10 逃げません
ジットリアを連れた騎馬隊は森を進み、やがて野営地が見えてきた。
まばらな林の間に天幕が張られ、あちこちで篝火が炎を上げている。どこかで夕食の調理をしているようで、肉の焼かれる香ばしい匂いがただよってくると、ジットリアは空腹のあまり胃が痛むのを感じた。
スレーン国で囚われてから、何週間もパンと水しか口にしていない。空腹に慣れているジットリアも、そろそろ目を回しそうだった。
ルークに案内され、野営地の中心近くにある天幕に入った。
床はむき出しの土で、寝台やテーブル、水瓶や日用品など、生活に必要なものは一通り用意されている。着替えは見当たらなかったが、ジットリアの立場を考えれば、かなり贅沢な宿泊所と言えた。スレーン国での移動中は寝藁をしいた檻の中で過ごし、宿の水場を使わせてもらえても、宿の寝台で眠ることは許されなかったからだ。
椅子に座るよう言われ、つけていた足枷を長い鎖のついた別の足枷と取り替えられた。長い鎖の両端に大小の輪がついており、小さな輪はジットリアの左足に、反対側の大きな輪は、天幕を支えている真ん中の柱に嵌められた。
足枷を替え終えたところで、入り口の布を上げてレネスが入ってきた。兜と籠手を脱いでおり、黒い服の上に胴鎧だけをつけている。ルークが出て行くと、レネスがジットリアに顔を向けた。
「私の部下に女性はいない。身の回りのことは自分でできるな?」
ジットリアは、立ち上がると天幕の中を一周した。
足枷の鎖が邪魔であるものの、十分な長さがあるので、天幕のなかを立ち歩くのは問題ない。手枷の鎖も肩幅ほどの長さがあり、身の回りのことは自分で出来そうだ。
「あいようぶえす」
もごもご答えると、レネスが片方の眉を上げた。
「すまない。忘れていた」
ジットリアの背後に回ると、口枷にした布の結び目をほどき始めた。
このまま夜を過ごすのかと心配していたので、レネスが気づいてくれてジットリアはほっとする。ルークは行ってしまったし、手枷をつけたまま、頭の後ろにある結び目をほどくのは大仕事だ。
「ありがとうございます」
レネスは、ほどいた布を近くのテーブルに置いた。
「念を押すまでもないと思うが、外には見張りの兵がいる。それに、無理に外へ出ようとすれば、天幕ごと押しつぶされるのを忘れるな」
天幕の柱を破壊すれば、ジットリアは足枷の輪を抜いて自由になれる。しかし、支えを失った天幕がかぶさってきて、たちまち兵達に取り囲まれるだろう。だが、そんなに上手く行くだろうか。
野営地を横切る時に見た、天幕の設営作業をジットリアは思い出す。木の骨組みの上から大きな布をかけ、その上からロープを渡し、ロープの端を地面に刺した鉄の杭に結びつけて天幕を固定していた。
「どうした?」
怪訝そうにレネスが尋ねた。
ジットリアは支柱のひとつに近づくと、しゃがみこんで根元の土を掘り返した。予想通り、浅く埋めているだけの根元がすぐに見えてくる。天幕で押さえているから動かないだけで、柱自体が固定されているわけではない。
「――ここ」
ジットリアは、露出させた支柱の根元を指さした。
「もっと深くまで、地面に埋めた方がいいと思います。風の魔法を使える者であれば、天幕を吹き飛ばして足枷を柱から外せますし、ついでに野営地の篝火を吹き消して、あたりを真っ暗にすることもできます」
支柱の根元を示しつつ、ジットリアが言う。かがみこんだレネスは、支柱の状態を確認してからジットリアに目を向けた。
「飛ばされないためには、どれくらい深さがあればいい?」
ジットリアは少し思案した。
「……そうですね、男性が体当たりしても倒れない程度に。それが出来ないのであれば、地面に刺した杭ではなく、重い砂袋をロープに結びつけて天幕を固定するという方法もあります。地面に刺した杭は、雨に降られたら簡単に抜けてしまいますが、砂袋なら天候に左右されません」
