表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「あなたの治癒魔法、後遺症だらけですよ?」 婚約破棄で追放された魔力ゼロの令嬢は、前世の外科医の知識で世界を変える  作者: 月代


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/10

第9話 嘘の代償


 フィーネの術後経過を確認するため、翌朝ロザール卿の屋敷を訪れた。


 フィーネは目を覚ましていた。

 呼吸は安定している。胸痛の訴えもない。

 創部の状態を確認し、包帯を替えた。

 マリエルが横で見ている。昨夜教えた「創部の観察ポイント」を、ノートに書き写していた。


「腫れ、熱感、赤み、浸出液。この四つを毎日確認すること」


「わかった。ちゃんと記録する」


 マリエルの目つきが変わっていた。

 「完璧な治癒師」の目ではない。「学ぼうとしている人間」の目だ。


 ロザール卿の屋敷を出たところで、ルシアンが走ってきた。

 息が切れている。


「カルディア公爵が倒れた」


 足が止まった。


「今朝、屋敷で腹痛を訴えて意識を失ったらしい。侍医が治癒魔法をかけたが効かない。フォルテシアの当主——あんたの父親が呼ばれたが、それでも駄目だと」


 カルディア公爵。

 私を「魔力のない娘に用はない」と言い放った人。

 婚約破棄を主導し、査問会で政治的に封殺した人。


 しかし——患者だ。

 倒れて意識を失っている人間は、敵でも味方でもない。患者だ。


 マリエルが追いかけてきた。


「姉さま。カルディア公爵は、お父様がこれまで何度も治癒を施してきた方。内臓に、複数回の治癒の痕があるはず」


 複数回の治癒魔法。

 つまり、後遺症が蓄積している可能性がある。

 そしてそれが限界を超えた。


 マリエルの目が、まっすぐ私を見た。

 「助けて」ではなかった。

 「行きましょう」だった。


「お父様にも立ち会ってもらいます。お父様が治した患者です。お父様に、見てもらわなければ」


 マリエルの声は、震えていなかった。



    *



 カルディア公爵の屋敷は、王都でも屈指の大邸宅だった。

 門前に馬車が何台も止まっている。

 公爵の容態を聞きつけた関係者が集まっているのだろう。


 マリエルの案内で通された寝室に、カルディア公爵が横たわっていた。

 豪奢な衣装は乱れ、顔は脂汗にまみれている。

 意識は朦朧としているが、完全には失っていない。

 腹部を両手で押さえ、呻いている。


 その傍らに、ヴィクトルが立っていた。


 父の顔を見るのは、追放の日以来だ。

 あの時と同じ、感情を殺した表情——に見えた。

 しかし、目の下に深い隈がある。手が微かに震えている。

 私が部屋に入ったのを見て、一瞬だけ目を見開いた。

 すぐに元に戻ったが、あの一瞬は隠せなかった。


「お父様。私が手術を行います。立ち会ってください」


 命令ではない。しかし、拒否を許さない声だった。

 自分でも驚くほど、静かで、硬い声。


 ヴィクトルは何も答えなかった。

 ただ、部屋の壁際に下がり、そこに立った。

 それが承諾だと解釈した。


 カルディア公爵の腹部を触診する。

 右上腹部に強い圧痛。腹壁の筋性防御がある。

 腹膜刺激症状。腹腔内で何かが起きている。


 触診を進めると、腹部全体にわたって複数の硬結が触れた。

 一箇所ではない。三箇所、四箇所——少なくとも五箇所。

 全て、過去の治癒魔法の痕だろう。


「マリエル。内部を視てください。特に右上腹部」


 マリエルが手を翳した。目を閉じる。


「胆管が……何かに圧迫されている。周囲の組織がくっついて、管が潰れかけている。その周りに、炎症が広がっている」


 胆管の閉塞。

 過去の治癒で生じた癒着が胆管を圧迫し、胆汁の流出が妨げられた。

 結果として急性の炎症が発生。

 放置すれば、腹膜炎から敗血症。ルシアンの父と同じ道を辿る。


「手術を始めます。ソムニカを」


 ルシアンがソムニカの煎じ液を持ってきた。

 公爵に飲ませるのに少し手間取ったが、呻きながらも飲み下した。

 数分で意識が落ちる。


 腹部を切開した。


 開けた瞬間に見えたものに、私は息を呑んだ。


 癒着。

 腹腔内のあちこちで、本来くっつかない組織同士が癒着している。

 腸管と腹壁。胃と横隔膜。肝臓と大網。

 一回の治癒ではこうはならない。何年もかけて、繰り返し治癒魔法を受けた結果だ。

 治すたびに、中が少しずつ壊れていった。


 胆管の閉塞部位を確認した。

 胆嚢と十二指腸の間で、癒着した組織が胆管を絞めている。

 まずこの癒着を剥離し、胆管を開放しなければならない。


「マリエル。出血の止血を。お願いします」


「はい」


 癒着を一つずつ、慎重に剥がしていく。

 丁寧に。急がず。

 一箇所剥がすたびに出血があり、マリエルが止める。

 昨日より精度が上がっている。一度の経験で学んだのだ。


 手を動かしながら、私は口を開いた。


「お父様」


 壁際のヴィクトルに、手を止めずに語りかけた。


