの仕事は新しい物が多くて、職人冥利に尽きまさぁ。引き続き月百セットのペースで製造します」
「可能ならば二百まで増やせるといいんだけど」
「できるだけやらせてもらいやす」
「うん、よろしく」
「ところでミュゼット二号機の組み立ては進んでいるかな」
組み立ての監督を任せたテオに尋ねた。
「ええ、一番弟子に組み立てを任せてますが、二度目なので今のところ順調でさ」
「そう、良かった。これからも報告を頼むね」
そう言って僕とブランシュは工房を後にした。
◇
ピーッ!執務室に戻った僕は窓を開けモスキート音の笛を吹いた。しばらくしてルークがやって来た。
「ボス、お呼びにより参上しました」
うん、なんだか忍者っぽい。前回会った時より瞳に力があるいい顔をしている。
僕はさっき書いたユリアへの手紙をルークに渡した。
「これをヘラルド新聞社のユリアへ届けて」
「承知!」
例のように駄賃を渡すとルークは風のように飛び出して行った。
「では、日曜日に印刷ですね。でも紙は五十枚しか手に入れていませんよね」
「増産依頼はしてあるけれど、その後のフォローをしていなかったっけ。探偵団に買いに行ってもらおう」
そう言って僕はテオ宛の手紙を書いた。最低でも五十枚、できれば百五十枚欲しい。来月分を含めて。
再び笛を吹いた。
今度はニコがやって来た。ルークはまだ新聞社から戻っていないのだろう。相変わらずの笑顔を浮かべて立っている。
「ニコ、この手紙をリヴェルトのテオに渡して紙を買ってきて欲しいんだ。前回少年探偵団の誰が行ったのか知らないけれど、ルークがいなくても大丈夫かな?高速帆船が運航すればギリギリ日帰りできるけど、多分泊りがけになるよ」
「前もおいらが行ったので平気だよ」
「そうか、荷物を持って帰るのでこの背負子を持って行くといいよ。よろしく頼むね」
「ガッテンだい!」
ニコは船賃と宿賃を受け取ると、元気よく飛び出して行った。
「これで紙の方はなんとかなりますね」
ブランシュがほっと息をついて言った。
◇
僕としたことがうっかりしていた。大きな問題になりそうだ。ルナール商会長からたった今届いた手紙が原因だ。トランプの説明書を提供するつもりはあるんだろうなと圧力を感じる表現で。
『親愛なるアラン・男爵令息殿
爽やかな風が領都を吹き抜ける季節となりましたが、その後、新たな「揺り籠」での作業は捗っておりますでしょうか。
さて、先日の合意に基づき、私共も既に「木札」の製造準備を万端整えております。しかしながら、一つだけ私の手元に届いていない「最後の一片」があることに気づきました。
そう、かの遊戯を真に完成させるための「導き」――すなわち、三種の遊び方の説明書でございます。
知的好奇心に溢れる我が顧客(貴族)たちは、既にこの新しい毒を待ちわびております。彼らを退屈させることは、この領都の経済を停滞させることにも繋がりかねません。それは、賢明なるアラン様の本意でもございますまい。
明日の日没までに、その「言葉」をお届けいただけると信じております。さもなくば、提供いたしました納屋の安全を、私共の不手際で守りきれなくなるやもしれませんので。
貴方の天秤が、常に正しい選択を指し示すことを願っております。
ルナール商会 会長 ヴィクトール・ルナール』
「……なんてこと。説明書についてはそれぞれが用意するつもりで、具体的に契約書の正式な項目に盛り込むのを失念しておりましたわ」と、彼女は手紙を握りしめたまま、自身のミスに愕然とした。
「この慇懃な言葉選び……。表向きはアラン様を敬っていますが、最後の一文は明確な脅しです。『納屋の安全を守れない』とは、組み立て中のミュゼット2号を人質に取ったも同然ですわ」
「……ああ、やってしまった。完全に僕のミスだ。トランプの面白さにばかり気を取られて、それを流通させるための『ソフト(説明書)』を渡す約束を忘れるなんて。エンジニアとしては失格だね」
僕は苦笑いしながら、自分の額を軽く叩いた。そして、真っ青な顔をしているブランシュの肩に優しく手を置き、落ち着かせるように続けた。
「でも、大丈夫だよブランシュ。ヴィクトール会長がこれほど露骨な圧力をかけてくるのは、それだけ彼がこの『トランプ』という商品を高く評価している証拠だ。価値のないものなら、わざわざ脅してまで急かしたりしない。彼は今、喉から手が出るほどその説明書を欲しがっているんだ」
僕は机に向かい、真っさらな紙とペンを用意した。
「『納屋の安全を守りきれない』か……。流石は領都一の商会長、脅しのセンスも超一流だね。でも、ただ謝って渡すだけじゃ面白くない。ブラックジャックのルールを、小出しにするための『チラ見せ』として返信に添えてやろう。……彼は『毒』の効能をすべて知りたがっているはずだからね」
僕は、窮地に追い込まれた焦りではなく、強敵との駆け引きを楽しむことにした。
「ブランシュ、コーヒーを淹れてくれるかい? 日没までに、ヴィクトール会長が震えるような最高の『説明書』を仕上げてみせるよ」
そう言って僕は元々の三種類の遊びに加えてブラックジャックのルールを書き始めた。片面印刷のところを両面印刷にすればゲームの追加は可能だ。
◇
翌日になってニコが戻って来た。
「ニコ、ご苦労様。どうだった?」
ニコはパッと顔を輝かせて言った。
「ボス、紙は百枚売って貰えたよ。前もって手紙をもらっていたので作る枚数を増やしていたんだってさ」
「そっかー、良かった。ニコのおかげだね、よくやった」
そう言うと益々笑顔をほころばせた。
「良かったですね。これで紙は百五十枚になりましたね」
実際は紙製トランプの試作などに使ってぴったりはないのだけれど。これでルナール商会分の五十枚は確保できる。僕は先ほど書き上げた追加の遊び方を加えた説明書を五十枚準備して送る旨を手紙に書いて、ニコに届けてもらうことにした。彼は多めに駄賃を渡すと喜び勇んで出ていった。
「これでルナール商会長もご満足でしょう」
僕とブランシュはほっと胸をなでおろした。
次の日曜日。僕とブランシュはユリアのオフィスでトランプの説明書を百五十部に少し欠ける枚数の印刷を済ませた。これで発売準備完了だ。
次のエピソードはテオに会いに行くかどうか考えています。更新予定は5/22です。