説明しながら、ジットリアは手についた土をはたき落とした。精霊魔法の使い手であるジットリアは、雨に頼らなくても地面を水浸しにできる。だが、砂袋の重しをされたら、天幕を吹き飛ばすのは格段にむずかしくなるだろう。
背を起こしたレネスが、ジットリアを見下ろした。
「野営地を通る間に、それだけのことを観察したのか?」
「観察というか、何となく目に入って――」
「これなら魔法で吹き飛ばし、簡単に逃げられると?」
腕組みをしたレネスが、刺々しい声で返す。
考えただけで、実行する気はありません。そう答えようとして、ジットリアは我に返った。
ゆっくり立ち上がり、ばつの悪い思いをしながらレネスの方をうかがうと、険しい顔と目が合った。当たり前だろう。連れてきた虜囚が、こんな場所からは簡単に逃げ出せると得意げに語っていたのだ。
ジットリアは、あわてながら否定した。
「私は逃げません。と言っても、信じていただくのは難しいでしょうが」
「そうだな。あなたの言葉をそのまま信じるような愚か者は、ここではルークくらいのものだ」
そう言うと、レネスは片手で髪を梳き上げた。
まっすぐの黒髪が流れ落ちるのを見て、ジットリアはうらやましくなる。馬のたてがみと同じような感触だろうかと想像し、触ってみたくてうずうずした。ジットリアの髪は手に負えないくせっ毛で、どれだけブラシでとかしても大人しくならないのだ。
レネスの髪に見とれていたジットリアは、はっとすると口を開いた。
「私は、自分が犯した罪をつぐなうつもりです」
「だったら、逃げる方法など考えないことだ。あなたの技術的な意見には感謝する。今度、会議の題材にあげて見当することにしよう」
きびきびと答える声を聞いて、怒られずにすんだとジットリアは胸をなでおろす。レネスは、何か思い出した表情をするとジットリアに近づいた。
「口を開けてみろ」
「? はい」
自害用の毒を歯に仕込んでいないか、確認したいのだろう。そう理解して、ジットリアは素直に口を開けた。レネスが、前にしたようにジットリアの顎を片手でつかんで上向かせる。ただし、今のレネスは手袋をしていない。
温かい手が肌に触れる感触に、ジットリアは驚いて目を見開いた。
「――!」
反射的に口を閉じかけるが、頬の外側から歯列を固定され、強制的に閉じられないようにされた。
頬のケガにレネスの指が食い込み、ジットリアは痛みで飛び上がりそうになる。自由にしゃべることができたら「痛い!」と叫ぶところだが、言葉が発せない上、レネスの手を振りほどくこともできなかった。
ジットリアの状態に気付いているだろうに、身をかがめたレネスは、そ知らぬ顔で口の中を確認し始める。のぞきこんだまま口を開いた。
「やはり、頬の内側を切っているな。体のケガは、これだけか?」
「……」
顎を押さえられているので、ジットリアは返答できない。涙目になってうったえかけると、レネスが指の力をゆるめた。
「あの、痛いので触らないでいただけると……」
「あなたが大人しくしていないからだ」
そちらが悪いといった態度で、レネスは取り合わない。険しい表情になると、さらに尋ねた。
「自害用の毒も仕込んでいないな?」
「仕込んでいません。他にケガもありません。痛いので離してください」
レネスが手を離すと、ジットリアは急いで距離をとった。
クレアモントに殴られたのは、頬だけではない。頭をかばった際、両腕も容赦なく杖で殴られていたが、レネスに言うつもりはなかった。腕の痣は長袖で隠れるし、服の上から打たれたせいか、頬のケガより痛みは少なかったからだ。
ジットリアは横を向くと、ずきずき痛む左頬に手をやった。天幕の中に鏡はないようだが、なくて幸いだと考える。きっと、ひどい顔をしているだろう。




