第1話 体育館屋上(202X年7月22日)
文明を失った暗くて深い夜が終わりを告げる。
東の地平から差し込む白光が闇を祓っていく。
(絶景……なのにね)
普段の私なら感動していたかもしれない。
でも、今の私たちには、そんな余裕はこれっぽっちもなかった。
「……」
地響きが近づいてくる。
舞い上がる土煙が空を汚していく。
重い足音と、うるさい陣太鼓――戦争が静寂を飲み込んでいく。
オーク軍団、総勢500体以上。すでに一度目にしているとは言え、迫りくる軍勢と相対すると、身体の震えが止まらない。
「来たっスよ、センパイ」
「……さっきからずっと見えてるわ」
そう。
ずっと見えている。
私の【鷹の目】は、オークたちを見下ろしている。
(このスキルが、こんなに役に立つなんてね)
口元がほころんだ。
私は――自分が手に入れたスキル【鷹の目】が好きになれなかった。せっかくのエクストラスキルなのに、あんまり役に立たないんだもの。一之瀬の【勇者】や会長の【AMAZ〇NES】、そして桧川の【万象の書】と比べたら、ハッキリ言って露骨にショボい。パイちゃんの【気功術】みたいに、ほかのスキルとがっちり噛み合うわけでもない。
ずっと、そう思ってた。
でも――
『全体の指揮は椎名さん。戦場を一番高いところから見られるの、椎名さんだし。矢文で指示を出せるのもポイント高いね』
矢文って、戦国時代かしら?
聞いたときには吹き出しちゃったけど……かつて私たちを繋いでいたコミュニケーションツールは壊滅している。電話もインターネットもSNSもなにもない。メッセージとかチャットとか、ホント夢みたいな機能だったのね。確かに矢文が必要だわ。
私たち弓道部は今、体育館の屋上にいる。
一番高いところから、さらに【鷹の目】を使って戦場を見下ろしている。
この光景は、きっと私だけのものだ。この役割は、私のためのものだ。そのことが無性に誇らしかった。
「狙いはメイジ、ジェネラル、クイーンですよね」
「見てもわかんないっスよ」
「まぁね」
ボヤく後輩ふたりに同意せざるを得ない。
突撃してくるオークが多すぎて、見分けなんてつかない。
昨日、学校の北でオーク軍団を目にしたときの第一印象は『多い』だった。それでも、よくよく見てみたら始業式とか終業式とかで体育館に集まる生徒の半分ぐらいかなって思ったから500体って言った。篁も護道も反対しなかったから、たぶん間違ってなかったんだなってホッとした。
言ってから『少ない』って思い直した。
だって有名アーティストのライブとか何万人もの人が動くのよ。それに比べたら、たったの500体なんて全然たいしたことない。桧川が戦うって言ったときも『どうにかなるだろう』って軽く考えてた。
(バカか、私は)
ピカピカ光りながらこちらに向かってくるのは【勇者】スキルを持つ一之瀬。アイツにおびき寄せられて突っ込んでくるオークたちの質量が半端ない。一体一体がデブなせいもあるんでしょうね。
異世界の魔王とやらがオークの軍勢を恐れるのも無理はない、そう思った。
「弓削、下に連絡。予定どおり」
「り、了解です」
弓削が下――体育館前へ向けて矢を放った。
少しして、下から湧きあがるざわめきが耳を掠める。
(無理もないわね)
ここを守るために、生き残るために、戦う。
私たちはちゃんと心づもりをしていたつもりだった。
でも、いざ実際にアレを目の当たりにしてしまうと……
(まるで、津波だわ)
オークだらけで地面が見えない。
杖を持っているのがメイジだからって言われても、そんなのわからないわよ。
「ま、ウチらが活躍するのは桧川パイセンの作戦が始まってからってことで」
矢守が笑う。
この子はいつもマイペースだ。
イラつかされるときもあるけど、この非常時にはこの子の軽口がありがたい。
「それはそうでしょうけど、下に最上たちがいるのよ。少しでも数を減らしてあげないと」
「まさに『焼け石に水』って感じっスけどね」
ホントそれ。
思ってたけど、黙ってたのに。
ふーって息を吐き出して、弓をつがえた。
視線を元に戻して、チカチカ光っているオークに向けて矢を放つ。
私の手元から放物線を描いて空に放たれた矢は、狙いどおりオークを貫いて魔石に変えた。
「先輩、さすがです!」
「魔法を使う瞬間、赤い光が見えるわ」
「うっス! じゃ、ウチらも行くっスよ!」
今度は三人揃って矢を放った。
それぞれオークを撃ち貫いて(オークだらけで外れるわけがない)、でも、軍勢にできた穴はあっという間に塞がってしまう。
「見えたっス! 私たち、魔法が使えなかったから気づかなかったっスね」
「……すみません、先輩」
「あ、ゆっち……そういうつもりじゃなかったっス」
「手が止まってるわよ。ふたりも矢を」
「……はい」
弓削がしょげた。
この子は結局【精霊魔法(水)】のスキルを取得できなかった。最初は私が覚えようとしたのよね。
だって仕方なくない?
あんな恥ずかしいデザインの水着を後輩に『着なさい』って言えるわけない。私はそこまで鬼畜じゃない。完全にセクハラ。篁とか舞坂とか、アイツら絶対に変よ。
そしたら弓削が『私が覚えます』って。矢守と違って役に立ってないからって。
(そんなことないのに)
私が何かにつけて矢守を頼っていることは事実だ。リーダー会議で議題に上がったことだって、後でこの子に相談しないと半分も理解できないんだもの。
(やっぱり、私が着るべきだったかも)
弓削は真面目だから、責任感とか罪悪感に苦しんでいる。
もっと羞恥心を呷られないようなスキル装備を使わせてあげたいって思うんだけど……桧川がカード引いてこないと、どうしようもないのよね。
しかも、アイツのカードって変なのばっかりだし。
「その話は後よ。オークたちを倒してから改めて考えましょう」
「そっスね。何ならウチが着てもいいっス」
「……矢守、本気?」
ビックリして、狙いがそれた。
矢はターゲットの横を走っていたオークの脳天に突き刺さった。
そいつもメイジだったのは、ただの偶然。辛うじて先輩としての面目が立ったわ……
「下も、ぶつかり始めたみたいです」
「大丈夫っスかねぇ、もがみんたち」
中等部や護道たちは、下でオークと戦う手はずになっている。体育館を守るために、そして――勝つために。私たちは、みんな同じ方向を向いている。
「念のために下も見ておいて。私は足元がお留守になりがちなのよ」
状況は、今のところ悪くはない。
最後まで桧川が警戒していた奇襲も包囲も、他のモンスターからの横槍もない。
(私の【鷹の目】を、舐めるなッ!)
眉間に力を籠めて、私は弦を震わせる。
白々と色づく空を覆い尽くそうとする土煙を、ひと筋の風が鋭く切り裂いていった。




