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明日の僕から、君を嫌いになれと届いた  作者: きびだんご


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12/18

明日の僕に逆らう

 午後4時を過ぎたころ、研究室から続報が届いた。


 設備の点検で、電気系統の一部に損傷が見つかった。

 該当する区画は電源を切り、立ち入りを制限した。詳しい調査が終わるまで会館は閉める。

 その損傷が、メールに書かれた火災の原因だったかどうかは断定できないという。


「これで、大丈夫なのかな」


 僕が言うと、律は文章を読み直した。


「分からん。でも、行かへんことは変わらん」

「そうだね」


 僕たちは、もう一度それを決めた。

 未来が変わったと証明するために、会館へ確かめに行ったりはしない。


 会館の名前で検索すると、休館のお知らせが一番上に出た。

 その下には、先月の催し物の写真が並んでいた。

 僕は火事という言葉を付け足しかけた。

 まだ起きていないことを探していると気づき、画面を閉じた。


「見ちゃうな」


 僕が言うと、律は自分のスマホを持ち上げた。


「俺も見てた」


 律が笑ったので、僕も笑った。

 どちらかが落ち着いた役を続けなくてもよかった。


 研究室の連絡には、施設への問い合わせが集中しないよう、進捗は窓口からまとめて知らせるとあった。

 僕たちは通知を鳴るようにしたまま、画面を伏せた。

 ほかにできることがない時間を、埋めるためだけの行動で増やさない。

 それは意外に難しかった。


 律は鞄から小さなメモ帳を出した。

 録音の予定を書いた手帳とは別の、端の折れたものだった。


「今、何か考えるの?」

「提出作品のこと、少し。嫌?」


 僕は一度、嫌だと思った。

 まだ僕と話している途中なのに、僕を使わない作品を考えるのかと。

 けれど律には、今日を越えたあとも締め切りがある。


「嫌っていうか、気になる。でも考えていい」


 許可を出すような言い方になったと気づいた。

 律も気づいたのか、少し眉を動かした。


「僕に聞かなくていいと思う」


 言い直すと、律は頷いて、紙へ何か書いた。

 僕は覗き込まなかった。


 研究室には2人でいることを返信した。

 それから僕は、大学の先生のメールを開いた。

 先週から返事をしていない面談の案内だった。


 入力欄に、返信が遅くなりすみません、と打つ。

 その先で止まった。


 返信の下書きは、何度も丁寧すぎる文章になった。

 ご多忙のところ、せっかくご連絡いただいたのに、申し訳ありません。

 謝罪を増やしていくと、本当に書かなければならないことまで遠くなった。

 僕は2行分を消した。


 練習が止まっています。

 そう打って、画面を見つめた。

 先生が読めば、呆れるかもしれない。落選したくらいで、と言われるかもしれない。

 そう思っていたことを、僕は先生本人に確かめていなかった。


 律にだって、勝手な答えを何度もつけていた。

 先生についてだけ、自分の想像が正しいはずはなかった。


 受信欄を少し遡ると、面談案内の下に、以前の返信が残っていた。

 録音を提出したあと、先生が具体的な小節番号を挙げてくれたメールだった。

 返事は厳しかったけれど、僕の演奏を聴いた人にしか書けない内容だった。

 僕はその文章を、評価された部分だけ覚えていた。

 次に何を試すかも書いてあったのに。


「何て書けばいいと思う?」


 律に画面を向けかけて、やめた。

 代わりに聞いた。


「ちょっとだけ、待ってて」

「うん」


 選抜の結果を受け止められず、練習が止まっていること。

 講評を聞くのは怖いが、面談をお願いしたいこと。

 文章はそれほど長くならなかった。


 送信ボタンの前で一度止まり、それから押した。


 送った瞬間、撤回したくなった。

 もう大丈夫になりました、と続けて送れば、弱っている僕を見られずに済む気がした。

 でもまだ大丈夫になっていなかった。

 僕はスマホをポケットへしまった。


 律はメモ帳を閉じていた。

 何を書いたのか、僕は聞かなかった。

 向こうも、先生へ何と送ったかを読もうとはしなかった。


 同じベンチにいて、別の用事をした。

 それだけの数分が、今日初めて、相手を見張らずにいられた時間だった気がした。


 僕は靴の先で落ち葉を一枚避けた。

 まだ気分は重かった。

 メールを送れば、急に前向きになれるわけではなかった。

 ただ、返事を待っている間にできることが、ひとつ増えた。


「送れた」

「おう」


 律は中身を尋ねなかった。


 僕は鞄から昨日の譜面を出した。

 律が遠くへ行ったあと、これを弾く理由がなくなると思っていた。

 でもページをめくると、苦手な連続和音のところに、自分で書いた指番号があった。

 直したかった箇所は、まだそこにあった。


「録音、またやらせてって言いたいけど」


 律が僕を見た。


「今日、それを約束させたら、また同じになる気がする」


 律は少し考えてから言った。


「俺も、頼むなら何に使うか最初に言う。嫌なら断ってええようにする」

「断ったら、ほかの人に頼む?」

「そのこともある」


 胸が少し痛んだ。

 痛まなくなるまで待っていたら、いつまでも頷けない気がした。


「うん」


 僕は譜面をしまった。


「律に、行ってほしくない気持ちはある」

「うん」

「でも、行くなとは言わない。僕が寂しいのと、律が行っていいかどうかは、別だと思うから」


 律の肩が、少し下がった。


「それ、言うてくれて助かった」


「でも、また変なこと言うかもしれない」


 僕が言うと、律は少し困った顔をした。


「言う前に全部止められるとは、俺も思ってへん。でも、言ったあと、なかったことにせんといて」

「分かった」

「俺も、嫌なら嫌って言う。言いにくいからって、全部後回しにせんようにする」


 約束を増やしすぎると、また守れないものを抱える気がした。

 僕たちはそれ以上、細かい規則を決めなかった。

 毎日何時に連絡する、とか、どこへ行くときも知らせる、とか、そういう約束にはしなかった。

 今日は特別に怖い日だから、居場所を伝え合う。

 明日以降も今日と同じ不安を理由に、相手の暮らし全部を知ろうとはしない。


「普通の日も、今日みたいにずっと一緒にはおれへんからな」


 律が言った。


「分かってる」


 まだ寂しいと思いながら、僕は頷いた。

 分かっていると答えても、寂しさまで消えたふりはしなくてよかった。


 僕は受信アプリを開いた。

 最後の一文は、まだそこにあった。

 未来の僕を嘘つきにはしたくなかった。ひどい奴だと片づけたくもなかった。

 僕にはまだ、あの文章を書きたくなる夜が来るかもしれない。


 でも今日、律を嫌いになると決める必要はなかった。


「帰り、一緒にご飯食べよう」


 僕は言った。


「17時過ぎても、しばらく一緒にいたい」

「俺も、そのつもり」


 役に立つからでも、演奏するからでもなかった。

 それでも、約束はできた。

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