第8話 月に祈る
「『申し訳ございません』で済む問題ですかッ!」
膝をついて頭を垂れているキキョウを怒鳴りつけてしまいました。薄暗い室内を照らすろうそくの明かりが揺れる中、キキョウは床に視線を落としたまま微動だにしません。そのしおらしさが、さらに苛立ちを募らせます。
自分の口から零れる『はぁ、はぁ』と荒々しい吐息が耳障りです。
激昂してはならないと常日頃から自分に言い聞かせている私が醜態を演じ、その原因となったキキョウが殊勝な態度をとる、この落差に気づいてしまって、余計に――
「うるせぇぞ、ツバキ」
心底煩わしげな野太い声は、横で胡坐を組んでいた巨漢のホオズキのものでした。キッと睨みつけても、こちらはまるで興味なさげに大あくび。私をバカにしているのかのように見えるのは、気のせいではないですよね?
「ホオズキ……あなたは状況がわかっているのですか? サクラさまの行方が知れないのですよ?」
竜人族に敗れて国を失い放浪していた私たちは、ある日突然この石の都に足を踏み入れていました。おそらく何者かが転移の術を用いたのだとは思うのですが……何が何だかまるで訳がわかりません。
誰が、何のために?
わからないのはこの都も同じ。石の都と呼んではいるものの、高く聳えるあまたの建物の素材は我々の知っている石とは異なっていますし、整えられた道には、これまた見たことのない素材が敷き詰められていて……この都の出来栄えは我ら鬼人族の都をはるかに上回っています。もっとも驚くべきことは、まるで魔力を感じないこと。まさかと思いますが、すべて人力で賄っているのでしょうか?
(ですが……)
その割には人っ子ひとり見当たりません。いったいどうなっているのでしょう?
まるで現実味のない不気味な都ではありますが……竜人族の姿も見えず、雨露を凌ぐことができるだけでも僥倖、つい先ほどまではそう思っていました。
(甘かった)
これほどの都が何者に支配されることもなく放置されているわけがありません。
この都にも脅威が存在しました。一番の脅威は南方から湧きだしてくる屍人です。
さらには最近になって我らに襲い掛かってくる――ニンゲン。ニンゲンは愚かで脆弱と相場が決まっているものですが、北の集落から南下してくる連中は我々が知っているニンゲンとは異なっているようです。野蛮で獰猛、その上やたらと腕が立つ。並の鬼人衆では無駄に犠牲を増やすだけです。つまり、今の我々は南北にふたつの戦線を構える状況です。ただでさえ我ら鬼人の数は少ないというのに、これを脅威と言わずに何と言えばよいのでしょう。
なのに、今度はサクラさまのお姿がお見えにならなくなったなどと!
「ツバキさま、少し落ち着かれては……」
「そうじゃぞ、ツバキ。怒りに我を忘れるなど、以ての外じゃ」
「カエデ……クスノキさままで」
『霊刀・雷丸』を腰に佩いたカエデ、そして鬼人衆の中でも歴戦中の歴戦であるクスノキさまに『抑えよ』と言われては……
(ぐぬぬ)
私は胸に手を当てて、何度となく深い呼吸を繰り返し、目の前で平服するキキョウを見つめ直しました。
……ダメです、込み上げてくる怒りを抑えきれそうにありません。
(サクラさま……)
今は亡き鬼人王のご息女であるサクラさまはまだ幼く、放浪の日々が大きなご負担となっていたことは間違いありません。偶然とはいえ、せっかく竜人族の追手を逃れることができたのです。サクラさまに安らかにお過ごしいただけるよう、みなの心をひとつにして、この都の支配を確かなものにしなければと思っていた矢先にこの凶報です。
我ら鬼人の領域でお姿をお見掛けすることが出来ぬとなれば、消去法で屍人かニンゲンの領域にいることになってしまいます。サクラさまは戦う力をお持ちではありません。彼奴等と遭遇したら……考えたくもありませんが、すでにこの世におられぬなどということも
(……いけません、弱気になってどうするのですか!)
サクラさまはきっとご無事です。どこかで我らの救いの手をお待ちになっておられるに違いありません!
「……キキョウ、早急にサクラさまを探し出しなさい。万が一にも叶わぬなどということになったならば……貴様の命はないものと思いなさい」
「ははっ、一命に代えましても!」
平伏していたキキョウは、目にも止まらぬ速さで姿を消しました。あの女はシノビです。隠密に長けているし身軽でもある。サクラさまをお探しするにはうってつけ。我ら鬼人将の中では最下位の序列とは言え、適材適所ではあるのです。
「ツバキ、抑えよ。感情を表に出し過ぎるのは、お主の悪い癖じゃぞ」
「クスノキさま……しかし、サクラさまが」
「心配しておるのはみな同じよ。慣れぬ異郷の地、屍人とニンゲンに挟撃されておるこの状況、なればこそ我らが仲違いすることは厳に慎まねばならぬ。違うか?」
「それは、そうですが」
「そんなに心配なら、お前がずっと傍についていたらよかったんじゃねぇか。何でもかんでもキキョウに当たり散らしてんじゃねぇよ」
「なんですって!?」
口を挟んできたホオズキを睨みつけても、こちらは暖簾に腕押し、糠に釘。雑兵からの成り上がりとは言え、あまたの戦場を渡り歩いてきた男だけのことはあります。平民出身とは言え、キキョウごときとは肝の太さがまるで違います。
「くっ……失礼します」
歯噛みして部屋を後にしました。ホオズキの言い分に一定の理があることを認めざるを得ません。まるで学がないクセに、時おりああやってグサリと胸に突き刺さることをほざくあの男……ああ、腹立たしい。
「ツバキさま……」
「カエデ、恥ずかしいところを見せましたね」
「いえ……サクラさまのことを思えば、心中穏やかならぬことも無理はありません」
後を付いてきたカエデに、無理やり形作った笑みを向けました。カエデは私と同い年のサムライです。クスノキさまの弟子でもあり、剣の腕前に関してなら鬼人将の中でも三本の指に入ります。突然の転移で得体の知れない都に放り出された私の傍に彼女がいてくれて、どれほど心強いことでしょう。
私の傍にはカエデがいる。でも、サクラさまの傍には……
「……サクラさまも、どこかであの月を見られているのでしょうか」
窓にはめ込まれた玻璃越しに見上げた空には、あまたの星が瞬いています。
その中でひときわ大きな月からは、優しい光が降り注いでいました。
――神よ、どうかサクラさまにご加護を……




