表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「あなたの治癒魔法、後遺症だらけですよ?」 婚約破棄で追放された魔力ゼロの令嬢は、前世の外科医の知識で世界を変える  作者: 月代


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/10

第4話 メスが拓く道


 十日が経った。


 ユーリは順調に回復している。

 まだ腹部に痛みはあるが、食事を摂れるようになり、ベッドの上で本を読むまでになった。

 傷口の経過も良好。感染の兆候はない。

 蒸留酒による消毒が効いている。


 領主館の一角、東側の空き部屋二つを改装して「診療所」にした。

 一部屋が診察室。もう一部屋が処置室。

 壁を白い石灰で塗り直し、魔石灯を四つ設置した。

 リーゼが新たに作ってくれた器具が棚に並んでいる。

 メス三本、鉗子二本、縫合針のセット、金属製のピンセット。

 どれも前世の基準から見れば粗削りだが、十分に使える精度だった。


 噂は近隣の村にも広がったらしい。

 「グランメルに魔法を使わず治す女がいる」と。

 毎日、数人の患者が訪れるようになった。


 今日は、特別な日だ。


 診察室の椅子に、テオが座っている。

 赤毛のそばかす。右足を庇う座り方。

 十日前と変わらない。

 けれど、目が違う。

 あの「諦め」の色が、少しだけ薄くなっている気がした。


「テオ。手術の説明をします」


 私はテオの前に膝をつき、目線を合わせた。


「手術は痛みを伴います。ソムニカで眠っている間に行いますが、術後は腫れますし、しばらくは今より痛い。すぐには走れません。長い回復期間が必要です」


 嘘は言わない。

 子どもだからといって、ごまかさない。

 前世でも、小児の患者には年齢に合わせた言葉で、正確な情報を伝えていた。


「それでも、やりますか」


 テオが拳を握った。

 膝の上で、小さな拳が震えている。


「ぼく、もう一度走りたい」


 声が少し裏返った。


「大丈夫じゃなくてもいいから、本当のことを知りたい」


 大丈夫じゃなくてもいい。

 十日前、この子は「大丈夫、慣れてるから」と言っていた。

 その言葉を、この子は自分で手放した。


 目の奥が、少しだけ熱くなった。

 前世で何千人もの患者と向き合ってきたのに、十二歳の少年の一言で揺れる。


「わかりました。始めましょう」



    *



 処置室。

 テオを台の上に寝かせ、ソムニカの煎じ液を飲ませる。

 甘い薬草の匂いが広がった。

 テオの瞼が重くなり、数分で静かな寝息に変わる。


 手を洗い、蒸留酒をかける。

 メスを取り上げ、右手の指を折る。

 親指。人差し指。中指。薬指。小指。


 テオの右脛に刃を入れた。


 皮膚を切開し、筋膜を分ける。

 骨が見えた。

 やはり、触診の通りだ。

 脛骨の中央部で骨折が癒合しているが、外側に五度ほど角度がずれている。

 さらに骨折部の周囲で骨膜が異常増殖し、隣接する腓骨と癒着している。

 これが可動域を制限し、歩行時の痛みを生んでいた。


 癒着部分を、慎重に剥離していく。

 骨膜と骨膜の間にメスを入れ、一ミリずつ。

 ここを雑にやると、血管や神経を傷つける。


 手が止まった。


 突然、視界が暗くなった。

 ——違う。暗くなったのではない。

 記憶が、割り込んできた。


 前世の手術室。

 無影灯の白い光。

 心電図モニターの、甲高いアラーム音。

 八歳の男の子。先天性の心疾患。

 縫合の最後の一針で、心室壁が裂けた。

 出血が止まらなくなって——


 指が震えた。


 今ではない。ここではない。

 これは、過去だ。

 もう終わったことだ。


 深呼吸する。

 右手の指を折る。

 親指。


 あの子は、助けられなかった。


 人差し指。


 でも、今ここにいるのは、テオだ。


 中指。薬指。小指。


