01 洞察
成徳の町は朝まだきから人の往来が絶えず、その足どりの多くは、ひとつの門を目ざしている。
「成徳侯様のお宅は、こちらで」
従僕が手を挙げて示すと、旅装の男が二人、荷を抱え直してうなずいた。肩に負った箱には砂が残り、布に包んだ品には油がほのかにしみている。家の前にはすでに幾人もの客の車が横付けされ、馬の鼻先が並んでいた。
門内で、若い従僕が走り回る。廊の隅には、ほどいた布包みが積まれ、絹や玉、酒壺がちらちらと顔をのぞかせていた。
「これも中へ? ……いや、堂が狭くなりますね」
従僕が声をひそめると、年長の従僕が眉根を寄せる。
「壺は半ば表へ出し、残りは倉に回せ」
小声のやり取りは客の耳には届かぬが、厨の方からは別の嘆きが漏れた。
「また客か。塩も油も目減りばかりだよ」
膳の支度をする女たちが、釜の中をのぞきこみながらささやく。穀の山は低く、箆で均すたびに底の色がかすかに見えた。名家の邸にしては、贅沢は薄い。それでも門の外からは、恭しい声が途切れぬ。
「阜陵のご一族にお目通りを」
「成徳侯殿に、ひとこと願いがありまして」
そう名を口にするたび客人たちの目は期待に輝いた。ここで言を得れば官途への道がひらける。婚姻の縁が結ばれる。飢えた郷里へひと冬を越す穀が運ばれる。そんな算段が袖の下に隠されていた。
その喧噪をひとり離れた廊の陰から見ている子があった。劉曄である。誰が頭を下げ、誰が形ばかりの礼で済ませているか。誰の笑みが口だけで、誰の指先が贈り物の重さを量っているか。そうしたものをじっと見ている。
ときおり従僕がここへ出て来てはならぬと手を振ると、劉曄は素直に柱の陰へ身を引いたが、その眼は人の動きを追い続けていた。
× × ×
客が次々に門をくぐるころ、奥の室では、別の声が交わされていた。
劉曄の父、劉普が几の傍に坐し、浅く身を乗り出している。衣は一見立派なものに見えるが、袖口には繕った跡が残っていた。脇には長子の劉渙が控え、幼い肩を一生懸命に張っている。その向かいに頬に笑みを宿した男が坐っていた。劉普の側近・杜倫である。
几の上には、さきほど運び込まれたばかりの贈り物がいくつか選ばれて並び、酒壺は一本口を切ってあった。二つの盃が湯気を立てている。厨の苦心を包むように、香は豊かに焚かれていた。
「いやはや、今日も門前は賑やかなものですな」
杜倫が盃を持ち上げて眼を眇める。
「みな、阜陵の枝葉にすがらんと願っている。乱れの兆し多き世にあって、頼むべき幹を探しておるのでしょう。成徳侯の門こそ、その幹であります」
劉普は笑みを押さえた。
「幹とは言いすぎだ。わしらは光武皇帝の余胤として祖宗の徳にすがっておるにすぎぬ。成徳の小さな侯にすぎんよ」
口では謙ったが、声には抑えきれぬ自負がある。彼は指先で盃の縁を軽くなぞり、几の上の印章にちらと目を遣った。
「ですが父上」
劉渙が言葉を添える。
「こんなに遠くから人が来るのは、父上の御名の高さだけが理由ではありますまい。いつも先生が申すように、先の阜陵王の恩を、まだ覚えている人がいるからでございましょう。頼られるのは、家にとっての誉れでございます」
言葉の端々には、師から繰り返し聞かされた文句がそのままの形で並んでいた。幼い声がそれを支えきれずに少し上ずっている。
その言葉に、劉普の頬はさらに緩んだ。
「渙様の申すとおりですな」
杜倫がすかさず受けた。
「王族の家は。名を貸し道を示し、州郡の士を導くのが務め。今日ここで一言を与えれば、明日にはその士が吏舎に上り、やがては朝廷に名を連ねましょう。そうなれば、劉侯の恩を忘れることはありますまい」
「ふむ」
劉普はうなずき、盃を口に運ぶ。酒は薄められていたが、その味に不満を見せることはなかった。胸中にあるのは、別の甘みである。
「諸県の若者が官途を求めて我が門を敲く。わしが一言、推挙の札に名を記せば、その者の行く末が決まる。それだけ家の力もまだ衰えておらぬということだ」
そう言いながら、彼は几の脇に積まれた書簡の束に視線を落とした。封泥には各地の印が押されている。返辞を待つ札が幾つもあった。
「渙よ」
「はい、父上」
「お前もいずれは、これらの札に目を通し、人を見極めねばならぬ。今は字を覚えるだけでも骨が折れようがな」
劉渙は背を正す。衣の袖を握る手には、わずかに力が入りすぎていた。
「はい。まだ何も分かりませぬが、学んで、父上のように人を見られるようになりとうございます」
杜倫はその様子を見て、小さく笑む。
「頼もしいこと。侯の家には、すでに次の柱が育っておられる。今日集う者たちも、それを見て安心いたしましょう。いま恩を施せば、やがて渙様の代には、州の政を支える力ともなりましょうぞ」
言葉はほめそやしであったが、その中には算の音がかすかに響いていた。人を集めれば、家の名は高まり、名が高まればさらに人が集まる。杜倫はその巡りをよく承知していた。
室の外で従僕が出入りし、次の客の名と願いを小声で告げている。誰それは郡の小吏の子で、誰それは商家の者。嫁の縁を求める者、子弟の師を頼む者。ひとつひとつの名が、几の上に並ぶ前に、まずこの場で値踏みされていた。
「まずは顔を見てみよう」
劉普が言う。
「そこに志があるかどうか、見ぬわけにはいかん」
「お呼びいたしましょう」
杜倫が立ち上がりかけると、廊の方から笑い声がかすかに漏れてきた。さきほどまで陰から覗いていた小さな影は、家人に追われて別の方へと姿を消している。
室の灯は変わらず温く、盃の酒は減っていった。外の賑わいはそのままに、内の男たちの胸には、頼られる家であるという誇りがゆるやかに積もりつつある。
× × ×
廊の笑い声から遠ざけられると、劉曄は庭を横切り奥の棟へと向かった。日中でも灯を消さぬ室、母・脩の寝所である。
簾を分けると薬草の香がむっと立った。床の上で脩は痩せた肩を起こし、戸口の方に耳を澄ませている。
「また客ですか」
脩がつぶやいた。
「父上も、よう人に頼られるものですね。あれで倉が増えるならまだしも、減るばかり。薬も紙も、みなあの人たちの盃に流れていく」
劉曄は母の脇に坐り、黙って膝を抱える。
「さっきの人たち、みな、笑っていました」
「侯の門に入れてもらえたからですよ」
「でも、目は笑っていませんでしたよ。倉と父上の手元を見ていました」
脩はわずかに目を見張った。
「そんなところを見ていたのですか」
劉曄はうなずき、耳を外へと向ける。遠くで杜倫の声がし、父と兄が応じていた。言葉は温かいものの、そのたびに厨と倉のため息もまた重なる。
「父上は嬉しそうでしたよ。頼られていると思っているからでしょうね」
脩は息を吐き、天井をあおぐ。
「お前は子供らしくない、冷たい子ね」
そう言いながらも、その声には安堵が混じっていた。家の外へ向かう誇りと内を守ろうとする不安。その両方を、子が黙って見つめていると、脩は感じていた。