「見えていますか。この癒着。あちこちにあります。全て、治癒魔法が残したものです」


 ヴィクトルは答えない。


「お父様。あなたは気づいていたんですよね。ずっと前から」


 沈黙。


 胆管の閉塞を解除した。

 黄色い胆汁が流れ出す。閉塞が解かれた証拠だ。


 周囲の癒着も可能な限り剥離する。

 全ては取りきれない。あまりにも広範囲だ。

 しかし、急性の原因は除去できた。


 手が止まった時、背後から声が聞こえた。


「……気づいていた」


 ヴィクトルの声だった。

 初めて聞く声だった。

 威厳が剥がれ落ちた、ただの人間の声。


「二十年前だ。私が治療した患者に、治療後の不調が出た。調べれば調べるほど、自分の治癒が原因だとわかった」


 メスを置くことはできない。まだ閉腹が残っている。

 しかし、耳は向けている。


「だが、認めれば——フォルテシアの百年がすべて嘘になる。一族が積み上げてきたもの、王家からの信頼、聖教会での地位。全てが崩壊する」


 縫合を始めた。

 一針ずつ。


「お前が生まれて、魔力がなくて。しかし、お前の目は最初から違った。五歳の時に、庭で転んだ使用人の傷を観察して、『この傷は中が見えないから危ない』と言った。あの時、私は——」


 ヴィクトルの声が、途切れた。


「怖くなった。この子はいずれ真実に辿り着く、と」


 手が止まりそうになった。

 止めなかった。

 縫合を続ける。


「嘘ではありません」


 私は答えた。手を動かしながら。


「治癒魔法は人を救ってきた。ただ、不完全だった。それを認めることは、百年を否定することではなく、百年を超えることです」


 この言葉は、考えて出したのではない。

 ずっと思っていたことだ。

 治癒魔法が悪いのではない。治癒魔法"だけ"に頼る仕組みが悪い。


 最後の一針を結んだ。

 蒸留酒で清拭し、包帯を巻いた。


 カルディア公爵の呼吸を確認する。安定している。

 脈拍は速いが、弱くはない。

 危機は脱した。


 振り返った。


 ヴィクトルが、膝をついていた。

 王宮筆頭治癒師。フォルテシア一族の当主。

 その人が、手術室の床に膝をつき、顔を伏せていた。


「……すまなかった」


 声が震えている。

 一族の長としてではなく、一人の父親として。


 胸が痛んだ。

 怒りではない。悲しみでもない。

 もっと複雑な、名前のつかない感情。

 この人は、ずっと一人で抱えていたのだ。嘘を。恐怖を。


「お父様。謝る相手は私ではなく、あなたが治療した患者さんたちです」


 そう言いながら、私はヴィクトルの肩にそっと手を置いた。


 血のついた手だった。

 カルディア公爵の血。

 ヴィクトルの「嘘」が積み上げた後遺症の、その血。


 ヴィクトルの肩が、小さく震えた。



    *



 屋敷を出ると、夕陽が石畳を赤く染めていた。

 ルシアンとマリエルが門の前で待っていた。


「終わった?」

「終わりました。公爵は回復に向かいます」


 ルシアンが深く息を吐いた。

 マリエルが私の手を見て、眉をひそめた。


「姉さま、手、洗って。血だらけよ」


「ああ……そうですね」


 井戸の水で手を洗っていると、宿舎のほうから人影が近づいてきた。

 金縁の眼鏡。痩身の男。

 エドモン。


「セレナ殿。お伝えしたいことがあります」


 エドモンの手に、厚い冊子が握られていた。


「あなたのノートの写しを基に、聖教会の過去の治癒記録と照合しました。過去十年間の『原因不明の病』とされた症例を洗い出し、治癒魔法の施術歴と突き合わせた報告書です」


 独自に調査をしていた。

 あの「規則ですので」の人が、自分の所属する組織の記録を掘り起こし、報告書にまとめた。


「規則を守るためにも……真実を知らなければなりません」


 エドモンの声は静かだった。

 グランメルで会った時の鉄面皮はない。

 しかし、弱くなったのではない。

 むしろ強くなっている。自分の信念を更新した人間の強さ。


「報告書を聖教会の上層部に提出する準備ができています。ロザール卿のご助力も得られれば、王の耳に届く可能性があります」


 査問会では封殺された。

 しかし、別の道が開いている。


 エドモンの報告書。

 ロザール卿の影響力。

 マリエルの証言。

 そして——ヴィクトルが真実を認めた事実。


「お願いします、エドモン殿。報告書を出してください」


 エドモンが頷いた。


 夕陽が沈みかけている。

 手を洗った井戸の水面に、赤い空が映っていた。


 振り返ると、ルシアンが笑っていた。

 「で、どうする?」とは聞かなかった。

 もう、わかっているのだろう。


 まだ、終わっていない。

 ここからだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
父と会ったのは追放の日以来... 査問会で誰がいたのか忘れているようで、 前世で脳の血管が破裂した後遺症でしょうか。 色々と記憶の混乱があるようですね。 良い話なのに残念です。 老婆心ながら、時系列…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