09 森の遺跡
ジットリアは、グリフィンに騎乗したまま大狼が逃げ込んだ建物に近づいた。
「――古い遺跡? こんな森の奥に」
驚きつつ、廃墟のような建物を見上げる。
古い時代に建てられた聖堂のようで、最後に人が訪れてから、長い年月が経っているとうかがえた。石造りの外壁に刻まれた彫刻は風雨による損傷で原形をとどめていないし、周辺には雑草がはびこり、屋根から落ちたらしい石像の残骸があちこちに転がっている。
ラフォーク大狼の巣穴だろうかと、ジットリアは考える。
この場所まで、風下から距離をとって追ってきた。逃げた大狼が追跡に気づいていなかったとすれば、巣穴である可能性は高い。
あらためて建物を観察する。扉のない入り口は大きく、グリフィンに騎乗したまま入れそうであるが、暗がりに魔獣が隠れていることを考えると、立ち入るのはためらわれた。万が一を考え、慎重に行動した方がいいだろう。
だが、美しい主人のことを思うと、ジットリアの心に焦りが生まれた。
ケガをしたナターシャは、ジットリアが獲物の首を持ち帰るのを、今か今かと待ちわびているはずだ。早く獲物を仕留めて戻れば、きっとお喜びになるだろう。
建物のなかに入るより、獲物の方を追い出した方が効率的だ。建物の外壁に魔法攻撃を当て、驚いたラフォーク大狼が飛び出してきたところを仕留めよう。それなら、不意を突かれて襲われる心配はない。
乱暴なやり方だが迷っている時間がおしい。
方針を決めると、ジットリアは魔法の詠唱を始めた。
『我が左手にニレの弓、つがえる矢には水晶の鏃。我が敵を射貫ぬけ――氷の矢!』
水と風の精霊が集まって氷結し、ジットリアの周囲に氷の矢が次々とあらわれる。精霊の力を使い、空気中の水分を氷に変えて撃ち出す魔法で、矢の本数と、ひとつの矢の殺傷能力は自由に変えられる。威力を弱めた矢を無数に作り出したジットリアは、それを建物に向けて放った。
建物の壁に氷の矢が次々当たり、彫刻を削って砕け散る。石で築かれた建物自体はびくともしないが、聴覚のすぐれた大狼の耳に、攻撃されている音は届いているはずだ。
威力を強めた氷の矢を浮かべたジットリアは、息を詰め、大狼が飛び出してくるのにそなえた。
しかし、そこで思わぬことが起きた。
いち早く危険を察したグリフィンが、ジットリアの命令を無視して上昇する。バランスを崩したジットリアは、あわててグリフィンの首にしがみついた
ピシッと言う不穏な音を聞き、地上に目を向けたジットリアは、建物の外壁に大きな亀裂が走るのを見た。割れた壁は建物を支えきれず、轟音を響かせながら全体が崩れ始める。土煙を上げながら屋根が落ち、壁が砕けて雪崩となり、みるみる建物の形が失われて行く。ややあって土煙が風に流されると、そこには、うずたかく積もった瓦礫の山だけが残されていた。
「そんな……」
ジットリアは、呆然とつぶやいた。
ジットリアが魔法を発してから、ほんの数秒の出来事だった。地上にある瓦礫の山が、少し前まで建物の形をしていたとは、崩れる様子を見ていたジットリアでさえ信じられない。だが、確かに目の前で起こったことなのだ。
轟音に驚いた鳥達が飛び立ち、抗議するように鳴きながら空を巡っている。鳴き声に耳を澄ませる内、ジットリアは次第に落ち着きを取り戻した。
「……手抜き工事……だったのかしら?」
父が生活費をくれず、自分で屋敷の修繕をしていたジットリアは、自然と建築技術にくわしくなった。この建物を施工した者達はおそらく、石を固定させるための練り砂の配合を間違えたか、余分な混ぜ物をしたのだろう。そうでなければ、石造りの建物がこうも簡単に崩れ落ちるはずがない。
それはともかく、
「あ……ああ!」
ジットリアは真っ青になると、両手で頭を抱えた。
「……ナターシャ様に怒られる!」
建物が崩れ落ちる前に、ラフォーク大狼が逃げた様子はなかった。
崩壊に巻き込まれ、大量の瓦礫に押し潰されたに違いない。瓦礫を全部どかすのは現実的ではないし、仮にできたとして魔獣は無残な姿と成り果てている。ナターシャの元に、大狼の首を持ち帰るのはどう考えても不可能だ。
蒼白の顔色のまま、ジットリアは主人であるナターシャの元へ戻った。半泣きになって事の次第を報告すると、ナターシャは残念そうにしながらもジットリアを許した。
「でも、ちょっとまずいことがあるのですわ」
眉をひそめつつナターシャが言い、ジットリアは青い顔を上げた。
「まっ、まずいこと、でしょうか?」
「あの辺りは、たしかアデリス国の領土だったはずですわ。獲物を追っていて気付かなかったとはいえ、アデリス国の建物を破壊したのはまずいのですわ」
ナターシャの言葉を聞き、ジットリアは気が遠のきかけた。
アデリス国は、スレーン国と国境を接する軍事国家だ。どちらの国にも領土を広げる意思がなく、穏便な無視とも言える関係が長く続いているが、平和条約を結んでいない以上、二国間で戦争が起きる可能性がないとは言えない。
「こんな森の奥ですもの。誰にも見られなかったことを、神に祈るよりありませんわ。もしも、たとえば、万が一、誰かに見られでもしていたら――」
そう言うとナターシャは、青ざめたのを通り越して白くなっているジットリアに流し目を送る。ナターシャの冷たい視線は、もし見られていたら、その時は覚悟するようにと言外に語っていた。




