第2話 じゃあ、僕が
頭をガツンと横殴りにされたような気がした。
中等部のことが完全に頭から抜けていた。私立陽明学園は中高一貫の私立だけど、高等部から編入した僕は、中等部とはまったく縁がなかった。
もともと他人に興味を示さなかったのも、そんな思い込みに拍車をかけていた。
「眞鍋さん、落ち着いてください」
「落ち着いてなんていられないわ、たったひとりの妹なのよ! 中等部にいるはずなのにスマホが通じない! 返事がないのよ!」
叫んだ女子を円城会長が宥めているが、あまり効果はなさそうだ。さっきまで項垂れていた他の生徒たちの中からも『私も妹が……』とか『弟が……』とか囁きが漏れ聞こえてきた。
兄弟姉妹そろって陽明、そんな家庭が結構あるみたい。
――そりゃ、助けられるものなら助けたいとは思うけどさ。
もう一度時計を見た。午後3時過ぎ。
今は6月の下旬だ。日が暮れるまで、まだ時間はある。
中等部へ行って校舎を見て回って、ここに帰ってくる……できるだろうか?
モンスターが湧いて出てきたこの状況で、視界が悪くなる夜間の行軍は避けたい。
行くべきか、行かざるべきか。迷っていると『わっ』と歓声が上がった。体育館の奥の方でひとつの人影が立ち上がったからだ。
スラリとしたシルエットとイケメンフェイス。
手にはいかにもファンタジーっぽいキラキラ輝く剣と盾。
【勇者】スキルを持つ『一之瀬 一輝』くんだ。傍にはファンクラブの面々が揃っている。もちろん綾香もいる。護道くんから聞いていたけど、顔を見たらホッとした。
「オレが行く」
決然と言い放つ一之瀬くん。これはまさしく勇者ですわ。
心配そうに彼を見つめる取り巻き連中を『待っていてくれ』と諭し、こちら――入口の方に向かって来ようとした彼の左右から、他の生徒たちが声を浴びせかける。
「ありがとう、一之瀬くん!」
「さすが一之瀬!」
「お前なら行ける!」
「イッキ! イッキ! イッキ!」
「一之瀬くん、どうか中等部のみんなを助けてあげて!」
――あのさぁ……
無性に苛立ちを覚えた。
一之瀬くんにイラついたわけではない。
みんなの歓声を聞いて『無責任だ』と思ったのだ。
いくら彼が強いからと言って、絶対に安全なわけじゃない。
外はモンスターだらけなんだ、下手を打ったら死んでしまうんだぞ。
「待って、一之瀬くんがいなくなったら私たちはどうなるの?」
誰のものともわからない声に、一之瀬くんの脚が止まった。
ついでに騒がしかった一之瀬コールも消えて、体育館をネットリと重たい空気が支配する。
――それがあるんだよね。
最強の剣と最強の盾を持つ彼なら単騎で中等部まで往復できるかもしれない。でも、その間ここ体育館の守りが薄くなる。せっかく避難してきた。水も食料もある。最強戦力である彼にここを守ってほしいと思うのは、別におかしな話ではない。それはそれでイラつくんだけどね。何でもかんでも一之瀬くんにお任せじゃなくて、ちょっとは自分で動こうと思わないのかよ。
――ゴブリンぐらい、レベル0でもなんとかなるだろ。
運動神経クソ雑魚の僕だって倒せたんだぞ。
……まぁ、僕の不満は置いておこう。先頭に立ってモンスターをぶった切りまくってきた一之瀬くんに対する期待は、とても大きいのだ。
案の定と言うべきか眞鍋さんがキレた。
「なんなの!? じゃあ、妹に死ねって言うの!?」
「そんなに言うならあなたが行けばいいでしょ! お姉ちゃんなんでしょ!」
ヒステリックな金切り声が飛び交い始めた。
会長をはじめとする生徒会や教師たちが必死に『落ち着いて、話を聞いてください』って叫んでるけど……これはもう完全に逆効果だ。
当事者である一之瀬くんも困惑している。どちらの言い分も理解できるからだろう。
――どうするんだよ、これ……ん?
かすかな吐息が僕の耳朶を震わせた。
チラッとそちらに目を向けると……肩に乗せたリュンクス越しに、うつむいたままの柊さんがギュッと手を握り締めている姿があった。
柊さんの隣では篁さんがじっと眞鍋さんを見つめている。
――ふたりとも、ひょっとして……
助けに行きたいんだろうか?
……だとしたら、それはとても凄いことだ。
叔父さんや綾香のことを見捨てようとしていた僕とは大違いだ。
――僕は……僕は……
ギュッと目を閉じると、目蓋の裏にいくつもの光景が浮かび上がった。
殺された生徒たち、死体を目にして心を痛める篁さんと柊さん。
僕は――篁さんたちのあんな顔、もう見たくないな。
「……僕が行く。あっちにレアなモンスターがいるかもしれないしね」
一之瀬くんに倒されたら僕のものにならないじゃないか、そう笑ってみた。
篁さんたちが、僕の言葉に釣られるように腰を浮かす。
そんなふたりを、僕は手で制した。
「待って。僕ひとりで行く。ふたりはここにいて」
僕は命を懸けるだけで済む。まだ気楽だよ。
思い出すのは女子の死体を相手に盛っていたゴブリンだ。
篁さんと柊さんは――女子はモンスターに負けたら尊厳を破壊されるような目に遭うんだよ?
一緒に来てくれなんて言えない。
「バカ言うな、両手が塞がるくせに」
「強がらなくていいよ、桧川」
篁さんにバシッと背中を叩かれた。痛いよ。
柊さんは、顔をしかめる僕を眼鏡越しに見つめてくる。
リュンクスは、ペシペシと猫パンチを頬に食らわせてきた。肉球がプニプニだ。
「……」
ふたりの顔には――柔らかい笑みが浮かんでいた。
僕の懸念なんてお見通しで、それでも一緒に来てくれるってのか。はぁ……
「……本当に、いいんだね?」
篁さんも柊さんも、黙って首を縦に振った。
僕って、なんでこんなに信頼されているんだろう?
わけわかんないけど、ここまでされて黙っていたら男が廃るってもんだ。
「僕が行くよ」
立ち上がると、体育館中の視線が僕に集中した。
その圧力に思わず後ずさってしまったけれど……『じゃあ、私も行く』『私もね』って篁さんたちが続いてくれたので、怯んだことは誰にもバレなかったはずだ。
……隣から聞こえてきたため息には、気づかなかったふりをした。




