57 ウォード卿
ウォード卿は悪い亡霊ではないようだが、それでも亡霊は亡霊だ。強い恨みや未練から、安らかな眠りにつくことを拒み、この世に留まり続けている強情な人間である。ジットリアが隙を見せれば、善良の仮面を脱ぎ捨て、突然襲いかかってくるかもしれない。
ウォード卿と向き合ったジットリアは、心を強く持つと顎を上げた。
「昨日の夜、部屋の中をくまなく探しましたが、それらしい仕掛けを見つけることはできませんでした。確認して聞くのですが、どこも壊さずに、この牢から出る方法が本当にあるのですね?」
「ふふん。引っかけようとしても無駄だぞ」
嘲笑ってウォード卿が言った。
「証拠を見せろと言って、情報を引き出そうという腹だろう。そうは行くものか」
「確認だと言いました。騙されているとは思っていません」
用心しつつジットリアは答えた。
自信満々の亡霊の様子から、抜け口があるのは確実のようだ。ウォード卿の言葉を信じるなら、衛兵達に気づかれることなく、牢の外へ出られる方法があると言う。ジットリアは、息を吐くと口を開いた。
「では、お尋ねします。この牢には秘密の抜け口があり、あなたは牢から出る方法をご存じでした。それなのに、あなたはなぜ逃げなかったのですか?」
それは、牢の抜け口を探しながら、真夜中すぎまで考えていたことだ。
この牢には秘密の仕掛けがあり、ウォード卿は牢から出る方法を知っていた。ウォード卿がその方法を教わったのは、生前、この塔に囚われていた頃のことだろう。今のやつれ果てた姿からして、牢生活は長かったはずだ。協力者がいて、脱出する機会もあったのに、ウォード卿はなぜか逃げなかった。
ウォード卿は、奇妙なものを見るような目でジットリアを見た。
「馬鹿なことを。それはお前だとて同じではないか」
「私が牢から出たいと思ったのは、ラフォーク大狼の治療を手伝いたかったからで、逃亡するためではありません。目的さえ果たせば、気づかれない内に戻ってくるつもりでした」
計画を想像してみたものの、万が一しくじれば、レネスに多大な迷惑をかけることになる。命を助けてもらったも同然の恩人なのに、不義理なまねはできないと断念した。
「私に逃げる意思はありません。裁判の場で罪を告白し、この国に混乱をもたらしたことを謝罪するつもりです。ですが、あなたは……あなたには、おそらく罪の意識はなかったはずです」
そう言って、ジットリアはウォード卿を見る。塔の亡霊は、わけがわからないという顔で顎をこすった。
「たかだか十数年生きただけの小娘が、私の何を知ると言うのだ?」
「詳しいことは何も。ですが、あなたのせいで大勢の人々が苦しんだことは知っています」
ジットリアの言葉に、ウォード卿が眉をひそめる。戸惑うような表情を見て、ジットリアは言うか言うまいかを迷った。
短気で口が悪いものの、ウォード卿は毒蜘蛛の罠を教えてくれ、エベル寺院の破壊と、その下敷きになったラフォーク大狼の治療をしたいと言うジットリアの話を辛抱強く聞いてくれた。平穏な今の関係を、ジットリアの一言が壊してしまうかもしれない。
少しためらったのち、ジットリアは思い切って口を開いた。
「――ウォード卿。いえ、本当の名前でお呼びしましょう。ケフラー・イスディル・アンガラン。処刑されるとわかっていたのに、あなたはどうして逃げなかったのですか?」
その名前をジットリアが口にした途端、ウォード卿は驚愕の表情を浮かべた。唖然として目を見開き、口を動かしたものの、否定の言葉も肯定の言葉も出てこない様子だ。やがて、しぼり出すような声で言った。
「なぜだ……どうして、私だとわかった?」
ウォード卿が認めるのを聞いて、ジットリアはひそかに息をのんだ。
それは、昨夜思いついたことだった。尊大な態度に豪華な貴族服、かたくなに自分の名前を言わないことや、強い未練を残して死んだことから、亡霊の正体が最後の王ではないかと疑った。疑ってはいたが、しかし確信があるわけではなかった。
アデリス国の民はかつて、アンガランの名を持つ王族を神の遣いと信じ、その王をあがめてきた。しかし、玉座についたケフラー王は、周辺諸国に対して無謀な侵略戦争を開始し、国が荒廃してもなお、戦争をやめようとはしなかった。王を見限ると決めた軍はクーデターを起こし、ケフラー王を捕らえてエベル寺院へ幽閉した。その最後の王の魂が、今、目の前に立っている。
「まあ。本当にケフラー王なんですね……」
思わず口を滑らせると、嵌められたことに気づいたウォード卿が激怒した。
「小娘が! この私をだましたな!」
「あなたが自分で認めたんです。人のせいにしないでください」
ウォード卿が否定していれば、ジットリアも思い違いだったと納得したはずだ。だが、ウォード卿はあっさり自分の正体を認めてしまった。怒りに震えるウォード卿を見て、ジットリアは少し可哀想に思った。
「私でよければ、お話を聞きますが……」
「うるさい! うるさい! うるさい! うるさい!」
ジットリアの言葉をさえぎるように、ウォード卿が怒鳴り散らす。だが、どれほど激怒したところで、名を縛られた亡霊が主人を害することはできない。
ジットリアは、息をつくと目を閉じた。悪政によって民衆を苦しめたとは言え、ケフラー王は人知れず処刑され、血縁の王族達も皆殺しにされた。悪行に対する報いは受けたというのに、死んだあとまで囚われ続けているのはさすがに不憫だ。
目を開けると、ジットリアは静かに話し出した。
「裁判を受けるために、私はいずれ塔を出ます。判決次第では、ここへ戻ってくることは二度とないでしょう。その前に、あなたをこの塔に縛りつけているものから、解放して差し上げたいんです。あなたのことがわかれば、自由になる方法も見つけられるかもしれません」
ウォード卿は、疑いの目を向けている。ぎりぎりと歯ぎしりをしながら、器用に声をしぼり出した。
「何が解放して差し上げたいだ! 小娘のお節介など求めておらんわ!」
「天国へ行きたいと思わないのですか? 生前の行いを考えると、ちょっと難しいかもわかりませんが……」
「この私が地獄に落ちると言うのか!」
「それについては、あなたの心がけ次第だと思います」
そう答えてから、気づいてはっとする。
「地獄に行くのが怖くて、それでこの世に留まっているのですか?」
「いらんお世話だ! 天国も地獄も信じておらん!」
ますます激怒するウォード卿を見て、ジットリアはため息をついた。悪気はなかったのだが、話せば話すほど火に油をそそいでいるようだ。
「……わかりました。ここに居たいのであれば、あなたの意思を尊重します」
ウォード卿を解放する手伝いができればと思ったのだが、本人が現状維持を望んでいる以上、ジットリアにできることは何もない。
「ですが、私がここを出る前には……」
ジットリアが言いかけた時、衛兵の鉄靴が階段を上がってくる足音がした。
もうそんな時刻かと思い、ジットリアは鉄格子の方に目を向ける。やってきた二人の衛兵が、へらへら笑いながら夕食のトレーを持っているのを見ると、また嫌がらせをするつもりかと、ため息が出そうになった。




