第百二話 ライフオブライ
「……そうか。個人的なことを聞いてしまったね」
ハンスは馬の首をさすりながら、申し訳なさそうに言った。
「いえ、いいんです。遅かれ早かれ知ってもらうつもりでしたし……。もう一つは、私の治める地域をつくること。ジョージ様は、生前にクリス様の作られた国であれば、その中にクロノスの自治区を作ってもよいと許可をいただきました」
「自治区……クロノスの神を信仰するためにか」
「そうです。この二つの夢を叶えるため、今回の話に乗らせていただいたのです」
「ホホホ……案外、野心家なのだな。リリィ殿は」
勿論この時はまだ、リリィがゼリクの抹殺を行おうとしていることや、これまでの彼女の背景などを微塵も知らなかったため、ハンスはすんなりと納得した。
ハンスは、加齢により皴が入り出した頬を緩ませ、おどけたように言った。
「うむ。夢が実現できると良いな。いや、私達が実現させるのか。ハハハ」
そこでライ、アダムとランファンが追い付く。
ガイドの男と、荷物持ちの馬を引く男と共にハンスの隣へ並んだ。
すると急に、ランファンが東を指さした。
「さぁ行くぞ!私たちはこんなところでぐずぐずしていられん! 一刻も早くクリス様を育て、ルバモシを再興するのだ!」
高らかに宣言すると、ランファンは愛馬の腹を蹴り、皆の前へ躍り出た。
――が、次の瞬間。
馬は前脚をもつれさせ、大きく体勢を崩す。
「なぬぅッ――!?」
ランファンはなすすべもなく宙を舞い、そのまま地面に叩きつけられた。
「痛ぇッ……ケツが!!ケツが割れる!!」
あまりに見事な転倒だった。
思わず、ライとリリィ、それにアダムが吹き出す。
ハンスはひとつため息をつき、こめかみを押さえながら言った。
「臀部はもとより、割れていますよ……ランファン」
「何をお前たち! ガイドまでそんな顔をするんじゃない! こら、ランファン様を笑うでない!」
抗議の声を上げながら、ランファンは尻を押さえて地面の上でじたばたとのたうち回った。
♢
そこから一行は一年かけて大陸を横断し、遂にユーラシア大陸東端へと着いた。
そしてさらに小型船で日本列島へと渡り、日本列島西部”キュウシュウ”へと辿り着く。
♢
アダムが一番乗りに地面へ降り立ち、両手を上げて喜んだ。
「いぇーい!見て見て!俺が一番だよ!!」
「そうだな。あまりはしゃぎすぎるなよ――アダム」
日本の大地を駆けて行くアダムを尻目に、リリィは懐かしむようにして、船から廃ビル群を見上げた。
「着きました。ここは”旧日本”のハカタコーです。港の大部分は海に浸食されてしまっていますけどね」
リリィが船を止めた場所には硬い、真っ黒な地面があり、リリィに聞くと、何でも“アスファルト”と言うらしい。
それからリリィが錆びついた小型蒸気船から降り、その後ろを三人が付いて行く。
旧日本には見たことのないような灰色の建物“ビル”が林立していた。
人間の居住区であったというそれらの全てには、緑色のツタが巻き付いている。
ライにはそれが、植物が人工物を飲み込み、大地に還そうと覆いかぶさっているように見えた。
リリィは鉈を持って先頭を歩き、ジャングルと化した世界を進む。
ライたちが目にする日本の景色は圧巻で、どれもが初めて見るものばかりだった。
特に日本列島は固有の動植物で溢れており、体長数メートルにもなる尾が虹色のオオトカゲや、神々しい毛並みを持った白い鹿もいる。
それらと会うたびにアダムの心は踊り、まだ幼い彼にとっては全てが新鮮な体験だった。
♢
それから三日三晩歩き、ようやく着いたのが“モジ”という場所。
ライもリリィに全てを聞くまで知らなかったが、当時第三次世界大戦により東日本は壊滅し、日本最大の病院はこのモジ、政府の主要機関等はシモノセキに移されることとなったらしい。
ビルと植物に覆われた奇妙なジャングルを抜け、暫く山を歩いて急に出て来たのが“国際日本病院”。
「でかい、いや、でかいというか、もう町のようだ」
ライが山の中腹から麓を見ると、そこら一面が病院の敷地だった。
ハンスが水を飲み、膝に手をついてから言う。
「でも、ここには人なんていないな。人が生活している形跡がないし、気配もない」
しかし、リリィはニコニコしてハンスに言った。
「いいえ、いますよ。AIという人がいます――」
国際病院の中には奇妙な光景が広がっていた。
触ろうとしても触れない人や、勝手に床を掃除するロボット。
