第6話 王都の闇
五日ぶりの王都レクシアは、記憶と変わらなかった。
白い石造りの建物が整然と並び、大通りには魔石灯が等間隔に灯っている。
行き交う人々の衣装は華やかで、辺境の土埃とは別の世界だ。
馬を降り、石畳を踏んだ時、足裏に冷たい硬さを感じた。
二十二年間暮らした街なのに、グランメルの土の道のほうが足に馴染む気がしたのは、不思議な感覚だった。
「こっちだ。辺境領主用の宿舎がある。小さいけどな」
ルシアンが先に立って歩く。
王都の街並みを、特に感慨なく見ている。この人にとって王都は「用事のある場所」であって、それ以上ではないのだろう。
宿舎は大通りから三本奥に入った路地にあった。
石造りの二階建て。小さいが、二人分の部屋と、簡素な応接間がある。
荷を降ろし、すぐに準備を始めた。
査問会は明後日。時間は限られている。
*
翌日、ルシアンと手分けして情報を集めた。
ルシアンは父の治療記録を探しに、当時かかっていた聖教会の出張所を訪ねた。
私はフォルテシア一族が治療を行った貴族たちの名簿を、公開されている聖教会の治癒記録閲覧所で確認した。
閲覧所の記録は簡素だった。
患者名、治療日、治療部位、担当治癒師名。それだけ。
術後の経過は記録されていない。「治癒完了」の一行で終わっている。
追跡ができない仕組みだ。
治癒魔法は「完治させるもの」という前提だから、経過観察という概念自体がない。
夕方、宿舎に戻ったルシアンの表情は硬かった。
「親父の記録を見つけた。担当したのはフォルテシア一族の治癒師。名前まではわからなかったが、一族の者であることは間違いない。そして——死因の欄は『原因不明の急病』。それだけだ」
「症状の記述はありませんでしたか」
「ある。『腹部膨満、高熱、全身状態の急激な悪化』。あんたがグランメルで言った通りだ」
私はノートの写しを開き、該当する症例と照合した。
腹部膨満。高熱。急激な悪化。
治癒魔法による内臓の癒着が原因で腸閉塞を起こし、敗血症に至った可能性。
グランメルで診た慢性腹痛の患者たちと、根は同じだ。
ただし、ルシアンの父の場合は症状が急性かつ致命的だった。
「推測です。断言はできません。でも、同様の症例と合わせれば、パターンとして提示できます」
ルシアンが拳を握った。
机に置いた拳が、白くなるほど強く。
しかし、声は抑えていた。
「やっぱりそうか」
それだけ言って、目を閉じた。
怒りなのか悲しみなのか、私にはわからなかった。
この人は感情を飲み込む。飲み込んで、次の行動に変える。
「……査問会で、出せるものは全部出そう」
「ええ。そのつもりです」
*
査問会の日。
聖教会の大広間は、思っていたより広かった。
高い天井に魔石灯が並び、正面に三人の査問官が並んでいる。
いずれも聖教会の高位聖職者。白い法衣に金の刺繍。
傍聴席に目を向けた。
カルディア公爵がいた。恰幅の良い体を椅子に沈め、腕を組んでいる。
その隣に、父。ヴィクトル・フォルテシア。白髪交じりの銀髪。直立不動。
そして——マリエルの姿があった。
金色の髪が、傍聴席の薄暗がりでも目を引いた。
こちらを見ている。しかし、すぐにヴィクトルが何か耳打ちし、マリエルは視線を落とした。
査問官の一人が口を開いた。
「セレナ・フォルテシア(旧姓)。あなたに対する嫌疑は、聖教会認定資格を持たずに治癒行為を行ったこと。および、聖教会認定の治癒魔法に対する名誉毀損。弁明を許す」
私は立ち上がった。
右手の指を折る。
今回は、手術前ではない。
けれど、必要な集中は同じだ。
「治癒魔法は、術者のイメージに基づいて患者の肉体を再構成する技術です」
声を張る必要はなかった。広間の音響が声を拾ってくれる。
「つまり、術者が人体の内部構造を正しく理解していなければ、外見だけが修復され、内部は不正確な形で固定されます」
ノートの写しを広げ、査問官の前に差し出した。
「私が五年間にわたり観察した記録です。フォルテシア一族の治癒を受けた患者のうち、十二名に術後の異常所見を確認しました。骨の癒着、関節の変形、内臓組織の線維化。全て、外見上は治癒済みとされていた症例です」
広間が静まり返った。
