49 興奮と気まぐれ
ジットリアの顎に指をかけ、目を見つめたまま、レネスは何事かを考え込んでいる。ややあって口を開くと、その顔にはかすかな苦悩が滲んでいた。
「ルークにそそのかされたわけでは、ないんだな?」
「はい。ルークさんは善意から案内を申し出てくださっただけで、そそのかされたわけではありません」
「私の許可を必要ないと考えた理由は?」
「その……少し寄り道をするくらいなら大丈夫だろうと、甘く考えていました……」
おずおず言い訳をすると、レネスが眉をひそめた。
「それを言ったのは、あなたではないな」
「ですが、レネス様……」
「嘘はついていないと? だが、本当のことも言っていないだろう」
指摘されると、ジットリアは反論できずに黙りこんだ。事実を話していないのは、確かにその通りだったからだ。レネスは、眉をひそめたまま続けた。
「――あなたの言い分を言葉通りに受け取るほど、私はお人好しではない。ルークの身勝手な性格も、ナイルズにあなたをかばう理由がないこともわかっている。だからと言って、かばい合いの嘘を見逃すつもりはないし、ルークの軽率な行動を止められなかったあなたにも責任の一端はある」
厳しい口調で言われ、ジットリアは震え上がる。しかし、顎を支えられているのでうつむくことはできず、逃げ出すことも出来ない。レネスが言葉を続けた。
「だが、今日のところは、あなたの謝罪を受け入れよう。礼拝堂へ行きたいのであれば、ルークに道案内をさせる前に、まず私に許可を求めること。わかったな?」
ジットリアは、ほっとすると肩の力を抜いた。
「――はい。今後は、勝手な行動をしないようつつしみます」
「はたして、いつまで持つかな」
声を低めてレネスが言い、ジットリアの顎をつかむと、痣のある頬がよく見えるよう角度を変えた。壁の方を見ながら、ジットリアは内心で胸をなで下ろす。レネスからの信頼は揺らいでしまったようだが、何とか見捨てられずに済んだようだ。
と、ジットリアの頬を見ていたレネスが、突然声を上げた。
「――これは?」
「何ですか? 私の顔が何か変ですか?」
うろたえながらジットリアが聞き返す。今朝、手鏡で確認した時には、頬の痣はかなり薄くなって見えた。薬を塗って触らずにいれば、じきに完治するだろう。そう思ったのだが、レネスは険しい表情をしている。
「目の下の隈のせいかと思ったが、昨日より痩せている」
思わぬ指摘を受けて、ジットリアは驚いた。
「まさか! たった一日で痩せたりするはずがありません!」
「昨日は、いつ、何を口にした?」
「三食……いえ、昼食はいただいていませんが、朝食と夕食はいただきました」
貧血で寝ていたため昼食は食べそこねたが、朝食と夕食は確かに口にした。ただし、どちらも衛兵に蹴り入れられ、口にできたのは皿の上に残ったわずかな量だけだ。だが、食べた食事の量までレネスにわかるはずはない。
「それなら、なぜ昨日より痩せている?」
そう言いながら、ジットリアの顔を両手でつかむと、自分の方を向かせた。レネスの指が耳に触れ、その感触にジットリアは飛び上がりそうになる。たちまち真っ赤になると、否定の声を上げた。
「痩せていません! レネス様の気のせいです!」
「――気のせい?」
レネスは目を細め、疑う表情をしている。
ジットリアは、膝の上に置いた両手を握りしめた。痩せたことを認めれば、原因を尋ねられるだろうし、衛兵達の悪行を告げ口すれば、レネスの仕事を増やすことになる。粗食には慣れているし、我慢できるうちは告げ口などしたくない。ジットリアが反応しなければ、衛兵達もそのうち飽きてやめるはずだ。
「そうです。気のせいです」
「昨日はよく眠れたか?」
唐突に質問を変えられ、ジットリアは返事に詰まった。
騒音をまき散らす衛兵達の嫌がらせは、音消しの魔法で対処したものの、ウォード卿の言う抜け口を探していて、真夜中すぎまで起きていた。レネスに指摘された通り、目の下には隈ができているし、軽い頭痛もある。よく眠れたと答えても、レネスは絶対に信じないだろう
「……いいえ。ですが、レネス様のご心配にはおよびません」
「そうはいかない。あなたの体調管理も、私の仕事の内だ。星見の塔から出すことはできないが、牢のなかでも、あなたが快適に過ごせるよう何か方法を考えよう」
ジットリアは視線を上に向けた。じきに裁判が開かれるというのに、そんな雑務をする暇がレネスにあるのだろうか。耳に触れている指を意識しまいと努力しながら、ジットリアは説得する言葉を探した。
「……レネス様はお忘れのようですが、私は大罪をおかした重罪人です。不自由な牢生活を送るのは、みずからの罪と向き合い反省するためで、牢を快適にしてぐっすり眠れる環境を作るというのは……牢の存在意義に反しているというか……私には、とても罪深いように感じられるのですが……」
ジットリアが辞退をほのめかすと、何が琴線に触れたのか、レネスが面白がる表情をした。いつもの冷然とした表情が柔らかくなり、ジットリアは思わず惹き込まれる。ずっと微笑んでいて欲しいと、心の底から願った。
「顔が赤い」
指摘されると、ジットリアはますます顔を赤くした。
「レネス様が、いつまでもそうなさっているからです!」
顔をはさんでいる手を示して、ジットリアは抗議する。触れているだけでなく、必要以上に距離が近い。レネスはジットリアの抗議にも動じず、それどころか、真っ赤になっている耳の端を、指の背で軽く撫でた。
「あまり興奮するな。体調に障りが出る」
再度抗議しようとしたジットリアは、震えながら唇を引き結んだ。今になって、レネスがジットリアをわざと困らせ、窮地に立たされる様子を見て、憂さ晴らしをしていることに気づいたからだ。
おそらく、痩せたか痩せていないかの議論を、気のせいだと片付けたことを怒っているのだろう。いや、部屋に入った時から始まっていたと考えれば、勝手に礼拝堂へ行ったことを許していない可能性もある。後者だとすれば、姿を見せないルークとナイルズがどんな目に遭わされているのか、ジットリアは心配になってきた。




