56 塔の番人
医務室をあとにしたジットリアは、エドガーとナイルズに付き添われて星見の塔へ戻った。
要塞の端に建つ古びたこの塔は、上階に鉄格子付きの部屋を備え、王政時代は貴人の軟禁場所として、今はジットリアの拘禁場所として使用されている。
裁判を待つ身であるジットリアは、拘置所に入るのが本来の姿であるが、拘置所は人の出入りが多く、過激派に命を狙われるジットリアの安全を確保できないという理由でここに身を置くことになった。
塔の一階には兵達の詰め所があり、ジットリアの監視と警護を任された衛兵達が昼夜を問わず詰めている。暗赤色の制服の上から、鉄製の胴鎧と籠手、鉄靴とすね当てを身に着け、腰に剣を下げた姿で不定期に塔を巡回していた。
しかし、囚人の監視を任された衛兵達は、ジットリアに対して悪意があるようだ。夜の巡回では、大騒ぎをしてジットリアの睡眠を妨害し、食事がのったトレーは乱暴に足で押し入れる。飲み物のコップが倒れ、こぼれた料理が飲み物の海に沈むので、ジットリアが口にできるのは皿の上に残ったわずかな量だけだった。
三人が星見の塔に入ると、詰め所の方から下品な笑い声が聞こえてきた。見れば、テーブルの上に絵札と硬貨が散らばり、それをかこんで衛兵達が賑やかな声を上げている。監視対象であるジットリアが不在の間、賭け事で暇をつぶしていたらしい。
ナイルズが咳払いをすると、衛兵達の声がぴたりと止んだ。テーブルの上を素早く片付け、何食わぬ顔で詰め所の外へ出てくる。通り過ぎるジットリアを睨みつけていたが、姿が見えなくなると、またぞろぞろと詰め所へ戻って行った。
「あなたが憎いというより、こんなつまらない場所に配置されたことが不満なんでしょうね。ああいう連中だから、誰もやりたがらない仕事を押しつけられるんですよ」
塔の階段をのぼりながらエドガーが言った。体力のないジットリアに合わせて、歩調はゆっくりしている。
「そええも、わたいのせいにはちあいあいまへん」
口枷をしたまま、それでも私のせいには違いないとジットリアは言う。拘置所があるならそこでかまわないし、その方が気が楽なのだが、ジットリアが暗殺されるとレネスが困ることになる。
「何を言っているのかわかりません」
つんとしてエドガーが言い、ナイルズが頭をかいた。
「ルークがいないと不便だな」
「……みゃことに、もうひわけごじゃいまへん」
「あいつら、牢の鍵はどうしてるんだ?」
詰め所の方に親指を向けて、ナイルズが聞いた。
ジットリアは返事ができないので、尋ねている相手はエドガーだろう。ジットリアの手枷と牢の鍵は、今はナイルズが持っており、状況に応じてエドガー、ルークの間でやりとりされている。エドガーが答えた。
「前は持ち歩いていましたが、毒蜘蛛の件があってからは、詰め所にある保管箱に入れられています。箱の蓋が開くと、上官のライゼルに報告が行く仕組みなので、連中が忍び込んで何かすることはできません」
エドガーの説明を聞いて、ジットリアは安心した。ライゼルに会ったことはないが、何かあるたびにレネスが名指しするので名前は覚えていた。レネスと同じ指揮官で、衛兵隊の責任者をしている人物だ。
エドガーが鼻で笑った。
「まあ、寝込みを襲ったところで、ジットリア嬢に八つ裂きにされるだけですけどね」
「違いない」
「おふたあとも、わたいをふぉんなめえみていたんえすか……」
エドガーだけならまだしも、ナイルズまで。ジットリアはショックを受けたが、ルークがいないために伝えることはできなかった。
エドガーとナイルズを見送ったジットリアは、チェストの引き出しから手鏡を取り出すと、前髪を上げて髪の根元に目を凝らした。薬の効果が現れるとしたら、頭皮に近い場所からだろうと思ったのだが、今のところ何の変化も見られない。
ジットリアが口にした薬は試験的に調合したもので、効くか効かないかは、まだわからない。もし効いたとしても、薬の効果が出るまで半日くらいかかるとミリアンが言っていた。結果を知るには、やはり明日の朝まで待たなくてはいけないようだ。
手鏡を戻したジットリアは、胸に手を当てると深呼吸をした。窓の外は明るく、夕食が運ばれてくるまで時間がある。日が落ちる前に、済ませてしまいたいことがあった。
ジットリアは、ウォード卿がいつも背にしている壁の前に立ち止まった。
「ウォード卿、そこにいますか?」
体の前で手を重ねると、何もない壁に向かって呼びかける。
そこに見えない入り口でもあるかのように、壁の中からウォード卿が歩み出てきた。その姿は半透明で、落ちくぼんだ目に痩けた頬という亡霊らしい見た目をしている。呼びつけられたことが不満らしく、舌を鳴らすとジットリアを見下ろした。
「気軽に呼ぶな小娘。考え直して、名前を取り消す気になったか?」
昨夜、ウォード卿は牢から出る方法を教えてやるとジットリアに持ちかけ、見返りとして、ウォード卿という名を取り消すことを要求した。
ウォード卿というのは、亡霊の本当の名前ではない。強力な亡霊から呪われるのを防ぐため、ジットリアがつけた仮の名前だ。聞き囓った死霊術の知識によれば、霊の名前を縛れば、魂までも縛られると言う。
その名前は、ジットリアが思った以上に亡霊を縛りつけているようだ。呼べば出てくるし、本人が偽りの名を否定しようとしてもできない。少しは気の毒に思うものの、亡霊に気を許して呪われるわけにはいかなかった。
ジットリアは、背を正すとウォード卿と対峙した。
「取り消しません。そのことで、お尋ねしたいことがあります」




