第百十五話 常夜開始
「合図はラッパ――なるほど、戦上手の名も伊達ではないらしいですね」
シトラスが低く呟き、背負っていたマスケット銃へと手を掛ける。
「急ぐぞ」
先頭を走るアダムの声に押されるように、一行は四階へと踏み込んだ。
――4階の奥に、誰かがいる。
深緑色である警察のコートを纏い、異様なほど長い槍を手にした影が、ただ一人、静かに立っている。
「どうも。私はビサ軍元副将、現警察庁副警察長官――アオイです。戦争するのが仕事の、悪魔です」
アオイが名乗り出るのと同時に、フードを脱いだシトラスがアダムの前に出て、後ろに控える兵士たちに言い放つ。
「ここは私が。三階までの敵は貴方達が。そして最上階のエクスはアダムさん、よろしくお願いします」
シトラスは一歩、また一歩とアオイの前へと進んだ。
アオイがシトラスに戦闘態勢を取った刹那、アダムは彼女の頭上を華麗に飛び越えた。
ランプに掴まりながら、軽やかに最上階への階段へたどり着くアダム。
「待て、外道!」
アオイは咄嗟に叫ぶ。
しかし、アダムを止めようとするアオイに向かって、シトラスがマスケット銃を一発放った。
弾丸は容易く避けられたものの、シトラスの存在を無視できないと判断。
彼女はアダムへの追撃を諦めざるを得なかった。
シトラスは敵前で、堂々と煙草に火を点ける。
「ここで……貴方を仕留めます。私の役目は時間稼ぎに過ぎないのかもしれませんが――名将アオイと戦う以上、私は勝利を目指します」
そして眼鏡を外す。
その下からは吸血族特有の、血のように真っ赤な色をした瞳孔が現れた。
「舐めた口を利くのだな――ッ!!」
アオイはシトラスに向かい、槍を構えて走り始めた。
♢
五階に上がったアダムは、肌にピリピリとした刺激を感じる。
――廊下の一番奥、警察長官が使っているであろう部屋からの、殺気。
「俺を待ってんのか……粋なことしやがるぜ」
唯一ドアの開け放たれたその部屋へ入ると、部屋の西側にエクスが立っていた。
彼は窓の方を向き、海を眺めていた。
「来たか。久方ぶりだな」
エクスが言葉を発した瞬間、アダムは胸ポケットへと手を伸ばした。
動きは素早く、無駄がなく、彼がこれまで戦ってきた中で染み付いた動作である。
ポケットから取り出されたのは二丁のリボルバー。
鈍い光沢を放つそれらは、アダムの信頼を一身に受けた武器であり、相棒。
彼は両手に一丁ずつ銃を握り、軽くぶつけ合わせる。
部屋の静寂を破ったのは、金属がこすれ合う乾いた音だった。
アダムの瞳は微動だにせず、鋭い目つきで常にエクスを捉えていた。
「何年ぶりだろうなァ」
彼は右手と左手に持つリボルバーの照準をゆっくりとエクスに合わせた。
部屋の中、アダムとエクスの間に漂う緊張が極まっていく。
「俺は天下の代将軍と呼ばれた――確かに、それは悪い気分じゃなかった。だが、このエクスにとって名誉など無意味だ。俺が求めるのは、支配する力と、それを永遠に保つ上級人類の血、それだけなのだ」
エクスはアダムの方を向き、手を広げて、壊れた大理石のテーブルに腰掛けた。
「人を支配し、秩序の下生活させる権限。それが欲しかった。将軍として働いていた時は仕事だったが、今は違う。ヒトは秩序があってこそ生きていけるのだ。野蛮な民族を討伐し、我が国の下で幸せに暮らしてもらう。勿論ヒトに獣人類は含まないが……前にもこの話はしたな。アダム」
アダムはエクスの話を無視し、エクスの頭に照準を向け続けた。
「分かっているだろ、そこから撃ったって当たりゃしない。避けられるからな」
エクスは腰を上げ、ゆっくりと部屋の中を歩き始めた。
それに応じるようにアダムも歩き出し、互いの距離を一定に保つ。
「五年前一人で来た時より、さらに大きくなったな。あの時、俺に銃を奪われて逆に撃たれた傷跡も健在のようだ。……お前が追われるようになったのも、あの時がきっかけだったな」
アダムは変わらす黙り、エクスの頭に照準を合わせ続ける。
距離を詰めて来た時が唯一のチャンス。
チキンレースはアダムの得意分野。
――勝算はある……はず。
第一の矢を外しても、クリスの奇襲さえ決まれば問題ないのだ。
アダムは頭をフル回転させ、たった一つしかない勝ち筋を考えていた。
「またあの時の恨みか?ルバモシのあれ。前回は一人で、今度は軍隊で。ん~立派になったねェ」
エクスは言い切らないうちに、一瞬でアダムの横へ回り込んだ。
――!!
視線を向けられることもなく、容易く拳をアダムに叩きつけた。
部屋に響く鈍い音と発砲音。
アダムはかろうじて一発をエクスの右肩に当てたが、代わりに自分が警察長官室の壁にめり込むことになった。
肋骨が折れ、地面に倒れて口から血が出る。
頭は金属音が鳴り響き、腹からは熱いような痛いような感覚が湧き上がってくる。
それでもアダムは立ち上がった。
「成長が見られんな――ルバモシの若造よ」
エクスが再び大理石に腰掛け、手を組んでアダムを見る。
しかしアダムは再び二丁の銃を握り直し、エクスに向けた。
「ペッ――血反吐吐くぐらいがちょうどいいぜ……ウォームアップにはよォ」
♢
長官室での戦いが始まった頃、クリスは人々の声を聞いて警察庁での状況を予測していた。
どうやら政府側の援軍が来ているらしい。
「アレックス、そろそろ行かねぇとやばいかも。君はここを守ってて」
クリスはコートを羽織り、テントを出る。
それに続き、アレックスもクリスを見送ろうと外に出た。
その瞬間、クリスは息をのむような光景に出くわした。
――雪が舞い降りている。
曇天の空から、白銀の粉雪がふわりふわりと漂いながら地上へ降りてくる。
その姿はまるで無数の小さな妖精たちが、冬の大地を彩るために踊り降りているかのようだった。
クリスは心を奪われたように、その儚くも美しい光景をただ見つめていた。
アレックスもテントを出てすぐに気づき、驚く。
「これは……なんだ?」
クリスは一粒を手に乗せ、その冷たさを感じた。
そしてアレックスに答える。
「雪だ。ありえない。北方ならまだしも、こんな南で。しかも今年はもう雨が降っただろ?」
新時代現在、ビサでの降雨は年に一度か二度であり、その時期は決まっていた。
さらに、この時期は雪が降る地域でもかなり極地に近い地域でしか降雪しないはず。
――明らかに異常気象だった。
「いやいや――そんなことより、アダムと合流しないと」
クリスは気を取り直し、キャンプ地を離れようとする。
その途中、アレックスはふいにクリスの手を掴んだ。
冷たい空気の中で、二人の吐息が白く浮かび上がる。
その白い息で、アレックスはクリスに言葉を投げかけた。
「死ぬなよ。頼むぜ」
「おうよ……!」
♢
寂れた古城の欄干から、雪が降り始めた空を見上げる男が一人。
――この物語の元凶にして、世界を統べる者。ゼリク。
「始まった。常夜だ。遂に始まったァ!ハハハハハハハハハハ!」
彼は両手を空高く突き上げ、その鋭利な笑みを浮かべながら響き渡る高笑いを放った。




