第九十四話 未特定種:危険度A
ぽつぽつ雨がと降り始めた夜、軍部諜報室のシトラスとアレックスが図書館へと向かう。
二人の後ろにはクロスボウや短剣を持ったクロノス教徒約三十人が付き、無線がクリス達の非常事態を告げていた。
アレックスの金髪が濡れ始め、長い襟足から茶色のコートへと水が滴る。
「シトラスちゃん、まずいねこれは。彼、未特定種の獣人だよ。何件か報告はあるけど、どれも何年か前のやつ」
黒髪ウェーブヘアのシトラスは眼鏡を服のヘリで拭き、キッチリと鼻の上へ掛けてからアレックスに答える。
「確かにそうですね。でも、それよりまずいのはこれですよ」
シトラスがポケットから出したのは手配書。
そこにはクリス、ロラン、ロータス、キリが書かれていた。
「おそらくアロンさんが――敵と判断した人物をゼリクに告げ口したようですね」
シトラスが目を細めながら言うと、アレックスは首を横に振る。
「いや、多分アロンやカシムはゼリクにも言ったが、この国の警察長官にも言っているはず。この指名手配はその影響だろう。まずいね。警察長官は三大老ではないし、吸血族でもないけど、かなり厄介な人物のはずだ」
しばらくすると雨が強くなり始め、二人のコートが焦げ茶色へと変色していった。
シトラスは見た目に似合わず煙草に火を点けると、図書館の正面扉を開ける。
「カトレアが反対から行ってるらしいです。私たちも早く行きましょう」
アレックスは煙草の煙を手で払うと、シトラスの右側にぴったりと付いた。
「僕は戦うの専門じゃないからね。頼むよ、何か出てきたら」
♢
ロランがカシムの首を掴んで壁に叩きつける。
「カハッ」
カシムの脇腹へと、聞いたこともない音と共に激痛が走る。
「ウォオオオオオオオオオ!!!!!」
ロランはそんなことを微塵も気にすることなく、再びカシムの腕を掴んだ。
「僕の発明がまるで役に立たないじゃないか……ッ!!どれもこれも計算外だ!!」
カシムがロランの手に電気棍を叩きつけると、バチンという音が鳴り電光がはしる。
しかし、火傷跡こそ付いたが、その勢いはとどまるところを知らなかった。
「ロラン、やめろ!おかしいぞ!いったん落ち着け!!」
脇腹を抑えていたクリスが立ち上がり、銃を捨てて獣化したロランの背に飛び乗ると、針のように鋭い毛皮がクリスの腕を貫いた。
「ウガァアアアアアアアア!!!」
ロランはカシムを離し、背のクリスを振り下ろそうとする。
しがみついたクリスを引きはがそうとするロランは、地下室を破壊しながらのたうち回る。
「やめろ、ロラン!お前もボロボロだ!背に――ガハッ!!背に、シャンデリアもぶっささってんぞ!」
脳内は“奴”が支配しており、ロランは完全に記憶を失っている。
クリスがロランと格闘している間、カシムは壁に体重を預けて立ち上がった。
彼は髪をかき上げ、口元の血を拭う。
「痛い……。僕は、一足先に抜けさせてもらう。僕の兵器はまだ完成していないからね。じゃぁ」
カシムはそう言うと、食堂の奥へと歩いて消えていった。
クリスは慌ててロランから降り、カシムを追うがロランがそれを許さない。
鎌のような爪でクリスの足を貫いた。
「……ッ!!クソッ、やめろ、ロラン!どうしちまったんだ!お前らしくねぇぞ!目を覚ませ!」
全身から血がだらだらと流れ、ロランは猛獣のような眼をしてクリスを睨んでいる。
しかし、そこで一瞬狼の表情が崩れた。
――やめろ、獣!僕を離せ!お前は、誰だ!僕じゃ、ない!!
ロランはそう叫び、クリスから離れて地面にへたり込む。
見る見るうちに獣化が解けていくが、首から上と両手の獣化は戻らなかった。
――しゃしゃるな小僧!俺はお前でお前は俺だと言っているだろう!!
「大丈夫か、ロラン!」
――お前は人を殺し、その血肉を喰らうために生まれて来た存在!
