52 宮廷魔術師
書記官の机の横に立ったまま、ジットリアは困惑の表情を浮かべた。レネスはどうやら、あのハンカチをニコラへの賄賂と見なしたようだ。
「高価な品物ではありません。ただのハンカチです」
「金銭的な価値は問題ではない。私の言葉を無視して席を離れ、書記官に私物を与えた行為を問題視している」
「その言い方は、少し大げさではないでしょうか……」
もごもごとジットリアは言う。同じ部屋に泣いている子供がいるのに、放置して身の上話を続ける方が、よっぽど問題ではないだろうか。そう考えたものの、ニコラに失礼だろうと口をつぐんだ。
「大げさではない。あなたが書記官を懐柔し、記録を書き換える手伝いをさせないと、どうして言い切れる?」
レネスは頑として主張を変えない。納得が行かないジットリアは、両手を握りしめると口を開いた。
「――確かに、勝手な行動をつつしむと申し上げました。ですが、泣いている方にハンカチを渡すことまで咎められるのは、どうしても納得が行きません。それさえ駄目だとおっしゃるなら、最初から椅子に縛り付けて――」
おけばいいではないですかと続けようとして、ジットリアは視線を感じて口を閉じる。レネスの背後、細く開けた窓から、室内をのぞいているエドガーと目が合った。
窓枠から半分顔をのぞかせたエドガーは、気持ちの悪いにやにや笑いを浮かべている。そうして、かすかな物音に視線を転じれば、ニコラが申し訳なさそうな顔でペンを走らせていた。今のやりとりを書き留めているのだと気づいて、ジットリアはさあっと青くなった。
テーブルに片腕を置いたレネスが、あきれた声を出した。
「椅子に縛り付けて欲しいのか?」
「いいえ! 勝手に歩き回ったりいたしません!」
「理解が得られて幸いだ。エドガー、外を警戒しろ」
振り向きもせずにレネスが言い、エドガーはにやにやしたまま窓に背を向ける。席に戻ったジットリアは、力無くうなだれた。あとでレネスに、書記官の机の引き出しにハンカチを常備してはどうかと提案しようと心に留めた。
「母親は亡くなり、父親であるエスリル男爵は屋敷に帰らなくなった。しかし、あなたはまだ十歳の子供だ。生活の面倒は誰が?」
事務的な口調でレネスに尋ねられたので、ジットリアはほっとした。あとで蒸し返されるかもしれないが、いったんハンカチの件を責めるのはやめたようだ。
「親族からは縁を切られましたが、昔からいる使用人が何名か残ってくれました。ですが、父が自堕落な生活をあらためない限り、男爵家の財産が底を突くのは時間の問題です。それを踏まえて、私には二つの選択肢がありました。生活を保障してくださる男性と結婚するか、それとも自分で自分の食い扶持を稼ぐかです」
「それで、あなたは自立する道を選んだ」
確認してレネスが言い、ジットリアはうなずいた。
「スレーン国では、貴族の女性が働くことは基本的にはありません。働くのは男性の役割で、貴族女性がお金をかせぐことは家の恥とされるからです。ですが唯一、宮廷魔術師だけは貴族女性が働いても恥とはされません。スレーン国では、教養として魔術をたしなむ貴族女性が多く、宮廷魔術師はその最高峰という位置付けだからです」
「労働だと認識されていないと言うことか」
「おっしゃる通りです」
王宮内にある大書庫には魔術に関する書物がそろい、様々な魔術を試すための道具や場所にも事欠かない。その上、もしも護衛官に選ばれれば、王族の傍近くに仕えるという栄誉にあずかれる。そのため、宮廷魔術師を目指す貴族女性は多かった。
レネスは納得した様子でうなずく。間を置かずに尋ねた。
「魔術の師とはどこで出会った?」
「魔女協会を訪ねて、そちらで紹介していただきました」
「あなたほどの実力があれば、手放しで歓迎されただろう」
「いいえ。最初は向いていないと追い払われました」
レネスが、まさかという風に目を見張る。ジットリアは微笑んだ。
