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50 エスリル男爵令嬢


 軟膏を塗った腕にレネスが包帯を巻き終えたところで、廊下で話し声がし、白と灰色の軍服を着た兵士が部屋に入ってきた。小柄な体に中性的な顔立ちをし、紙の束を大事そうに胸に抱えている。


「失礼いたします。ニコラ・フルスカ、定刻通り任務につきます」


 高い声で兵士が言い、ぎこちない歩みで部屋の隅にある一人用の机に向かう。椅子に座って紙を置くと、引き出しからインクとペンを取り出し始めた。


「もうそんな時刻か……」


 ニコラを見ながら、レネスがそうつぶやく。立ち上がって椅子を移動させ、顔を上げると、いつもの冷淡な表情に戻っている。先ほどの楽しそうな様子を思い出し、レネスの心から閉め出されたように感じて、ジットリアは寂しく思った。


「昨日はこちらの事情を話した。今日は、あなたについて教えて欲しい」


 落ち着いた声で、レネスが切り出した。


「私のことですか?」


「そう、あなたのことだ。エベル寺院を破壊したスレーン国の魔女、ジットリア・エスリル男爵令嬢。あなたが何者で、なぜあの森に行くことになったのか、それを教えて欲しい」


 ジットリアは、部屋の隅にいる小柄な兵に目を向けた。


 ニコラは白い紙に目を落とし、真剣な面持ちでペンを構えている。先ほど、任務につくと言っていたが、ジットリアの発言を記録する書記官だったようだ。


 レネスには昨日、王女に命じられてラフォーク大狼(おおかみ)を追い、エベル寺院を壊してしまったいきさつを説明した。今聞かれているのは、それとは別にジットリア自身についてのことらしい。


「私に関して、スレーン国から情報を得ているのではないのですか?」


 ジットリアは、逆に尋ね返した。


 アデリス国から抗議を受けたスレーン国は、自国民のやったことだと認め、犯人の引き渡し要求に応じた。その際、犯人の詳細を記した文書がアデリス国へ渡ったはずだ。そう思ったのだが、しかし、レネスは首を横に振った。


「スレーン国からは、あなたについて何も知らされていない。こちらが犯人の引き渡しを要求し、スレーン国がそれに応じた。そのあとは、引き渡しの日時と、場所のやりとりをしただけだ。こちらは、あなたが名乗るまで、あなたの名前さえ知らなかった」


「……まあ」


「知らなかったのか?」


「はい。詳しい文書が渡っているものと思っていました」


 国交が断絶しているとはいえ、刑罰の判断に必要な情報は、当然やりとりされているものと思っていた。一般人ではなく、王女の護衛官の不始末(ふしまつ)である以上、スレーン国王には説明の義務があったはずだ。


「……すぐに処刑されるのだから、不要だと考えたのかもしれません」


 ずさんな祖国の行いを、ジットリアはそう説明する。


 何と言っても、責任者はあのクレアモント伯爵――ステッキで何度もジットリアを殴りつけ、スレーン国の貴族らしく品性を保ち、命乞いなどという無様なまねはするなと言い放った魔法省の長官だ。ジットリアがすぐに処刑されるものと思い込み、文書を作る手間を惜(お)しんだのかもしれない。


 クレアモントに殴られた時のことを思い出し、ジットリアは左頬に手をやった。もう痛みはなく、ケガの跡もいずれ消え去る。だが、怒りにまかせて殴られた時の恐怖、幾万の軍勢に向かって追い立てられ、国境を歩いた時の絶望感を生涯忘れることはないだろう。


「痛むのか?」


 レネスに尋ねられ、ジットリアは物思いから覚めた。


「いえ……大丈夫です。どうぞお話を続けてください」


 レネスはジットリアの顔を見ていたが、大丈夫そうだと判断すると口を開いた。


「エベル寺院の周辺には、封印を監視するための目が置かれていた。寺院を攻撃した者が、スレーン国の領地からやってきたこと、それが貴族の娘であることは把握(はあく)していた。あなたは自分からエベル寺院を破壊したと告白し、監視人が証言した特徴とも一致(いっち)した。もし――」


「もし?」


「あなたが本当の犯人をかばい、嘘をついているのであれば話は別だが」


 予想もしなかった言葉を聞いて、ジットリアはまばたきをした。


 レネスの表情は冷ややかで、探るような目をしてジットリアを見ている。なぜ、そんな疑いの目をしているのか。ジットリアは戸惑いながら尋ねた。


「目撃者がいるのではなかったのですか?」


「ああ。だが、存在を気取(けど)られるほど、間近で見たわけではない……」


 説明するレネスの言葉は、どこか歯切れが悪い。ジットリアも目撃者に気づかなかったくらいだ。その監視人は、かなり遠くからしか犯人を見ていないのだろう。


 ナターシャが狩りに行く際は、王族だとわからないよう、護衛官も含めて一般的な狩猟服を身に着ける。狩猟服を着ていれば貴族とわかるし、小柄で髪が長ければ女であることもわかる。だがもし、顔立ちがわからないのであれば。ジットリアが嘘の自白をしたとして、アデリス国には本当の犯人と、偽物の犯人の区別はつかない。しかし、そんな心配は無用だ。


「エベル寺院を破壊したのは、私で間違いありません」


 自分の胸に手を当て、ジットリアは言った。


 続いて落ちた沈黙の中で、書記官がペンを走らせるかすかな音が部屋に響く。ペンの音が止まるのを待って、レネスが口を開いた。


「――そうか。では、あらためて尋ねる。あなたは何者だ?」


読んでいただきありがとうございます。

次回更新は10月5日の予定です。

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