「ロラン!何が聞こえてる!ロラン!俺の声を聞け!!」
――お前は人為的に作られた存在!普通の人間じゃない。黙って吾輩の言うことを聞けい!!!それに、貴様は――
「ロラン!俺が助ける。俺の声を聞いてくれ!どれだけを俺を傷つけてもいい!なな、帰ったらルーシーさんに告白しねぇと!好きなんだろ?いや、まだ早いか?な、おい、みんな待ってるって……」
――こいつを殺せ。お前がロデリックの死に際を鮮明に記憶しているのは罪悪感からなどではない!下等種族である獲物を捕らえたいという狼の欲求の表れだ
獣化は既に全て解けていたが、ロランは未だ目を開けず、息苦しそうにもがいている。
「ロラン、頼むから返事をしろ!!」
――さぁ、殺せ!やれ!!!
ロランが座ったまま呻き声をあげて苦しんでいる時、食堂の奥から二人の男が入って来た。
「誰だテメェ!」
クリスが叫んでそちらを向くと、そこにはキッドと、その肩にもたれかかったルピナがいた。
ルピナは首を横に振り、クリスを落ち着かせる。
「……ロラン、無線でロータスさんから聞いたぜ」
ルピナがロランの側に来て語り掛けた。
「ロデリックおじさん、やったんだってなァ」
その一言に、目を瞑ったままのロランがより苦しむ。
手は地面を抉り、爪と指の間からは血が流れた。
「勿論、俺は今ものすごく苦しいし、悲しい。でもさ、おじさん、ずっと苦しんでたんだ。やっとその宿命から逃れられて……良かったんじゃないかと思う」
ルピナの頬に涙が伝う。
しかし、それでも“奴”の声は止まらない。
――殺したことは事実。何をいまさら許しを乞うている?自分で打ち明けることもできなかった弱い人間が、このままのうのうと生きられるとでも!
ルピナが涙を拭い、さらに続けた。
「ラーラは、生きてるらしい。エマさん達が本部で預かっているって。ラオの惨劇を生き延びてオスカルっつー紳士に助けられたんだとよ。なんだか久しぶりの再会で恥ずかしいなァ」
ロランの握った拳の力が緩まっていく。
――バカめ。ちょっと優しくされたくらいで。すぐにそれにすがるのだ……まぁいい、次吾輩が来たときは、存分に暴れようではないか。覚えておけ?小僧――
ロランは意識を取り戻し、ハッと辺りを見回す。
「ロラン!」
クリスが叫び、キッドも目を輝かせる。
ロランは三人を見ると、即座にルピナの前へと座り、頭を下げて言った。
「ごめんなさい。こんな言葉じゃ到底足りないし、正面からちゃんと言えなくて、ごめん」
「ロラン……」
「僕、君のおじさんを殺して、君の正体をクロノスにバラしてしまった。ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい!これから、どうにかして……償っていきます」
ルピナは怪我した部分をさすりながら、ニコリとして言う。
「俺はロランのことを許す許さないでは見てないよ。正直、怨む気持ちがないかって言われたら、それは嘘になる」
「……」
「でもさ、俺も今まで何人も殺したことあるし、このクソみたいな世の中で、俺だけ全部うまくいくなんてありえない。皆人生一回目なんだから、すぐ成功するはずないだろ?」
キッドとクリスもその後ろで頷く。
皆、過酷な過去を背負って、誰かを傷つけ、傷つけられながら生きてきたのだ。
「俺はさ、むしろこの話を聞いて、ますますロランが好きになったんだよ。なんでか分からないんだけどさっ……こんな色んな感情に出会うのも、また人生だな」
「ごめん……そして、ありがとう……ルピナ」
「ま、クロノスにハーフってバレたけど、誰も俺のことを白い目で見なかった。今まできもいと思ってたけど、意外と悪くねぇぜ。あの団体」
「あたしには聞こえてまーす。無線入れたままになってるからね」
エマが無線から怒った声を出す。
それからロランはクリスに向き直り、同じように頭を下げた。
「ごめん、クリス。僕、いつも君の足を引っ張ってばかりだ。助けるはずが傷を負わせてしまった。今回も助けてもらって、ありがとう」
ロランがそう言うとクリスは少し照れて言う。
「おう。いいよ、んなこと。こちとらラオで命救われてんだから、ったりめーよ。それよりもお前が死ぬんじゃないかとひやひやしたぜ兄弟」
クリスはロランに肩を貸してもらい、ゆっくりと立ち上がる。
「カシムは逃がしたが、こっちの裏切り者と敵幹部は一人やった。少しずつゼリクに近づいてはいるぜ。お、これは…?随分ボロボロだが、懐かしい!カシムが作ったのか」
クリスはそう言い、床から何かを拾った。
ロランはそれに構わずクリスの足を心配している。
「さ、帰ろう。オリバーにも会いたいし、な?」
ルピナはそう言うと再び帽子を被り、キッドの肩を借りてゆっくりと立ち上がった。