 震えが止まった。

 メスを握り直す。


 癒着の剥離を完了。

 次に、ずれた骨を正しい角度に矯正する。

 骨の変形部分をメスで薄く削り、軸を合わせる。

 リーゼが作ってくれた金属の副木を、骨の両側に当てて固定する。

 縫合糸で副木を骨膜に縛りつけ、動かないようにする。


 閉創。筋膜、皮下、皮膚を縫い合わせる。

 蒸留酒で清拭し、煮沸した布で包帯を巻いた。


 テオの足を見下ろす。

 包帯の下で、脛骨はまっすぐだ。

 あとは、骨がこの位置で癒合するのを待つ。


 ソムニカが切れるまで、もう少しかかるだろう。

 私は器具を洗いながら、テオの寝顔を見た。

 安らかな顔だった。

 術後の痛みはまだ知らない。目覚めたら、痛い。

 でもその痛みは、「治る痛み」だ。



    *



 テオが目を覚ました。


 最初に顔をしかめた。痛みだ。当然だ。

 しかし、次に自分の足を見た。

 包帯の上からでもわかる。脛のラインが、まっすぐになっている。


「ぼくの足……まっすぐだ……」


 声が掠れた。

 目から涙がこぼれ、頬を伝い、顎から落ちた。

 拭おうともしない。ただ、自分の足を見つめている。


「まだ走れませんよ」


 私はテオの横に椅子を引き、座った。


「ちゃんと治るまで、回復の訓練が必要です。焦ったら悪化します」


 テオが顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃの顔で、でも笑っている。


「でも、走れるようになるの?」


「走れるようになります」


 私の声は、少しだけ震えた。

 自分でも気づくくらい、小さく。

 テオは気づかなかっただろう。子どもは自分の涙でいっぱいだ。


 廊下にルシアンが立っていた。

 壁にもたれて、腕を組んで。

 こちらを見ている目が、少しだけ細くなった。


 何か言いかけて、やめたように見えた。

 代わりに、軽く頷いただけだった。



    *



 夕刻。


 テオを病室に移し、術後の経過観察の注意をルシアンに伝えていた時だった。

 館の正面から、馬車の音が聞こえた。


 窓から見ると、聖教会の紋章が入った馬車が門の前に止まっている。

 中から降りてきたのは、痩身の男だった。

 金縁の眼鏡。神経質そうな面差し。

 手に書類の束を持っている。


 ルシアンが顔をしかめた。


「聖教会の人間か。面倒なのが来たな」


 門番に案内され、男が診療所に入ってきた。

 部屋の中を一度見回し、棚の器具に目を留め、それから私を見た。


「セレナ殿ですね。私は聖教会治癒師監査局のエドモン・ラクロワと申します」


 慇懃な声。丁寧だが、温度がない。


「単刀直入に伺います。あなたは聖教会の認定治癒師資格をお持ちですか」


「持っていません」


「では、あなたがこの街で行っている行為は、法に触れます。無資格での治療行為は禁止されています。規則ですので、即刻治療行為を中止していただきます」


 規則ですので。

 その四文字が、壁のように立ちはだかった。


 ルシアンが一歩前に出た。


「待て。この街には治癒師がいない。彼女がいなければ、ここの住民は——」


「法は法です。例外を認めれば、制度が崩壊します。治癒師不在地域であっても、正式な報告が上がった以上、黙認するわけにはまいりません」


 エドモンの声は淡々としていた。

 怒りではない。使命感だ。

 この人は規則を信じている。規則が正しいと信じているから、揺るがない。


 前世にもいた。

 法令遵守を盾にして、現場の実情を見ない管理者。

 憎むべき相手ではない。ただ、壁だ。


「……監査官殿」


 私は一歩前に出た。


「一つだけ、お見せしたいものがあります」


 懐からノートを取り出そうとした。

 治癒魔法の後遺症を記録した、五年分の観察ノート。


 エドモンの目が、私の手元に向いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