ライはこの世のものとは思えない機械達に驚き、それらを恐る恐る指先で触れる。
リリィはズカズカと奥へ進み、何かカードのようなものをかざして扉を開けた。
「ここは、遥か上空に設置された宇宙線発電システムと、トノウエ山に建てられた複数の再生可能エネルギー発電所によって動いています。それに加えて、災害時の為の自己修復機能。まさに日本の技術の粋を集めたシステムと言えるでしょう」
リリィが奥へと進みながら言う。
しかし電気というものを知らないライたちは訳が分からず、そしてこのリリィという人物に関しても謎が深まった。
アダムが丸い自動お掃除ロボットの上に乗ってリリィの後に付いて行く。
「そしてここは総合避難所。ここまで来れば食べ物もありますし、まぁ農業や狩りをしてもいいんですけど……寝る場所も生活に必要なものも全てあります」
「と、とんでもない場所だな――!見ろ!!ハンス、ここには飯が腐るほどあるぞ!!」
「――その缶詰は何世紀経っても腐りませんよ。今、ここならこの世界のどこよりもハイテクな生活ができるでしょう」
ライ達がリリィに続いて総合避難所へ入ると、そこには壁一面の生活必需品が備えられていた。
中には、銀色の袋で包まれた謎の物体もたくさん置いてある。
――薬だろうか?
ハンスが目を丸くし、リリィに問う。
「いや、意味が分からない。なぜこんなにもすごい建物があるのに、誰もいないんだ。君は何者なんだ。ハツデンショとは何なんだ!」
リリィは溜息を付くと、やれやれという風に身振りをして、昔話を始めた。
この世界がいつからあって、それまでどんな歴史が紡がれてきたのか。
それまで使われていた電気とは何なのか。
地震や津波の説明、そしてここがその避難所ということ。
さらに、リリィがこれまでどんな人生を送って来たのか。
ある一時期に日本へ来て、ロシアからの研究員としてこの病院の職員をすることになったこと。
それは吸血族化治療の研究をしており、その中で戦争が激化して皆が日本から避難したこと。
そうして残った病院がこの国際日本病院であり、2258年現在、亡命先として逃げ、そのついでに研究資料を取りに来たこと。
リリィは一切合切をすべて話した。
「安心してください。私は半吸血族化していますけど、ゼリク達と一緒ではないんです。健康な生活をしていれば血を欲することもないし、飲みたいとも思わない」
始め、ライはそれらの話を信じることができなかった。
しかし、今病院で実際に目の当たりにしている光景と、リリィの知識量がそれを真実であると言わしめている。
ハンスが地面に座って言った。
「本当に、そんなことが。じゃあ、電気も何もかも、吸血族が意図的に隠した。反乱を起こされないために?」
ライとハンスは顔を見合わせ、「たまげた」とだけ言うと、この世界の真実を知ってしまった衝撃で黙ってしまう。
皆が黙り、これからの生活の不安と現代の闇に閉口している時、急にランファンが叫ぶ。
「うおおおおおい!喋ったぞ」
三人がランファンの方を見ると、ランファンに抱えたられたクリスと、その顔を覗くアダムが目を輝かせていた。
リリィが首を傾げる。
「音声認識により人工知能AIは喋れますよ。グルグルアシスタントか何かが反応したのでしょう。ここはとんでもないハイテク施設ですから」
しかしランファンは、首を横に振った。
「ちげぇよ!!――クリスが、“にぃに”って言ったんだよ!」
予想外の返答に、リリィは目を見開く。
アダムは、クリスに呼ばれたその一言を反芻しながら、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。
ハンスとライは、顔を見合わせる。
その表情には、喜びと――ほんの少しの寂しさが混じっていた。
最初に「パパ」「ママ」と呼ばせてやれなかった悔しさ。
それでも、新たな主が確かに成長しているという確信。
暖かな空気が、その場を静かに満たす。
やがて、ハンスがひとつ咳払いをして、場を仕切り直した。
「まぁ、取り敢えず二、三年はここにいるつもりだ。皆の健康状態、陛下の成長具合も見て、じっく計画を立てて行こう」
こうしてクリスが王としての務めを遂行できるようになるまでの十数年、ルバモシ王国残党の亡命生活がここで始まる……筈だった。
♢
「何故、何故こうなってしまった?ランファン――!!」
「決別ですね……ライ殿」
「ハンス……貴様は国王陛下への忠誠が足りていない!!」




