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「あなたの治癒魔法、後遺症だらけですよ?」 婚約破棄で追放された魔力ゼロの令嬢は、前世の外科医の知識で世界を変える  作者: 月代


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第2話 魔法が届かない街で


 七日間、馬車に揺られ続けた。


 石畳の街道は二日目で途切れ、あとはずっと土と砂利の道だった。

 背中が痛い。腰も痛い。

 前世でも当直明けの仮眠室のベッドは硬かったが、木の荷台よりはましだった。


 七日目の昼過ぎ。

 馬車が丘を越えたところで、灰色の城壁が見えた。


「あれがグランメルだよ、嬢ちゃん」


 隣の商人が顎で示す。

 古びた石の壁。所々が崩れ、修繕した跡がある。

 城門の前には荷車が数台並び、人の行き来があった。

 辺境とはいえ、交易の街だ。活気はある。


 馬車を降り、革鞄を肩にかけた。

 七日ぶりの地面は、やけに固く感じた。


 城門をくぐってすぐだった。


 道端に老人が座り込んでいた。

 白髪の、痩せた男だ。右腕を左手で押さえ、顔を歪めている。

 通りすがりの人々は、ちらりと見るだけで足を止めない。

 見慣れた光景なのだろう。


「治癒師さまに治してもらったはずなのに、まだ痛むんじゃ……」


 老人の呟きが、はっきりと聞こえた。


 足が止まった。

 止めたのではない。勝手に止まった。

 前世の癖だ。苦しんでいる患者を素通りできない。


「失礼します。腕を見せていただけますか」


 老人が顔を上げた。

 警戒と、わずかな期待が入り混じった目。


「あんた、治癒師かい」

「いいえ。ただ、少しだけ身体のことに詳しい者です」


 膝をついて、老人の右腕に触れた。

 前腕の中央あたり。皮膚の表面は滑らかだ。傷痕もない。

 治癒魔法で塞いだのだろう。見た目は完璧に「治って」いる。


 指先で押す。

 骨の輪郭をなぞる。

 尺骨の中央付近で、老人がびくりと身を引いた。


「痛い」

「ここですね」


 皮膚の下に、不自然な硬い突起がある。

 骨折の治療痕。外から見れば何もないが、内側で骨が正しく接合されていない。

 おそらく骨片が残っている。それが周囲の組織を圧迫し、慢性的な痛みを出している。


 前世なら、レントゲンを一枚撮ればすぐにわかる所見だ。

 この世界にレントゲンはない。

 けれど、触診でわかる。指先が覚えている。


「……どのくらい前に、治癒を受けましたか」

「二年前じゃよ。巡回の治癒師さまに、折れた骨を治してもらった。痛みは残ったが、見た目は治ったからと……」


 二年間、この痛みと暮らしてきたのか。


 私は立ち上がり、鞄を持ち直した。

 この場で処置はできない。器具と、清潔な環境が必要だ。


「もう少しだけ、お待ちいただけますか」



    *



 領主の館は、城壁の内側にある石造りの建物だった。

 豪華ではないが、堅牢だ。辺境の実用主義がそのまま形になっている。


 門番に用件を伝えると、意外にもすぐに通された。

 治癒師が来たと思われたのかもしれない。


 案内された広間で待っていたのは、黒髪の青年だった。

 日焼けした肌。左頬に古い刀傷がある。

 年齢は私より少し上だろうか。二十代半ばに見える。

 領主の椅子に座らず、窓際に立っていた。


「辺境の領主に何の用だ? 治癒師の紹介なら、何度も断られてる」


 開口一番がそれだった。

 敬語はない。砕けた口調。しかし敵意があるわけでもない。

 単に、期待することをやめた人間の声だ。


「治癒師ではありません」


 私は名乗った。セレナ、とだけ。旧姓は名乗らなかった。

 治癒師ではないが、病人を診ることができる。

 そう伝えると、青年――ルシアン・グランメルの目が細くなった。


「治癒師じゃないのに、病人を診る? どうやって」

「薬草と、器具と、この手で」

「魔法は?」

「使えません」


 沈黙。

 ルシアンが腕を組み、私を値踏みするように見た。


 それから、ふっと息を吐いた。


「で、どうする? まず何が必要だ?」


 拒絶ではなかった。

 条件をつけるでもなく、ただ「何が要る」と聞いてきた。

 この人は実用的だ。使えるものは使う。辺境の領主には、それが必要なのだろう。


「清潔な部屋を一つ。煮沸した布。蒸留酒。それと、明るい光」

「蒸留酒? 飲むのか?」

「消毒に使います」


 ルシアンが眉を上げたが、それ以上は聞かなかった。

 すぐに使用人に指示を出し、館の一室を用意させた。



    *



 その日の午後から、私は街の人々を診はじめた。


 ルシアンが声をかけてくれたらしく、体の不調を抱えた住民が次々と訪れた。

 一人ずつ、問診と触診を行う。


 共通点があった。


 全員が、過去に巡回治癒師の治療を受けている。

 骨折の治療後に関節がうまく曲がらない者。

 裂傷の治療後に皮膚の下にしこりが残っている者。

 腹の病を治してもらったのに、慢性的な腹痛が続いている者。


 外見は治っている。

 内側が、治っていない。


 治癒魔法は術者のイメージ通りに肉体を再構成する。

 つまり、術者が骨の正しい形を知らなければ、骨はずれたまま固定される。

