53 もっともな疑問
戸惑いながら、ジットリアは口を閉じた
自分のこと、それも重要なことであるのに、何も思い出せない。
レネスの言う通り、悪評のある下級貴族が王族の護衛官に選ばれるなど、まずあり得ないことだ。王女付の護衛官ともなれば、王族と近しい血統を持つだけでなく、王女に劣らぬ高い知性と品格を求められる。ジットリアは何ひとつ条件を満たしていない。
その資格がないにもかかわらず、高い身分の合格者達をさしおいてジットリアは選ばれた。レネスが疑問に感じたように、ジットリアも疑問に思うべきだったが、今の今まで不思議に思ったことは一度もなかった。
「……すみません。わかりません」
小さな声で答えると、レネスが軽く眉をひそめた。
「わからない?」
「……はい。わかりません」
「心当たりもなく、誰かに理由を尋ねたこともない?」
「……誰にも尋ねませんでした」
「なぜ選ばれたのか、一度も疑問に思わなかったと言うのか?」
不思議そうな顔で尋ねられると、ジットリアは怯んだ。
レネスが答えを求めるのも無理はない。ジットリア自身でさえ、なぜ護衛官になれたのか不思議に思うくらいなのだ。しかし、あらためて指摘されるまで、おかしいと感じたことは一度もなかった。護衛官だった頃のことを思い返してみても、まるで夢の中の出来事のようで、夢であるなら突飛な出来事が起ころうと、「なぜ?」とか「どうして?」とは考えない。
「……はい。なぜでしょう?」
「男爵令嬢。聞いているのは私の方だ」
「そうですよね……」
こめかみに指を当て、どうにか答えを出そうと頭を絞る。書記官のペンの音はとうに止まり、椅子の背にもたれたレネスは、急かす様子もなく気長に待っている。ジットリアは、考えをまとめると答えた。
「……おそらく、試験官の誰かが私の努力を認めてくださって、それで身分を問わずに選ばれたのだろうと……そう考えたのだろうと思います。厳しい修行をやり遂げたご褒美のように感じて、それで……少しも疑問に思わなかったのだろうと……」
「選ばれて当然と思ったから、理由など考えなかった」
「――おっしゃる通りです」
そうとしか答えようがないのが、ジットリア自身もどかしかった。
宮廷魔術師の合格の読み上げを聞いた時のことは、はっきり覚えている。
まだ未熟な自分がという信じられない思いと、厳しい修行を耐え抜いたのだから当然だという矛盾した思い。自分に務まるだろうかという不安と、これから新しい人生が始まるのだという期待と喜び。帰り道では足元がふわふわし、目に映るものすべてが輝いて見えた。
だが、ナターシャ王女の護衛官に選ばれた時のことは。
どれだけ思い出そうとしても、何ひとつ思い出せなかった。
「深刻に受け止める必要はないと思いますよ? 浮かれすぎていて、忘れてしまったというだけでしょう。酒も飲まずに酩酊するとは、もはや卓越した技能だと思います。酒代を浮かせたいので、ぜひとも技を伝授していただきたい」
医務室でミリアンを待つ間に、エドガーがそう言ってジットリアをなぐさめた。同情する風をよそおっているが、ジットリアを小馬鹿にしているのは疑いようがない。
聴取は午前中で終わり、星見の塔へ戻る前にミリアンの所へ寄るよう言われた。
付き添いはエドガーとナイルズで、ミリアンが不在であったため、ナイルズが心当たりを探しに出かけた。手枷と口枷は外してもらったが、医務室の扉はナイルズが外から施錠している。ジットリアの逃亡をふせぐと同時に、その命を狙う者からジットリアを守るためである。
「……そうですね。浮かれすぎて、忘れてしまったのかもしれません」
ジットリアは、しぶしぶ認めた。
父親であるエスリル男爵は病気の妻を見捨てた悪評持ちで、酒と賭博で男爵家の財産を日々食い潰している。そんな男爵家の娘が、王女の護衛官に任じられたのだ。驚いたあまり、記憶が飛んでしまったとしても仕方がない。
それにしても、指摘されるまで疑問に思わなかったのは、自分のことながら信じられない。信じられないものの、実際に一度も疑問に思わなかったのだから、浮かれすぎて失念してしまったと考えるしかなかった。
「護衛官に落ちた魔術師から、嫌味とか言われなかったんですか?」
「……記憶にありません」
「鈍くて気づかなかっただけなのでは?」
そう言うと、エドガーはへっと言って笑う。鈍いという言葉が引っかかり、ジットリアは眉をひそめた。
「宮廷魔術師になるには魔術の能力だけではなく、その地位にふさわしい品格も求められます。気に入らないから悪口を言うとか、子供じみたことをする人はいません」
ジットリアが言い返すと、エドガーはおやっという風に目を見張った。
「今日は、どうも怒りっぽいようですね。変なものでも拾い食いしたんじゃないですか?」
「エドガーさんが、失礼なことばかりおっしゃるせいです!」
「ほら、やはり怒りっぽい」
怒らせているのは誰かと言いかけた所で、医務室の扉が開いてミリアンとナイルズが入ってきた。ミリアンは手ぶらで、ナイルズは大きな鞄を腕に抱えている。
ジットリアは、椅子から立ち上がるとミリアンに挨拶をした。
「ミリアン先生。お忙しいところを申し訳ありません」
ミリアンの年齢は六十代ほどで、長い髪を首の後ろでまとめ、ゆったりした白い制服を身につけている。士官専属の医務官であり、本来であればジットリアのような罪人を診る立場にないが、レネスの頼みを聞き入れ、特別に診察を引き受けてくれていた。
足を止めたミリアンは、ジットリアに微笑みかけた。
「遅れてしまって、ごめんなさい。依頼していた薬が出来上がるころだと思い出して、薬剤部まで取りに行っていたの。ナイルズ、私の鞄をテーブルに置いてちょうだい」
「鞄の中身を減らしちゃどうです? そのうち腰をやられますよ」
「あら平気よ。私が持つわけじゃないもの」
きびきび言ってテーブルを指さす。ナイルズが重そうに鞄を置くと、ミリアンは鞄を開いて中を探し始めた。医療器具を入れているらしく、金属やガラスの当たる音がかちゃかちゃと鳴る。
エドガーが、好奇心を隠せない様子でミリアンに近づいた。
「先生。依頼した薬というのは、こちらのご令嬢のものでしょうか?」
「ええそうよ。ちょっと珍しい成分だから心配だったのだけど、何とかなったみたいでよかったわ。ああ、見つけた」
ラベルのついた小瓶を取り出したミリアンは、それを誇らしげに頭上に掲げる。半透明の瓶のなかで、水のような液体が揺れていた。
ジットリアは息を呑み、腕を上げると黄色の髪に手をやった。
眠る前まではいつも通りの色だったのに、朝目覚めると真っ黄色になっていた長い髪。心当たりはまったくなく、何かの病気に違いないとおびえていた。ミリアンの言葉からすると、特別な薬が必要なほどの奇病であったようだ。
ジットリアは、覚悟を決めると口を開いた。
「ミリアン先生。私は、何の病気にかかっているのでしょうか?」