「本当ですよ? 追い払われましたが、あきらめずに通っている内に、私の魔力が精霊と相性がいいことがわかりました。一般的な魔法を使うことに関して、私の魔力は凡庸と言わざるを得ないそうです。ですが、見えざる者達を従わせることに関しては、見込みがあると言われました」
召喚した精霊に自分の魔力を与え、見返りとして精霊達を使役するのが精霊魔法と呼ばれるものだ。魔力の質は人それぞれであり、精霊魔法に適性があるかどうかは、魔力の強弱とは関係がない。精霊に好まれることの方が重要で、その点においてジットリアは運良く適性を持っていた。
「協会から紹介状をいただけたので、私は生まれ育った屋敷を離れ、師匠の家に移り住んで魔術の修行を始めました」
ジットリアは、十三歳になっていた。
屋敷に残っていた金目のものをすべて売り払い、滞納していたもろもろの支払いを終えると、ジットリアの手元には数枚の銅貨しか残らなかった。師匠の家に住み込んで家事をしたが、師匠は薄いスープと薄いパンで一食が足りてしまうような食の細い人で、師匠の食生活に合わせていたジットリアはいつもお腹を空かせていた。
「師匠の元で五年間修行したのち、十八歳になった私は宮廷魔術師の試験を受けて合格しました。そして、ナターシャ王女付の護衛官に配属されたのです」
「王女付の護衛官の職は、あなたから希望したものか?」
レネスの問いに、ジットリアは首を横に振った。
「配属先を自分で選ぶことはできません。仮に希望を出せたとしても、護衛官とは書かなかったと思います」
「護衛官に選ばれたことは、本意ではなかったということか?」
確認のためにレネスが尋ねる。しかし、本意ではないという言葉を耳にした途端、ジットリアは強い口調で言い返していた。
「まさか! ナターシャ王女は、美しく聡明で思いやりがあり、スレーン国の宝石とも称される素晴らしい方です。私が言いたかったのは、王女の護衛官を希望したところで、まず叶うはずがないと言うことです。選ばれたことを光栄に思っても、不満を抱くなんてあろうはずがありません!」
息巻いているジットリアを前にして、レネスはいぶかしげな表情で黙っている。ややあって口を開くと、ゆっくり言葉を押し出した。
「――あなたは、ナターシャ王女をとても敬愛しているようだ」
「スレーン国の民であれば、誰もがそうです。私が特別なわけではありません」
「そうなのか?」
「嘘だと思うならスレーン国へ行き、道を歩いている人に聞いてみてください。誰に聞いても、ナターシャ様は素晴らしい王女だと答えるはずです!」
むきになってジットリアは答えた。今は役目を離れてしまったが、元護衛官としてナターシャ王女をおとしめる言葉を見過ごすことはできない。レネスが王女のことを誤解しているなら、王女を知る者として誤解を正さなければと強く思った。
「――なるほど」
レネスは足を組み、椅子の背にもたれて楽な姿勢をとる。軽く首をかしげると、不満げな顔をしているジットリアに視線を向けた。
「あなたを侮辱するつもりはないが、ひとつ疑問に感じるので教えて欲しい」
「……なんでしょう?」
警戒しながらジットリアが言う。レネスは穏やかな声で話し出した。
「貴族とは言え、あなたは男爵家という低い階級の令嬢だ。そして父親であるエスリル男爵には悪評がつき、貴族社会からは閉め出されている。あなた個人の能力に不足はないとしても、貴族社会の頂点に立つ王族の護衛官として、ふさわしい人物だとは言いがたい。それにもかかわらず、なぜあなたは選ばれたのだろう?」
「それはもちろん……」
張り切って答えようとしたジットリアは、口を開いたまま動きを止めた。どういうわけか、それ以上、言葉を続けることができなかった。
魔女協会にはレジェンドクラスの魔女が多数在籍し、それと比べれば物足りないというだけで、普通の魔術師から見ればジットリアもモンスタークラスの魔力を持っています。レネスも内心は「凡庸なはずがない」と思っていますが、ジットリアを慢心させないための嘘だろうと理解して黙っています。