「さらに、辺境の街グランメルで、巡回治癒師の治療後に同様の後遺症を抱える患者を複数確認しました。これはフォルテシア一族に限った問題ではなく、治癒魔法という技術体系そのものに内在する構造的な欠陥です」
データは正確だ。
症例数、症状の分類、発症までの期間。
全て、私が自分の目と手で確認した事実に基づいている。
査問官たちの顔を見た。
一人は眉をひそめ、資料に目を落としている。
一人は隣の査問官と小声で何か話している。
三人目は——傍聴席のカルディア公爵に、ちらりと視線を送った。
その動きを、私は見逃さなかった。
カルディア公爵が立ち上がった。
「余は傍聴人に過ぎぬが、一言申し上げる」
尊大な声が広間に響いた。
「フォルテシアの治癒は、王家にも認められた正統な技術である。百年の歴史を持つ。それを一介の追放令嬢が——しかも魔力を持たぬ者が——侮辱するなど、聞き捨てならぬ」
続いて、父が口を開いた。
「魔力ゼロの者が、治癒魔法の何を理解するというのか」
低く、硬い声。
書斎で聞いたのと同じ声だ。
「この者は資格もなく違法な治療行為を行い、その自己正当化のために治癒魔法を貶めている。データと称するものも、医学的な訓練を受けていない者の主観的観察に過ぎない」
主観的観察。
確かに、この世界には私の知識を証明する手段がない。
レントゲンもCTもない世界で、触診と問診だけで得た所見を「証拠」と認めさせるのは——難しい。
わかっていた。
査問官が協議し、結論を出した。
「証拠不十分。セレナ・フォルテシア(旧姓)に対し、王都および聖教会管轄地域における一切の治療行為を禁止する。辺境での行為については各領主の判断に委ねる」
封殺。
証拠を見てすらいない。三人目の査問官がカルディア公爵に視線を送った時点で、結論は決まっていたのだろう。
「……そうですか」
私はそれだけ答え、資料を鞄にしまった。
怒りはある。しかし、驚きはない。
予想の範囲内だ。
前世で医療裁判の証人席に立った時も、こうだった。
正しさは、それだけでは通らない。
退出する際、傍聴席の前を通った。
マリエルと目が合った。
妹の目に浮かんでいたのは、侮蔑ではなかった。
唇が薄く開いて、すぐに閉じた。何か言いかけて、やめた顔。
眉の角度が、ほんの少しだけ下がっている。
動揺。
確証はない。でも、二十二年間見てきた妹の顔だ。
あれは、マリエルが自分の感情を持て余している時の表情に似ていた。
広間を出た。
*
廊下を歩いていると、後ろから足音が近づいてきた。
速い足音。小走りだ。
「セレナ殿」
エドモンだった。
息を整えながら、私の前に立つ。
査問会の傍聴席にいたのだろうか。気づかなかった。
「あの記録を……もう一度、見せていただけませんか。個人的に、です」
金縁の眼鏡の奥の目が、まっすぐ私を見ていた。
「規則ですので」の人。
あの淡々とした声で法を盾にした人が、今は「個人的に」と言っている。
「グランメルで預かったノートは、聖教会に提出しました。しかし、その、写しを……」
言い淀んでいる。
この人にとって、これは規則の外に足を踏み出す行為なのだろう。
「お渡しします。読んでください」
鞄からノートの写しを取り出し、差し出した。
エドモンが受け取った。
今度は、手が震えていなかった。
「……ありがとうございます」
エドモンが頭を下げ、踵を返した。
その背中を見送りながら、私は思った。
査問会では負けた。
でも、種は蒔けた。
マリエルの動揺。
エドモンの変化。
この二つが、今日の収穫だ。
ルシアンが廊下の角で待っていた。
壁にもたれて、腕を組んで。
「散々だったな」
「ええ。でも、辺境での治療は禁止されていません」
「……あんた、タフだな」
「タフなんじゃありません。予想通りだっただけです」
ルシアンが鼻で笑った。
「じゃあ、グランメルに帰るか?」
私は少しだけ迷った。
帰る準備はできている。でも——何か、引っかかる。
マリエルの目。
あの動揺は、何を意味するのか。
「もう少しだけ、王都にいましょう。何か起きる気がします」
「勘か?」
「データに基づかない推測です。信頼度は低いですが」
「いいよ。俺は勘を信じる人間だ」
宿舎に戻る道すがら、王都の夕暮れが建物の影を長く伸ばしていた。
グランメルの月は大きかったが、王都の夕陽は鋭い。
石造りの街を、刃のように切り裂いている。