 臓器の位置関係を理解していなければ、本来くっつかない組織同士が癒着する。

 見た目だけ傷口を塞いで、中に異物を閉じ込めてしまうこともある。


 この五年間、フォルテシア家で観察し続けた仮説が、ここでも裏づけられていく。


 治癒魔法は万能ではない。

 使う人間が人体を理解していなければ、治すどころか壊す。


 八人目の患者を診終えたところで、入口に影が立った。


 赤毛の少年。

 そばかすの浮いた頬。年は十二、三歳くらいだろうか。

 右足を引きずっている。

 松葉杖はない。痛みに慣れた歩き方だ。体の重心を左に預けて、右足への負荷を最小限にしている。無意識にそうしているのだろう。長い年月をかけて身についた代償動作だ。


「また新しい治癒師さま?」


 少年の声は明るかった。

 笑っている。しかし、目が笑っていない。

 正確には——目の奥に、諦めに似た色がある。

 何度も期待して、何度も裏切られた人間の目だ。

 前世の病院で、慢性疼痛の患者によく見た表情だった。


「治癒師ではありませんよ。名前を聞いてもいいですか」

「テオ」

「テオ。足を見せてもらえますか」

「……別にいいけど。ぼく、もう治してもらったから大丈夫。大丈夫、慣れてるから」


 大丈夫、慣れてるから。


 その言葉が、胸の奥に刺さった。

 前世で、当直が三日続いた時。同僚に大丈夫かと聞かれて、私も同じことを言っていた。

 大丈夫。慣れてるから。

 慣れているのは、痛みに鈍くなっただけだ。治ったわけじゃない。


 テオの右足に触れた。

 膝から下。脛骨の中央付近。

 指先に伝わる骨の輪郭が、左足と明らかに違う。

 骨折後の治癒魔法で、骨がずれたまま固まっている。

 さらに、折れた部分の周囲で骨同士が癒着し、関節の可動域を制限している。


「これは、治っていない」


 声を抑えたつもりだったが、テオの体がびくりと震えた。


「骨がずれたまま固まっています。だから痛い。だから足を引きずる。治癒魔法で表面は塞がったけれど、中は壊れたままです」


 テオの顔から、笑みが消えた。

 唇を噛んで、拳を握っている。

 怒りではない。

 たぶん、わかっていたのだ。自分でも。

 「治った」と言われたのに治っていないことを、この子は体で知っていた。


「今すぐは難しいけれど、直せる可能性があります。少し時間をください」


 テオは何も言わず、小さく頷いた。



    *



 夕方、最初の手術を行った。


 朝、街の入口で出会った老人だ。

 ルシアンが用意してくれた部屋に老人を寝かせ、蒸留酒で手と腕を消毒する。

 自作のメス——骨を削って作った刃を、蒸留酒に浸す。


 右前腕の、触診で特定した位置に刃を入れた。

 皮膚を切開し、筋膜を分けて骨に到達する。

 骨折の治療痕に、やはり骨片が残っていた。

 小指の先ほどの大きさ。これが神経を圧迫していた。


 骨片を慎重に除去し、周囲の組織を確認してから、縫合にかかった。


 手術の途中で、部屋の戸口に人影が立った。

 褐色の肌。短い髪。筋肉質の女性。

 腕組みをして、じっとこちらを見ている。


 ルシアンが呼んだのだろう。

 鍛冶師だと聞いていた。


 私は手を止めずに、縫合を続けた。

 最後の一針を結び、蒸留酒で清拭して、煮沸した布で包帯を巻いた。


 老人が目を開けた。

 恐る恐る、右腕を動かす。

 肘を曲げ、指を握り、手首を回す。


「……痛く、ない」


 老人の目から涙がこぼれた。

 二年間、毎日痛かった腕が、痛くない。


「魔法も使わずに……?」


 戸口の鍛冶師の女性が、低く呟いた。


「魔法ではありません。ただの処置です」


 私は血のついた手を洗いながら答えた。

 疲れている。七日間の馬車旅の直後に八人の診察と一件の手術。体が重い。


 それでも、老人が腕を動かして泣いている。

 その姿を見ていたら、口元が少しだけ緩んだ。


「あんた、面白い奴だな」


 鍛冶師が歩み寄ってきた。


「あたしはリーゼ。この街の鍛冶師。ルシアンの幼馴染。で、あんたが使ってたその刃物、骨削りだろ? もうちょっとましなもん作れるよ」


 そう言って、私のメスを手に取り、刃先を見つめた。


「こんな形の刃物、見たことないけど。あんたが設計図描けるなら、やってみなきゃわかんないだろ」


 設計図なら描ける。

 前世の手術器具の構造は、全て頭に入っている。


「お願いできますか」

「おう。仕事の依頼は大歓迎だ」


 リーゼが手を差し出した。

 私はまだ濡れた手で、その手を握り返した。


 ここに来てよかった。


 夜、用意された部屋のベッドに横になりながら、天井を見上げた。

 この街だけではない。

 この世界中で、同じことが起きているはずだ。

 治癒魔法で「治された」人々が、見えない後遺症に苦しんでいる。


 でも、まずはここからだ。

 目の前の患者から。


 右手の指を折る。

 親指。人差し指。中指。薬指。小指。


 明日は、リーゼに器具の設計図を渡そう。

 テオの足の、精密な治療計画も立てなければ。


 目を閉じる直前に、遠くで犬が吠えた。

 辺境の夜は、王都より静かだった。


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